余計なことを言ってしまった、とジャスティーナは後悔した。
ただ、あなたは一人じゃない、とロレッタを元気づけるつもりだったのだ。なのに、まさかそれが原因で本人に暗い顔をさせてしまうとは思ってもいなかった。
「ごめんなさい、何だか辛いことを思い出させてしまったみたいで……」
ライナスの名前自体が禁句だったなんて、と気づいても遅い。申し訳ない思いで心がいっぱいになる。
「い、いえ。そんな、こちらこそ申し訳ありません。ジャスティーナ様に謝っていただくことではないですし、私の問題ですので……」
そういって作り笑いを浮かべるロレッタを見て、ますますジャスティーナの心は苦しくなった。
(もうライナスの話はやめておこう)
二人の間に沈黙が生まれる。
ジャスティーナが何か別の話題をしなくてはと考えている中、先に口を開いたのはロレッタだった。
「あの、ジャスティーナ様……ちなみになんですけど、ライナス様はどのような話をしていました……?」
「え?」
この話題は避けた方がいいと思っていたのはジャスティーナだけで、どうやらロレッタは違ったらしい。伏せ目がちではあるが、ライナスを気にしている様子が伝わってくる。
ジャスティーナは一瞬迷った。
「……あの方をひどく傷つけた、と言っていたけど、もし彼のことを思い出すのが辛いのなら無理することはないのよ」
「いいえ、大丈夫です。それに、ライナス様とは偶然クラスが一緒になってしまったから教室にいれば自然と視界に入りますし、今の状況ではあの方のことが完全に頭から離れることはないので……」
(ああ、なるほど……)
ジャスティーナは、ロレッタが授業以外であまり教室にいない理由をやっと理解した。内容は分からないが、過去の出来事が原因でライナスと顔を合わせるのが気まずかったからだ。
それでも、ライナスのことは知りたいらしい。その思いに応える形で、ジャスティーナはライナスと夜の中庭で初めて会話したことをロレッタに話した。
「話しているうちに、ライナスからあなたの名前が出たの。ロレッタと話したかって。タイミングが合わなくてまだお話しできていないけど、いつか仲良くなれたらいいと思っていることを伝えたわ」
ロレッタは黙ってジャスティーナの話に耳を傾けている。
「ロレッタがどうかしたのか尋ねたら、彼、あなたとは面識があると答えたわ。あなたは生活環境が急激に変わって戸惑ってるみたいだから、少しだけでいいから気にかけてあげてほしい、と」
「……ライナス様がそんなことを……」
ロレッタは呟きと共に小さく息を吐き出した。
「母を亡くして何の後ろ盾もない私がこの学院にいるものだから、驚いてお調べになったんでしょうね。私が伯爵家に引き取られたことを」
「そうかもしれないわ。……それで、私はこう言ったの。私よりも面識のあるあなたが気にかけてあげる方が、彼女も安心するんじゃないかしらって。でも彼は、自分では力になれそうもないって答えたの。私がその願いを受けたら、彼は何だかホッとした様子だったわ」
ジャスティーナが「でも、私があなたと仲良くしたいと思ったのはそれよりも前で、ライナスに言われたからじゃないのよ」と付け加えると、ロレッタは「分かってます」と、はにかんだような笑顔を向けた。
「何か二人の間に特別な事情があるのは察したけど、それ以上はライナスも語らなかったから、私も聞かなかった」
ジャスティーナは再び話を戻す。
「ライナスもあなたと話したいと思っているようだけど、行動に移すことを躊躇してる。そんな感じだったわ」
「……ライナス様はお優しい方なので、私の境遇に同情して放っておけなかっただけかもしれません。私が伯爵家で冷遇されていたことは、詳しく調べれば分かることですし」
ロレッタは視線を落とした。
「ねえ、ロレッタ。もし彼があなたの伯爵家での扱いを知ったからだとしても、それ以前に気にもならない相手のことを詳しく調べたりするかしら。それに彼はこうも言っていたわ。強くなれなきゃ守りたいものも守れないって。……これは私の完全な憶測だけど」
ジャスティーナはやや身を前に乗り出した。
「彼の守りたいものって、あなたのことじゃないかしら」
ロレッタがゆっくりと顔を上げる。その目は大きく見開いていた。
「……ライナス様が私を守りたい……? いいえ、そんなはずはありません」
「そうね。私の想像が飛躍しすぎただけかもしれないわ。でも忘れないでほしいの。あなたを気にかけてくれている人の存在を」
ジャスティーナの言葉に、ロレッタは再び黙り込んでしまった。ジャスティーナとしても、彼女から根掘り葉掘り聞くつもりはない。ただ、ロレッタにはちゃんと自分を思ってくれる人の存在を感じてほしい。たとえ自分が折れそうになっても、それが生きる希望になることがあるからだ。
(かつて私も自分が消えてしまいたいと思った時、ルシアンに救われたわ)
彼のおかげで、運命を受け入れて前を向こうと思えたのだ。
(助けてもらってばかりで、未だに何もお返しできてないけど……そういえば、ルシアンは今何してるのかしら)
懐中時計を取り出して見れば、そろそろ昼時だ。もしロレッタがよければ、ルシアンも誘ってみようか。その時に、改めて互いに二人を紹介しよう。
「もうすぐ昼食の時間だわ。一緒に食堂に行かない?」
休日のメニューの数は平日に比べて少ないが、残っている生徒のことも考えて食堂を使用できる制度はとてもありがたい。
ジャスティーナはそう言って席を立とうとしたが。
ロレッタは動こうとしない。少し間があって、深刻な面持ちで顔を上げた。
「ジャスティーナ様……私にはライナス様に気にかけていただく資格がないことを、今からお話しします。……聞いていただけますか?」