ジャスティーナは右腕を前に突き出した。
(姿を見せなさい……闇の炎!)
腕が重くなり、次第に指先が熱さを帯びていく。
ハッと目を開けると、魔族の森で出したのと同じ、赤紫の炎が出現している。ただし、指先に灯る程度の小さな炎だ。
急いで姿見を確認する。
鏡には何も変化が起きていない自分の姿が映っていた。髪は金色で瞳の色も青いまま。
でも、指先には確実に赤紫の炎が灯っている。
身体に変化をもたらさず、闇の力を使うことに成功したのだ。
(やった……やったわ!)
今は小さな炎にすぎないが、大きな前進だ。
これを鍛錬すれば、きっと近いうちにヴィムを召喚出来るに違いない。ジャスティーナは嬉しさのあまり飛び跳ねた。
◇
翌日の昼休憩。
昼食を終えたジャスティーナは、ルシアンと中庭のベンチに並んで腰かけていた。
食事を終えた生徒達が、学舎に沿うように配置されたベンチに座り、思い思いの時間を過ごしている。
「ふぁ……」
ジャスティーナは手で口元を覆い、大きくあくびをした。
お腹が満たされた上に日差しが暖かく、目を閉じるとたちまち睡魔に襲われそうだ。
「まだ寝足りないわ。……闇の魔力を使えるようになったのはいいけど、こんなに眠いなんて」
「人間の身体では、慣れるのに少し時間がかかるのかもしれないね。でも本当に身体に変化なく使えるようになるなんて、ジャスティーナはすごいな」
「私だけじゃ上手く使えなかったわ。ルシアンの魔鉱石のおかげよ。闇の力が暴走しなかったのは、魔鉱石に込められた癒しの力が効力を発揮してくれたからだわ。ありがとう」
「ちゃんと魔鉱石が機能してるようで良かった」
「ルシアンには実際に見てもらいたいけど、なかなか人のいない場所がないのよね」
時折、背後に誰もいないか確認しつつ、二人は周囲からは聞き取れないほどの声で話す。
ジャスティーナはルシアンに、つい先ほど昨日の成果を話したところだ。本当は授業が始まる早朝に伝えたかったのだが、身体が変化しなかった代償なのか、今までにないくらいの深い眠りに落ち、今朝目覚めた時はすでに朝食時間終了間近だった。大慌てで身支度を整えると、食堂に滑り込んで朝食を胃に流し込み、その勢いのまま教室に駆け込んだので、ルシアンに報告するのが遅れてしまったのだ。
「早く召喚魔法も使えるように頑張らないと」
「ジャスティーナの気持ちもわかるけど、だめだよ。急ぐと君の身体に相当な負担がかかる」
「わかってるわ、何事も段階が必要よね。いよいよ午後から魔力実演の授業が始まるから、体力は温存しておかないと……」
ジャスティーナは不意に言葉を止めた。向かい側の学舎から出てきた茶色の髪の少女に目が留まる。
(あれは、ロレッタ様)
ロレッタは相変わらず本を数冊腕に抱えている。ジャスティーナ達の前方を横切ろうとした時
(もしかして、今、話しかけるチャンス?)
思わぬところで機会到来。ジャスティーナはベンチから腰を浮かせようとしたが。
(どうしたのかしら?)
ロレッタの表情が一瞬にして強張ったのだ。彼女の視線の先を追ったジャスティーナは、そこにクラスメイトの生徒三人の姿を視界に捉えた。
そのうちの一人は艶やかな赤い髪だ。
教室で睨まれた苦い記憶が呼び起こされる。
しかし、彼女たちはジャスティーナの存在には気づかず、ロレッタを見て薄笑いを浮かべた。
何か嫌な予感がする。
(ウェズリー伯爵令嬢アデラ様に、ワイエス子爵令嬢オーレリア様、スレイド子爵令嬢エノーラ様……)
ジャスティーナが三人の動向に注目していると、赤髪の少女、アデラがロレッタの方に向かって歩き出し、そのあとにオーレリアとエノーラが続く。
ロレッタは俯き加減にゆっくりと進み始めたが、アデラが勢いよくぶつかってきたことで体勢を崩し、本を地面に落としてしまった。
「あらぁ、ごめんなさい。大丈夫?」
アデラが可愛らしい声を出す。そして、ロレッタの足元に落ちている本を踏んだ。
「あら、まあ、ごめんなさい」
ロレッタが拾うより早く、アデラが本を拾い上げる。表紙にはアデラの靴裏に付着した中庭の土がこびりついていた。
「わざとじゃなかったの。本当にごめんなさいね」
アデラは土を払いもせず、ロレッタに本を差し出す。
ロレッタは無言で受け取ると、足早に去って行った。
「アデラは謝った上に拾ったのに……失礼な人ね」
オーレリアが不機嫌そうに言う。
「いいのよ、私が悪いんだもの。許してくれるのを待つしかないわ」
アデラは大きい声で嘆くと、オーレリアとエノーラを連れて中庭から消えていった。
(なるほど……そういうことね)
一部始終を見ていたジャスティーナは合点がいった。
落とした本に真っ先に反応したのはロレッタだった。彼女は本を拾おうと身体をかがめようとしたが、アデラがその腕を素早く掴んで動きを封じた。その隙にアデラが本を踏んだのを、ジャスティーナはしっかり目撃していた。
しかも、ロレッタが去ったあと、わざと大きな声を出して周囲の関心を引き、相手の不誠実な態度をアピールする。ぶつかったことに対して謝ったのに、不機嫌な態度を取られた気の毒なアデラと、無言で去った失礼なロレッタ。周囲の目にはそういう風に映ったに違いない。
(ロレッタ様を孤立させるためにわざとやったとしか思えないわ。彼女は日常的にあの三人から嫌がらせを受けているのかしら)
先日、ロレッタが落とした本に靴跡が残っていたのも、アデラ達の仕業の可能性が高い。
ジャスティーナは『ロレッタを気にかけてやってほしい』というライナスの言葉を改めて思い出す。
(言われなくても)
アデラ達には不信感が募るし、もし陰湿な手口でロレッタに嫌がらせをしているのなら許し難い。
とにかく今は、なるべくロレッタから目を離さずにいよう。
「ルシアン、私、ちょっと彼女のことが気になるから行ってくるわ」
ジャスティーナは立ち上がると、ロレッタが去った方向へ急いで走った。
しかし、どこへ行ってしまったのか、すでに彼女の姿は消えていた。