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第9話

 ジャスティーナは、くるりと回って姿見に映る自分を確認した。


 鏡の中には、臙脂えんじ色と白を基調とした学院の制服に身を包み、その上から濃紺のローブを羽織っている自分がいる。

 襟元にキラリと光るのは、星をモチーフにした金色のブローチ。これから入学する魔法学院の生徒である証だ。


(他の荷物の整理は戻ってからね)

 実家から持ってきた数個のトランクを一瞥し、ジャスティーナは改めて周囲を見渡す。


 ここはダリウス王立魔法学院に併設された女子寮の中の一室。広さはジャスティーナが実家で使用していた自室より三分の二ほど。ベッド、机、本棚、ソファなど一通りの調度品が据え置かれている。基本一人部屋なので、他人への気遣いも不要だ。


(私の場合、変化した時の自分の姿を他の人に見られる心配もないから、ありがたいわ。それに静かな環境だし、思ったより落ち着けそう)


 窓の外には、広大な森が広がっている。

 学院は王都の郊外にあり、緑豊かな自然に囲まれるように建っている。街の喧噪を離れ、己と向き合い、技と精神を磨くという理念のもとに成り立っているということなのだが、実際のところは魔法の演習授業のため、市街地よりも少し辺鄙へんぴな場所にある方が都合がいいのだろう。


 今日は入学式当日。今年の新入生は八十名だと聞いている。

朝、入学予定の生徒達は各家から馬車で学院へ到着すると、まず割り当てられた自分の部屋へ向かう。このあと入学式が行われるので、急いで身支度を整えねばならない。


(よし……!)

 ジャスティーナは気合を入れると、部屋を出た。

 式が始まるまでは個人の自由時間だ。早速ジャスティーナは校舎エリアの中庭に向かう。ルシアンと待ち合わせをしているのだ。


 そこは四方を校舎に囲まれ、木が数本生えている広い場所だった。中央には噴水があり、その周囲で歓談している新入生らしき人影も複数見える。


 ジャスティーナは向かいの建物のドア付近で立っているルシアンを見つけて、駆け寄った。


「お待たせ」

 ルシアンはジャスティーナに片手を挙げたが、なぜか何も言わずただ口を開けたり閉じたりを繰り返している。

「ルシアン、どうしたの?」


 ジャスティーナは心配そうに彼の顔を覗き込んだ。

「……ああ、ジャスティーナ。……うん、君の制服が想像以上に似合いすぎていて、思わず言葉が出なかっただけなんだ」

「フフッ、ありがとう。あなたもよ」

 学院の制服を着たルシアンの姿は初めて見るので、何だか新鮮だ。


「あれから、体調や外見に変化は?」

「変わりないわ。ルシアンの力って本当にすごいのね。でも念のため、式が終わったあと、お願いできるかしら?」

「もちろん」

「それとね、聞いてほしい話が」

 ジャスティーナは声を潜めた。


「二日前くらいから、何かの気配を感じるの」

「え……? どういうこと?」

 ルシアンの表情が強張る。

「実家にいる時、窓から誰かに見られている気がして。でも私の部屋、二階なのよ」

「庭の木から動物が覗いているとか?」

「窓の外に木は無いわ」

「そうか……どんな気配なんだ?」

「何だか背筋が冷たくなるような……とにかくいい気分じゃないのは確かよ」


 その時、歓声と共に複数の足音が聞こえて、ジャスティーナとルシアンは同時に振り向いた。

 校舎から現れた集団が中庭をゆっくり進んでくる。その先頭に立つのは、長い銀髪を後ろで束ねた、すらりとした体躯の青年。歩いているだけなのに、その動きはどこか洗練されていて気品が漂っている。


 彼が優雅な微笑みと共に、透明感のある水色の瞳を左右に付き従う女子生徒たちに向ければ、たちまち黄色い声が上がった。

「あ、あれは……」

 ルシアンが絶句する。

「知ってる人?」

「知ってるも何も……彼はこの国の第二王子で、俺達と同い年だ」

「えっ……」

 驚きでジャスティーナも息を呑んだ。

「あの方も新入生なのね、知らなかったわ」


 王族も魔法学院に入り、貴族の子女と共に学ぶということは聞いたことがあるが、まさか自分と同学年だったとは。

「まずい、ここから一旦離れよう」

「え、ちょっと、ルシアン」

 ルシアンは戸惑うジャスティーナの手を掴むと、校舎へ入る一番近くのドアへ足早に歩き出す。


「待ちたまえ、君達」

 しかし、王子が声を掛ける方が早かった。

 王族相手に無視するわけにもいかず、二人は歩みを止め、振り返る。

「ヒューバート殿下におかれましては、ご機嫌うるわしく」

 ルシアンが恭しく腰を折った。ジャスティーナも慌てて頭を垂れる。


「おや、誰かと思えば宰相の嫡男か。久しいな、ルシアン」

「……お久しぶりです」

 ルシアンの声が、少し警戒の色を帯びたように強張った。

「そんな硬い顔をするな。ここでは身分は関係ない、皆平等な学び舎だ。……ところで、そちらのご令嬢は?」


 第二王子──ヒューバートの視線がジャスティーナに移る。

「ヒューバート殿下、初めてお目にかかります。ラングトン侯爵の長女、ジャスティーナと申します」

 スカートを摘み、ゆっくりと膝を折る。ジャスティーナは貴族教育で培った完璧な淑女の礼を取った。

 その姿に見惚れていたのか、ヒューバートの目が細められる。


「ジャスティーナか。素敵な名前だ。親睦を深める意味で式のあとに私の部屋で小さな茶会でも開こうと思っているのだが、君も来ないか?」

「え……?」

「ああ、もちろん男女問わず他にも声をかけてある。君としては私と二人きりの方が良かったかもしれないが、それはまたの機会に設けるから残念に思わなくていいよ」

 ヒューバートは屈託のない笑顔で話を進めてくる。

「あの……」

 ジャスティーナは返答に詰まった。


 何も言っていないのに、なぜ勝手に初対面の王子と二人きりがいいと思われているのだろうか。

 そんなことより、式のあとはルシアンに癒しの力を与えてもらうことになっている。


「申し訳ありません。せっかくのお誘いですが辞退させていただきます」

「何……?」

 ヒューバートの頬がひきつった。まさかこうもはっきりと断られるとは思わなかったのだろう。

「ちょっと、信じられないわ」

「殿下のお誘いを断るなんて」

 取り巻き女子生徒達から、小さく非難の声が上がる。

「まあまあ、君達。そう言うな。きっと彼女は緊張しているだけだ」

「いいえ、全くそういうわけでは」

 ジャスティーナが間髪入れず、きっぱりと答える。

「式のあと、ルシアンとの約束がありますので」

「な、に……?」

 ヒューバートの表情は完全に凍り付いた。

「まあ、殿下のお誘いよりも優先しなければならないことなのかしら」

「とんだ罰当たりだわ」

 女子生徒達がひそひそとジャスティーナを非難する。

「ま、まあ、とにかく私と親しくしておくことは君にとっても損はない。君は私の横に並ぶ価値のありそうな女性だからね」


 ひきつった微笑みを浮かべたヒューバートは、ジャスティーナの頬に手を伸ばしかけたが──その腕をルシアンに掴まれた。

「……何のつもりだ」

 ヒューバートの顔から笑みが消え、鋭い視線がルシアンに向けられる。王族特有の威厳の圧の前に大半の者はひれ伏してしまいそうな状況だが、ルシアンは平然とそれを受け止めると、ヒューバートを真っすぐ見据えた。

「殿下。彼女は俺の婚約者候補です。むやみに触れないでいただけますか」

 今まで聞いたことのないルシアンの低い声に、ジャスティーナは驚いて彼を見る。

 その視線に気づいていない彼は、ヒューバートと無言で睨み合ったままだ。

「王族相手に無礼ではないか」

「ここは平等な学び舎なのでしょう? 先ほどのあなたの言葉をお返ししますよ」


 しばらく硬直状態が続いたが、ヒューバートが先にルシアンの手を振り払った。そしてフッと表情を崩して楽し気に笑う。

「私相手に物怖じしないのは、お前だけだな。ルシアン」

「殿下の言動には昔から振り回されていますから」

 片やルシアンはため息混じりに答える。


「あの、殿下とルシアンはどういう関係なのですか?」

 ジャスティーナは二人に問いかけた。

「父が宰相だから、時々一緒に登城して殿下にもお会いしていたんだ」

「同い年だから、王である父上が私の話し相手にどうかと、宰相に打診したことがきっかけでね」


 先ほどと同じ笑顔に戻ったヒューバートが、ずいとジャスティーナの前に一歩出る。

 すかさず彼の肩に手を置いたルシアンは、それ以上進ませないように、手にぐっと力を入れているようだ。

「何が話し相手ですか。それに留まらず時には剣術の相手をさせられたのはいいとして、よく無茶ぶりな遊びにも付き合わされましたけどね」

「ああ、懐かしいなあ」

 ヒューバートが屈託なく笑うと、ルシアンのため息はさらに深くなった。


「まあ、そうだったの」

 知られざる二人の関係に、ジャスティーナは驚く。

「ところで、ジャスティーナ嬢はまだ婚約者候補なんだろう? だったら、お前の許しは特に必要ないんじゃないか?」

「そ、それはそうですが……」

 ルシアンが言葉に詰まる。

「なあ、ジャスティーナ嬢。君もそう思うだろう?」

「そうかもしれませんが、お茶会はお断りいたします」

「私の誘いよりもルシアンとの約束を優先する、と?」

「はい」


 ジャスティーナにはわからなかった。一度断ったのに、なぜこの王子様はしつこく誘ってくるのだろう。

(……それに私の不安は殿下にはわからない)

 継続的にルシアンから癒しの力を与えてもらわなければ、自分の身体がどうなるか。

 でも、自分の事情を他人に軽々しく説明することはできない。


 ジャスティーナはなるべく当たり障りのない言い方をしようと、自分なりに考えた。

「とにかく、私の身体はルシアン無しでは生きられない身体──」

 話している途中で、突然ルシアンの手で口を塞がれる。

「ジャスティーナ! もうすぐ式の時間だ。さ、会場へ向かおう。殿下、失礼しますっ!」

 ルシアンはジャスティーナの手を取ると走り出し、中庭をあとにした。


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