ジャスティーナはロレッタを振り返る。こちらが手を差し伸べる前に、彼女はゆっくりと立ち上がると丁寧に頭を下げた。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
「いいえ、私は何も。それより、あなたも大丈夫ですか? 今から一緒に教室に──」
「助けていただいたことは感謝しています。でも、こうこれ以上、私に関わらないでください」
ジャスティーナの言葉を遮るように、ロレッタはやや強い口調で言った。
「え?」
微かな拒否の意思が見え、ジャスティーナは戸惑う。
「あなたが悪い人ではないのはわかっています。でも、私は貴族を信じられないんです」
ロレッタはそう言い残すと踵を返して学舎の方へ歩き出した。
「あ、あの、待って!」
ジャスティーナはロレッタの背中に向けて声をかけたが、彼女が振り返ることはなかった。
◇
(何か間違えてしまったのかしら……)
夕暮れ時、ジャスティーナは自室で椅子に座ったまま落ち込んでいた。
ロレッタが全身で自分を拒絶しているのが伝わってきたからだ。
『私は貴族を信じられないんです』
彼女の言葉が頭の中で反復する。
(貴族が信じられないって……彼女も貴族なのに)
生活環境が変わって戸惑っているみたいだ、とライナスも言っていた。
(本当に深い事情があるのね)
何も知らない自分が、簡単に踏み込んでいけるわけがない。
(気持ちを切り替えなきゃ。私は早くヴィムを呼び出せるようにしよう)
その前に、転移魔法を使えるようにならなくては。
魔獣召喚をするのは誰もいない場所が絶対条件だ。自室が最適なのだが、いきなり呼び出されたヴィムは人間の部屋を見て混乱し、飛び回るかもしれない。
それに、そのままの大きさで出てきてこられても困る。
なので、魔獣召喚の場所は学院を取り囲む森にすることに決めた。もちろん、学院の建物からかなり離れた場所で。だが、いちいち歩いていては時間もかかるので、転移魔法で森へ飛びたいと考えた。
ジャスティーナは椅子から離れると、部屋の中央に立った。
まず、意識を研ぎ澄ませて、自分の中にある闇の力を支配下に置くことから始める。
それが上手くいくと次に、以前魔族の森から学院の森まで移動したことを思い出した。
(あの時の感覚をもう一度思い起こすのよ……!)
その場にしゃがみ、両手をつく。
(魔族の森から帰ってきたあの場所へ行けますように……!)
強く念じると、自分のいる場所を中心に風が起こった。
床が赤く光り出し、次第に輝きを増す。
視界が徐々に白くなっていく。
(この感覚、あの時と同じ……! いける……!)
ジャスティーナは強く念じた。
気がつくと、ジャスティーナは森の中に立っていた。上を見上げると、茜色に染まった空が見える。
急いで上着から手鏡を取り出し、顔を映す。まだ日は完全に沈んだわけではないので、薄暗い森の中でもかろうじて瞳の色を確認することができた。
「目が赤くない……」
鏡の中では、いつもと同じ緑の瞳が自分を見つめている。
「髪は……⁉」
髪も確認したが毛先にも変化は表れず、金髪のままだ。
「今のところ上手くいった……けど、ちゃんと帰れるようになってないと」
休む間もなく、再びしゃがみ込んで地面に手をついた。
(自分の部屋に戻れますように……!)
先ほどと同様、風が起こり、視界が白くなる。
次に気づくと、見慣れた調度品が視界に入った。
自分の部屋の光景だ。
再び鏡を確認するが、身体のどこにも変化は見られなかった。
「やった……転移魔法も上手くいったわ……!」
今回も、ルシアンの魔鉱石がちゃんと働いてくれた。
喜ぶと同時に身体が重くなり、フラフラとベッドに倒れ込む。
「上手くいったけど、体力をすごく使うことが難点ね……」
ジャスティーナは瞼を閉じると、徐々に深い眠りに落ちていった。
また夕食の時間に間に合わなくなる可能性など、今のジャスティーナに考える余裕はなかった。
◇
翌日の夕刻。
転移魔法で森へ移動はできたものの、魔獣召喚は上手くいかなかった。魔法陣が出ないのだ。
立て続けに高度な魔法を使うのは、まだ身体がついていけていない証拠なのだとジャスティーナは思い、まずは体力回復に専念することにした。
そして三日後。
(体力は万全だし、中の力も不足したり乱れたりしてないみたい)
今日はいけるという確信を持って、転移魔法で森へ移動する。
(さあ、ここからよ)
静かに目を閉じて、手のひらを上に向ける。
(ヴィム、あなたに会いたいの。だから、私の元に来て……!)
強く願った。
すると、手のひらの上が赤く光り、魔法陣が出現した。
ジャスティーナはさらに意識を集中させる。
(私の元に……!)
やがて、魔法陣の中から黒い物体が姿を見せる。肩に乗るくらいのサイズの、赤い目をした黒い竜。
「ジャスティーナ様……」
「ヴィム……!」
ヴィムは翼を広げ、宙に浮いたまま深く頭を垂れる。
「お久しゅうございま──うぐぅっ……!」
ヴィムの挨拶は、ジャスティーナの強すぎる抱擁で遮られた。