「気分がすぐれないみたいだから、アルコールはやめて果実水を取ってきたよ。どうぞ、僕の小さなお姫様」
「まあ、ありがとうございます、王子様」
昔からお兄様は、私をお姫様と呼んでかわいがってくれていた。
私は小さい頃にそう呼ばれて、とても嬉しくてお兄様を王子様と呼んだ。
お姉様が、私は? というとお兄様は意地悪く、「君は、魔女だねえ」と言ってからかい……お姉様も「なんですって」と……また喧嘩を。
……。
今日の美しいお姉様が頭に浮かぶ。
姉妹なのに、どうしてこんなに美しさが違うんだろう。
いけない。せっかくのデビュタントなのに……なんでこんな事ばかり考えてしまうの。
ああ、そうだ。
この間、言えなかった、呼び方の話をしよう。
私も、レイブンお兄様を名前でお呼びしたい。
そして……お兄様だけが呼んでいい私のニックネームを考えてもらおう。
「お兄様、あの」
「なんだい?」
「婚約式の日までに、レイブンお兄様を、レイブン様、とお呼びしたいです!」
よし、言った! なんでもないことかもしれないけど、私には大きなことだ。
――そして、お兄様の反応は。
「ああ、いいよ」
あっさりだった。
「それで、それで、私のこともミルティアではなく、ミルとかミリアとか……その、お兄様だけの呼び方をしていただきたく……」
「……。ああ、そうだね。気が利かなかった。じゃあ――」
お兄様は笑顔を崩さずに私のお願いにうなずき、名前を提案されようとした。
けれど、その時だった。
「――テレジア!」
お兄様がバルコニーから身を乗り出した。
「レイブンお兄様!? ……え、テレジアお姉様?」
見ると、夜の庭園で、知らない男性に手を引っ張られて行くお姉様が見えた。
「お、お姉様!」
話には聞いていた。
夜会では、強引に2人きりになり、女性に無理やり関係を迫る男性がいると。
まさか、そんなこと、と思っていたことが目の前でしかもテレジアお姉様が今まさに連れ去られようとしている……!
「た、助けなきゃ。私、護衛を――」
「……っ!!」
「お兄様!?」
レイブンお兄様は、2階のバルコニーを飛び越え、そのまま庭園まで飛び降り、お姉様のところへ一直線に走っていく。
「わ、私も……」
私もドレスをたくし上げ、できるだけ早足で庭園へと向かった。
◆
私は息を切らして、庭園に2人を探して歩き回った。
「……」
時折、茂みに囲まれたベンチなどから男女のただ事ならぬ声が聞こえた。
ええ……。こ、これって、そういうことですよね!?
は、話にはよく聞いていたけど、本当に夜会って、こういう人たちいるんだ!?
――いや、そんな事は今はどうでもいいの。
お姉様たちを見つけなきゃ。
お姉様は無事かしら。レイブンお兄様のあのスピードなら追いついたとは想うけれど……。
コルセットがきつくて、息苦しさに我慢ができなくなって足を止めた時、お姉様の声がした。
「どうしてきたの……」
ちょうど今いる場所から見える薔薇園の茂みから聞こえた。
お姉様泣いてるの?
何か……様子がおかしい。
怖かったろう……早く慰めてあげたい、と茂みから顔を覗かせると――お姉様が涙をこぼし、片腕をレイブンお兄様が掴んでいた。
でも、先ほどお姉様を連れ去ろうとしていた男性はもういなかったので、胸をなでおろした。
「どうしてもなにも、なんであんな奴についていこうとしたんだ。抵抗してなかっただろ!」
「うるさいわね、私なんて……どうなったっていいのよ」
「何故、そんな自暴自棄になってるんだ」
「うるさいわね。あなたに跡取り娘の苦労なんてわかりはしないわ」
「……なら、君は、跡取り息子である僕の重圧がわかるって言うのかい」
「知らないわ……そんなもの。あなたはいいわよね、可愛いミルティアと婚約できたんだから……。私はちっとも婚約が決まらない」
テレジアお姉様……私が先に婚約が決まってしまったから、ショックでいらっしゃったの?
……しまったわ、全然考えてなかった……。
でも、こんなになるほど?
普段のテレジアお姉様からは考えつかない……そのテレジアお姉様の荒れように、私は出ていけなくなってしまった。
それに泣きじゃくるテレジアお姉様に、苦い顔をしてなだめるレイブンお兄様がまるで、そっと寄り添う恋人のように見えて、呆然と立ち尽くしてしまう。
盗み聞きするつもりはない、けれど……立ち去ることもできない。
「テレジア。君は……君なら望む相手と結婚できるだろう、それなのに君はわざと先延ばししているように見える」
「知った風なことを。あなただってそうでしょう、レイブン。なんで今まで婚約しなかったのよ! とっととすればよかったのに!」
「僕のことは今は関係ないだろ。……とにかく」
「関係なくないわ! あなたとミルティアが愛し合っている所を、ずっと一生見てろっていうの……? きっとあなたとの生活の話をずっと聞かされる……。知らない女性のほうがマシだった……! ……どうして、ミルティアなのよ……」
「――テレジア」
レイブンお兄様は、驚いた瞳でテレジアお姉様を見下ろしていた。
「馬鹿よね。私が……あなたと婚約できるわけないのに、ずっと、いろんな令息との見合いを蹴リ続けて……」
テレジアお姉様の目から次々と涙が溢れる。
その瞳は一途にレイブンお兄様を見つめている。
「……テレジア」
それは、私が彼から聞きたかった甘い声だった。
お兄様は、テレジアお姉様の名前を呼び両手で頬を包むと――迷いなく口づけをした。
「レイブン、何をし……」
レイブンお兄様は、力なくやめて離して……と小さく抵抗するお姉様を離さなかった。
私は――その場に座り込んで口元を押さえていた。
――泣くのを押さえ、胃のそこが震えてきて吐きそうだった。
「愛してる、テレジア。ずっと愛してた。誰よりも」
「私だって好きよ、愛してる……。でも……どうしようもないのよ、私達」
胸の内をさらけ出し、キスを交わしながら、嘆きあう2人。
私の眼前で繰り広げられる、悲劇の恋人同士の物語。
「ミルティアのトラウマを知ってるでしょう。ミルティアにとって平気な令息はあなただけよ。ミルティアにもあなたは必要なの」
「知ってる。僕にとっても大事な幼馴染だ。だから……親の言う通りにしようとした。でも今……それは間違いだったと気がついた」
「間違い……?」
「1番大切なものを、失う所だった。テレジア、僕と結婚してくれ」
1番、たいせつなもの。
「で、できるわけないでしょ……」
「いままで、君を諦めて周りを捻じ曲げる勇気を無かった僕を許してくれ。きっと僕たちの愛は色んな人に迷惑をかけるだろう。ミルティアを傷つけ、お互いの跡取り問題に響く。けれど僕はもう君を諦めたくはない。君は……どうなんだ」
「……意地悪ね、そんな言い方されたら、共犯者になるしか、ないでしょう」
押さえてきた気持ちをさらけ出した恋人同士の逢瀬は止まれないようだった。
何度も愛を伝え口づけ抱きしめあい、今この時だけはと、思いの丈をぶつけ合っていた。
とても2人の間には入れない、と思った。
「(私は2人にとって排除できない邪魔者……)」
彼らは、私が嫌いなわけじゃない。
むしろ愛してくれている。
だからこそ、彼らは苦しみ、無邪気な私を受け入れてきた。
でも、もうそれに区切りをつけるのだと、レイブンお兄様が言っている。
――お姉様を選び愛するために。
徹底的に打ちのめされた私は口元を押さえたまま、その場所から逃げ出した。
その場に残ったのは、お互いの瞳にお互いしか映らない、覚悟を決めた恋人たち。