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第12話

 ジャスティーナは顔面蒼白になって震えた。

 逃げなければと本能ではわかっているのに、身体が動かない。


 あえて自分を狙うように仕向けたのは、まぎれもなくジャスティーナ本人の意思だ。だが、いざ恐ろしい姿の竜と一対一で向かい合うとなると、途端に恐怖が全身を覆う。先ほどの勇気が自分でも信じられない。


「ここは、魔族の森だ」

「え……?」

 思っていたより穏やかな声に驚いて、ジャスティーナは目を見開いた。


 その声は竜の口から発せられていた。竜は牙をおさめ、じっと彼女を見ている。

「先ほども問うたが……お前は何者だ? お前の中から微かに闇の魔力を感じる。あの偉大なるお方と同じ……」

 竜がググっと頭を近づけてきた。


(お、襲われる……⁉)

 ジャスティーナは咄嗟に手の平を竜の前に突き出した。

 身体が動けない以上、今は自分の中の風の魔力で対抗するしかない。


 もちろん、本格的に魔力の使い方を学ぶ前なので、自分の力が拙いことは承知している。だが、何もしないで命を落としたくない。今は自分の力に一縷の望みを託すしかない。


 固く目を閉じ、意識を手のひらに集中させ、必死に風を作り出そうとしたのだが。


(熱いっ……!)

 手のひらに異様な熱さを感じて、慌てて目を開けると。


「な、何これ……⁉」

 目の前には、巨大な炎の壁が出現していた。

 腕から手に向かって魔力の流れを感じる。明らかに自分の力で生み出されたものだ。


(どうして……?)

 ジャスティーナは呆然と炎を見つめた。

(私は風の魔力しか持っていないはず……)

 しかも、この炎は自分が知っている色とは少し違っていた。


 ジャスティーナの父は火属性で、幼い頃、時折父が生み出す炎を見せてもらっていた。深紅の美しい炎に、ジャスティーナは感動して心が震えたのを今でも覚えている。


 だが、目の前の炎は紫がかっていて、やや仄暗い。熱いのに、なぜか冷たい。そんな不思議な感覚のする炎だ。


 その時、竜が「ぐぉおおお……!」と低く呻いた。

 ジャスティーナの意識が竜に向き、赤紫の炎は一瞬で消えた。定かではないが、身体の中から発せられていた力の流れが止まってしまったようだ。


 もしかしたら、先ほどの炎に竜の顔は焼かれてしまったのか。ならばジャスティーナは報復を受けるだろう。今度こそ絶体絶命だ。

(もうダメ……‼)

 ジャスティーナは身体に受ける衝撃に備えて目を瞑ると、両腕で頭を覆い、身を縮めた。


(……?)

 だが、いつまで経っても、何も起こらない。

 ジャスティーナは腕を下ろし、恐る恐る目を開けると。


 竜は威嚇するどころか、深く頭を垂れていた。戦意を捨て、服従の意を示すかのように。

「え……あの」

 戸惑いを隠せないジャスティーナの口から、弱々しく声が漏れる。


 それを聞いて、竜がようやく頭を上げた。

「そのお力はまさしくあのお方と同じ。……あなた様のご帰還をお待ちしておりました。我が主。我らが魔王様」


「えっ……」

「先ほどまでのご無礼をお許しください!」

 竜は、ゴン!と勢いよく岩に頭を叩きつけて平服した。


 ジャスティーナはおろおろと様子を窺ったが、竜はそのまま動かない。

(大丈夫かしら……音からして、今のはかなり痛かったと思うけど。あ、でも皮膚が硬いから、割と平気なのかしら)


 この状況でそんな呑気なことを考えられるくらい、ジャスティーナは目の前の竜に対する警戒心を徐々に解いていった。それほど、竜からは敵意を全く感じなかったのだ。同時に自分の中の恐怖心も次第に薄れていく。


「あの……頭を上げてください。今はそれより、聞きたいことが」

「いいえ、それではあなた様に申し訳が立ちません。この身を滅してでもお詫びを……!」

 竜が頭を持ち上げ再び勢いよく振り下ろそうとしているのを見て、ジャスティーナは慌てて竜の首にしがみついた。

「そういうのはいいから、もうやめて!」


 その瞬間、ある光景が頭に流れ込んできた。

 角を持つ黒髪の女──魔王が竜の頭を撫でている。竜も嬉しそう目を細める。魔王は竜の名を呼んだ。

「ヴィム……!」

 ジャスティーナも記憶のまま、言葉に出す。


 すると、竜の動きが止まった。

「ううっ……」

 竜の声が微かに聞こえて、ジャスティーナは首から身を離す。そして竜を見上げて慌てた。竜が大粒の涙を流しているのだ。


「だ、大丈夫? やっぱり打ち付けた箇所が痛いんじゃ……」

 竜が首を振る。

「……いいえ。そうではありません。再び主に名を呼んでいただける日が来ようとは……!」

 竜──ヴィムは感極まったように、呻きながらさらに涙を溢れさせた。


「ええと、一旦落ち着きましょう。ね?」

 ジャスティーナはヴィムの首にそっと触れた。撫でたり優しく叩いてみたり、ヴィムの涙を止めようと必死だ。正直なところ、呻きながら泣かれる声が大きすぎて頭が痛いので、早く泣き止んでほしい。


 もはや非力な少女と、それに襲いかかる獰猛な怪物ではない。困り顔でなだめる小さな主人と、手のかかる図体のでかいペットという構図だ。


「おお、なんと寛大なお心……」

 しばらくして平常心を取り戻したヴィムが首をかがめて、ジャスティーナの前で頭を下げた。


「顔を上げて。それでは話ができないわ。あなたの目を見て話したいの」

「ご命令とあらば」

 ヴィムは頭を上げると、一度岩から降りた。そうすることでジャスティーナと視線がほぼ同じになる。


 ジャスティーナは竜の赤い目をじっと見つめた。

「同じ目……。さっき、ここに連れてこられる前に、メイザネラの時の記憶の断片を見たの。あなたに乗って、私は自由に空を駆けていた。いつも私に仕えてくれていてありがとう」

「勿体なきお言葉。我らは魔王様にお仕えするのが喜び。そのようなお心遣いは不要でございます。……ところで、メイザネラ様……そのお姿は……いつから人間に擬態しているのですか? 以前と話し方も違うようですし……そのような変身能力をどこで……」

 ヴィムが躊躇いがちに尋ねる。


(……そうか、私が転生を繰り返しているただの人間だということを、ヴィムは知らないんだわ)

 彼にとってはメイザネラが人間に変身しているように見えて当然だろう。


「いいえ。これは擬態でも変身でもないわ。今の私は正真正銘人間なの」

「人間……?」

「ええ。ここは魔王が倒されて千年後の世界なんだもの」

「せ、千年ですと……?」


 絶句するヴィムに、ジャスティーナは、これまでのことを伝えた。魔王は死んで、魔族も滅んだこと。自分は魔王の転生した姿で、最近魔王の記憶を取り戻したこと。人間としての生を繰り返し、どれも短命で終わっていることを。


「そうでしたか……」

 ヴィムは力なく目を閉じた。

「おかしいとは思っていたのです。……あの日、あなた様が人間に倒されてしまった日……我ら魔族も人間の力で地底深く封印されました。暗く深く……しばらくは同胞達の息吹も聞こえてはいたのですが、次第にそれも感じなくなりました。やがて意識も遠のき、私も死を覚悟したのです。……それから、どれほど時が経ったのかはわかりません。私は他の魔族の力を微かに感じ、意識を取り戻しました。それを頼りにもがき、あがき、夢中で暗闇を抜けて……気づくと地上に出ていました。……そこに穴が見えるでしょう」


 ヴィムが視線を森の奥に向けた。ジャスティーナもヴィムの目線を追ってその方向を見ると、遠くの地面に巨大な穴らしきものが見える。

「私は同胞を求めて飛び回りましたが、どうやらここには誰もいないとわかると、その微かな魔力の源を辿るように人間の住む場所へ来ました。そして、ついに見つけたのです。……人間の姿をしたあなた様を」

 ヴィムの視線は再びジャスティーナに戻された。


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