ジョエルに出会ったのは、7年前の冬。
王都で開催された雪まつりの日だった。
雪で作られたさまざまな作品が並ぶ、この国の盛大なお祭りの1つだ。
その日は、道がぎゅうぎゅう詰めになるほどの人出で、小さかった私は運悪く人混みに飲まれてしまった。
家族と幼馴染、そして護衛達からはぐれてしまったのだ。
気がつくと、祭りの賑わいも聞こえず、周囲にはボロボロの家々が立ち並んでいた――貧民街だった。
そんな場所を身なりの良い小さな少女が1人でうろつくなど、攫ってくれと言ってるようなものだった。
「(ここは……どこ?)」
涙を浮かべキョロキョロしながら歩いていると、そこの住人たちにジロジロ見られているのがわかった。
その視線が怖くて、自分から道を尋ねることができず、当てもなくトボトボ歩いていたら、しばらくして声をかけてくる人がいた。
「おやあ、これはまあ、まあ。お嬢ちゃん、可愛いね。どこから来たのかな?」
その人は、トレンチ帽を被った酒臭く、どこか異様な雰囲気の中年男性だった。
私はその姿に一瞬、寒気がしたが、心細さが勝って、思わず答えてしまった。
「あのね、お姉様たちとはぐれてしまって……」
「そうかいそうかい。オジサンが迷子の案内所につれてってやろう」
そう言いながら、男性はニタリと笑い、黒ずんだ手を差し出してきた。
その時、私の全身に再び寒気が走った。
胸の中に、ゾワゾワとした恐怖が広がっていく。
この人は――駄目だ。
本能が警告を発した。
「――」
私は無意識のうちに後ずさりしていた。
「どうしたんだい? さあ……」
男性は一歩踏み出して、手を伸ばしてくる。その目はギラギラしていた。
――恐ろしい。
私は首を横に何度も振り、涙目になった。
その人のお酒くさい息が気持ち悪くて。
黄色く濁り、血走っている目が怖くて。
「えと、えと……」
背中に、壁がぶつかった。
男性の口の端がいやらしく吊り上がった。
「さあ、おいで」
「や、やだ!」
彼が、私の脇に手を差し入れ、抱き上げようとしたその時。
「馬鹿が!」
幼い少年が影から飛び出してきて男性を突き飛ばした。
「うがっ」
男性は吹っ飛んで、近くにあったごみ置き場に突っ込んだ。
そして少年は、素早く私の手を取り――
「こっちだ、こい!」
「ふぇ、ああ!?」
強引に私を引っ張り、脱兎のごとく走りだした。
「おい、こら!! クソガキ!!」
私よりすこし背が高いその少年の深い紫の髪色が印象に残った。
そして私を、その寂しい場所から再び祭り会場近くへと、連れて行ってくれたのだった。
この少年こそ、ジョエルだった。
◆
「はぁ、はあ。もう走れない……」
「ちっ。貧弱だな。……まあいい。目的地には着いた。ほら、迷子案内所だ」
「あ……ありがとう……」
息を切らしながら、初めて彼の顔をまともに見た。
まっすぐ彼の瞳を見て、その瞳が赤い、と思ったら、すぐに彼の頬も赤くなった。
「あんま、こっち見んな。まったく、おまえみたいなのが、貧民街うろつくんじゃねえよ。馬鹿」
「ごめんなさい。迷子になって……」
「それじゃ、オレは行くからな……って。おい、こら。手放せよ」
「あ……はいです」
「……」
「……」
しかし、私は彼の手を放すことが、すぐにはできなかった。
先ほどの怖い出来事から助けてくれたその手を、まだ怯えていた私は握っていたかったのだ。
「……おい?」
「あ、ごめんなさい……すぐに……」
私の手が震えているのがわかったのか、彼も強引に手を引き剥がすことはしなかった。
そうこうしているうちに、
「「ミルティア!!」」
姉のテレジアと、幼馴染のレイブンお兄様の声が響いた。
走ってきたテレジアお姉様が、私に抱きつくと同時に、両親や護衛たちも、バタバタとやってきた。
身近な人達と再会し、ホッとして、思い切り泣きたくなったが、その前にテレジアお姉様が大泣きしてしまい、私の方は涙をためたままに、彼女の背中を片手でさすった。
レイブンお兄様が、私達2人の涙をハンカチで拭ってくれた。
「心配かけてごめんなさい。テレジアお姉様。レイブンお兄様……」
「良かった、ミルティア」
そして次に、父に頭を撫でられた。
「とても怖いところにいたの。年配の男性に抱き上げられそうになったの。でも彼が助けてくれたわ、お父さま」
私はまだ手を繋いでいる紫の髪の少年のことをお父さまに伝えた。
「ああ、ミルティア。怖い思いをしたね……! 君、ありがとう! 名前はなんと言うのかな? 是非お礼をさせてくれたまえ!」
父は、少年に笑顔でお礼を言った。
けれど、少年は、
「ジョエルだ。怪しいもんじゃない……。お礼なんて別にいい。それじゃ、オレはこれで……、っていい加減、手を放してくれないか!?」
「怪しいものだなんて! あ、そうですね。ありがとうございまし――」
彼がいなくなる……と思った瞬間。
さっきのオジサンの顔を思い出して身震いした。
「――やだ!」
「……はい?!」
少年のその顔を見るとふと心が安堵した。
――あ。彼が、必要。
直感のようにそう思った。
「ミルティア? どうしたんだい?」
父が心配そうに声をかけるのと同時に、私はこう言った。
「お、お父さま! 私、彼を護衛として雇いたいです!!」
「はあ!?」
「あなたが必要なの! お願い! うちに来て!」
「な……!?」
私の言い出した突拍子もない発言に、彼は呆れた悲鳴を上た。