「まさか、この時間に誰かに会うなんて思ってもいなかったよ。ところで君はこんなところで何を?」
ジャスティーナは読書に夢中になっていたら、夕食の時間を逃したことを話した。
「だから、せめてお水をもらおうと思って」
「それで、トレイを持って移動してたのか」
ライナスが水差しとグラスに視線を向ける。
「だったら腹が減ってるだろう。ちょっと待っててくれ」
そう言うと、ライナスは先ほどいた場所近くの岩に駆けて行った。その上に置いてあった何かを手に持って再び戻ってくる。
「これを君に」
手のひらほどの紙包みを、ジャスティーナに差し出した。中に何か入っているのだろうか、楕円形の球体のようだ。
「夜食に取っておいたパンだ。まだあるから遠慮するな。ああ、今日の夕飯の余りをもらってきたから、鮮度は悪くないはずだ」
「そんな、あなたの物なのに」
その時、ジャスティーナの腹がぐぅ、と鳴った。
「え、えっと……」
恥ずかしくて顔が熱くなる。するとライナスはトレイ上のグラスを手に取り、空いたスペースに紙包みを置いた。
「わ、悪いわ」
「いいや、悪くない。もしかしたら、これは君の夕飯になる物だったかもしれない。横取りしたのは俺だ。それを君に返した。それなら罪悪感も湧かないだろう?」
「えっと……そういうことに……なるのかしら?」
「なる。じゃあ、代わりと言っては何だけど、水をくれないか」
ライナスは水差しを取ると、グラスに水を注いで一気に飲み干した。
「ちょうど喉が渇いていたんだ。助かったよ」
屈託のない笑顔を向けるライナスを見て、ジャスティーナもつい笑みを漏らした。
「では、遠慮なくいただくわね。そういえば、ライナスはここで何をしてたの?」
「剣の素振りだよ。最近、座学ばかりで身体が鈍ってきたから。さすがに部屋でやると、物を壊しそうで」
「ライナスは剣技もできるのね」
「剣技も、というか……魔法より断然剣の方が得意なんだ。実は俺、もともと魔力量が少なくてさ」
「……そうだったの。ごめんなさい、余計なことを言ってしまって」
「いいよ。気にしないでくれ。それに魔力量が少ないから、剣で強くなろうと思えた。将来は騎士になれたらいいと思ってる。親に言われて魔法学院に入ったけど、どうせしがない男爵家の三男坊だしな。家督も継げないし、何なら好きに生きてやろうと思って。それに」
ライナスの顔から笑みが消え、険しい表情に変わる。
「強くなれなきゃ守りたいもの守れやしない」
ジャスティーナの目には、ライナスには何か強い思いを背負っているように見えた。
(強くならなければ守りたいものも守れない。……それは私にも言えることだわ)
自分の守りたいもの──それは家族。ずっと変わらない穏やかな暮らし。
(そしてルシアンも)
「ありがとう、ライナス。私も頑張るわ」
「え、俺、何か言った?」
「ええ、とても大切なことを。私そろそろ行くわ。邪魔してごめんなさいね。ではまた明日教室で」
ジャスティーナはくるりと身体の向きを変えた。
「ジャスティーナ」
呼び止められて振り返る。
「あのさ……君の席の横の子なんだけど」
「ロレッタ様のこと?」
「ああ。彼女とは話した?」
「いいえ。お話したいとは思っているんだけど、タイミングが合わなくて」
いつも一人でいる印象の強いロレッタ。先日、廊下で見かけた時も表情は暗かった。それに、汚れた教本も気になる。
「でもいつか仲良くなれたらいいと思ってるわ。彼女がどうかしたの?」
「ああ、いや。彼女とは少し面識があって。彼女、生活環境が急激に変わって戸惑ってるみたいなんだ。君にこんなことを頼むのはおこがましいとわかってるんだけど、少しだけでいいから気にかけてやってくれないかな」
「それは私より面識のあるあなたの方が、彼女も安心するんじゃないかしら」
「ごめん……俺では力になれそうもないんだ」
(何か事情があるのね)
ジャスティーナはしばらく考えてから口を開く。
「……期待に応えられるかわからいけど、私なりに努力してみるわ」
「ありがとう」
ライナスはどこかホッとした表情を浮かべる。姿勢を正し、ジャスティーナに向けて一礼すると、最初に素振りをしていた場所に戻っていった。
◇
それから一週間後。
ライナスと約束したものの、ロレッタとの距離は一向に縮まらない状況が続いていた。
声をかけようとしても、事前にそれを察知されてしまうのか、ロレッタはすぐに姿を消してしまう。授業後にでも一緒にゆっくりと話せればいいのだが、ジャスティーナにも魔力強化と闇の力の共存という目的のため、やらなければならないことがある。
「さあ、これまでの成果を試すわよ」
自室に戻り、床の中央に立って目を閉じる。首元からペンダントを取り出し、直接触れる。
「私に力を貸してちょうだい」
意識を身体の内部に集中させる。緑の気の流れを感じる。これは本来の風の魔力だ。
さらにその奥に、黒い核を見つける。白い光に包まれて安定しているのがわかる。
(よし!)
ジャスティーナはあえて白い光の一部に細く小さな隙間を作った。そこから、黒い気の流れが少しずつ流れ出していく。一気に放出させてはいけないし、風の魔力を押しやるほど広げてもいけない。あくまで少しづつ、微々たる量を細い糸のイメージで流れさせていく。
その黒い気は一か所に小さくまとまったのを感じて、ジャスティーナは再び黒い核を白い光で閉じた。
黒い気は横に広がることなく、風の魔力の中をゆっくりと漂っている。
(闇の力よ、私の声に応えて)
静かに念じた。