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第8話

「え、ちょっと?」

 ルシアンの腕の中に閉じ込められたジャスティーナが驚いて身を離そうともがくが、彼の身体はびくともしない。

「俺は諦めたくない」

 落ち着いた声が、ジャスティーナの耳のそばから聞こえてくる。

「君が長く生きられなかったのは、過去のことだ。今回もそうだと決まったわけじゃない」

「だから、さっきも言った通り──」

「幸い、君はこれから学院に入学する」

 力強いルシアンの声が、ジャスティーナの発言の続きを遮った。

「多くの目がある中で、君を害しようと大胆な行動に出る人間はそうはいないと思う。すぐに捕まってしまうしね。もし、万が一そんなことを企てている奴がいたとしても、密かに行動に移そうとするはずだし、実行までにはそれなりに時間を要する。俺達は常に周囲の言動に気を配り、少しでも危険を察知したら相手側の出方を待っている間に、回避もしくは撃退する方法を考えよう」

「だけど、事故はどうしようも……」

 ジャスティーナは腕から逃げ出す抵抗を止め、力なく呟く。

「何のために、俺達は魔法を学びにいくんだ。学院の授業は座学だけじゃなく、実戦や模擬試合もあるだろう? 上達した君の力を見せつけ付けることで、狙っても意味がないことを周りに印象付けるんだ」

 ルシアンは身体を離すと、ジャスティーナの両肩に手を置いて、彼女の瞳を覗き込んだ。

「昨日、俺が言ったことを覚えている? 学院で風魔法の力を高めることで己を鍛えて、自分自身をコントロールできるようになるかもしれないって話したこと」

「ええ。それが魔王の力を制御できる可能性があるかもしれないから」

「もちろんそうだけど、君が自分の力で突発的に降りかかる災難を防げることにも役立つと思う。……だから」

 ルシアンは肩から手を離すと、ジャスティーナの手を握った。

「死ぬだとか、先が無いだとかそんなことは言わないでほしい」

 懇願するような眼差しを向けられ、ジャスティーナの胸がズキンと痛む。

(ああ、やっぱり、ルシアンにこんな顔をさせてしまった)

 ずっと家族のように育ってきた優しい彼が、心を痛めることは予測できていた。だが、それでもこの話をすると決断したのは自分だ。

 入学前に、どうしても話す必要があった。

 いつ死を迎えるかわからない自分は、彼の伴侶には相応しくない。たとえ、無事に卒業して正式に婚約したとしても、その数年後、妻の亡骸を前に悲しむルシアンの姿を想像して、ジャスティーナは胸が苦しくなった。

 ルシアンにはそんな未来を背負わせたくない。優しい彼には、これからも穏やかで明るい道を歩んでいってほしい。

(そう……私ではない、誰かと)

学院には国中の貴族の子女がやってくる。その中には、ルシアンに相応しい令嬢もいるはずだ。ルシアンが真実の愛を見つけて幸せになってくれるのなら、これほど嬉しいことはない。

 だから、この話をすれば、ルシアンも将来のためにジャスティーナから離れようとするのではないかと思ったのだ。

(それなのに)

 ルシアンの反応はいつでも自分の予測とは外れる。自分が元魔王だと知ってもそばにいると言ってくれた時と同様に。

 相変わらず見捨てず励まし、これからどうすべきかをアドバイスをしてくれた。しかも共に見えない脅威に立ち向かってくれるという。頼もしいことこの上ない。

(だからこそ、ルシアンは私にはもったいないのよ)

 黙り込んで顔を伏せてしまったジャスティーナを心配してか、ルシアンがそっと声をかける。

「君が人生を諦めて暗い顔をしていたら、彼らも心穏やかじゃないよ。ほら」

 ルシアンはジャスティーナから手を離すと、応接室のドアを指差した。

 ジャスティーナも視線を動かす。

 ルシアンがシーっと人差し指を口元に当てたので、黙って耳を澄ました。

 すると、ドアの外から小声が聞こえてくる。子供の声だ。それも一人ではなく。

「そんなに近付いちゃだめよ」

「だって、こうしないと聞こえないだろ」

 ジャスティーナはそっと席を立つとドアへ近づき、開けた。

 そこには十歳ほどの少年と少女が立っていた。そろそろとジャスティーナを見上げたあと、二人は互いに気まずそうに顔を合わせる。

「何をしているの? カイル、パトリシア」

 ジャスティーナの問いに、少年がおずおずと口を開く。

「お姉様とルシアンお兄様が何を話してるのか気になって」

 すると、横にいた少女が手のひらを上に向けて、呆れたように口角を上げた。

「お姉様、カイルはこの前もルシアンお兄様に遊んでもらえなかったって拗ねているだけなの。だからどうぞ許してやって」

「何だよ、パトリシア! 二人のところに行って秘密の話を聞こうって言い出したのはお前だろ!」

「誘いに乗っておいて、偉そうにしないでよ!」

 言い争いを始めた二人を見て、ジャスティーナは嘆息する。

部屋の中を振り返ると、ルシアンが微笑んで頷くのが見えた。

「二人とも、そんなところで大声を出すものではないわ。ほら、ルシアンの許しも出たし、とにかく中へお入りなさいな」

 ジャスティーナがドアをさらに開くと、二人はパッと表情を明るくした。

 弟のカイルと妹のパトリシアは五歳下の双子だ。ジャスティーナと同じ金髪に青い目で、とても愛らしい容姿なのだが、二人とも互いに自分の方が兄だ姉だと言い張るほどの負けず嫌いで、ジャスティーナの性格とは正反対。

 でも、いざという時は無意識ながら二人とも助け合って行動しているし、素直で明るい子達だ。

 ジャスティーナが元の席に戻ると、双子はすでにルシアンの左右に陣取って座っていた。

「ルシアンお兄様、もうすぐご入学おめでとうございます」

「これからしばらくお会いできないなんて、パトリシアは寂しいです」

 ルシアンは穏やかな笑みを浮かべたまま、二人の頭を優しく撫でた。

 ジャスティーナが大切にしている弟妹を、ルシアンも同じように思ってくれている。

 カイルとパトリシアも、歳が離れすぎて遊んでもらった記憶がない実兄より、物心つく頃から親しくしてくれているルシアンによく懐いていて、とても慕っているようだ。

「ルシアンお兄様。卒業してお姉様と結婚しても、こうして僕達に会いに来てくれますか?」

「ああ、もちろんだ──」

「カイル。まだ私達は結婚すると決まったわけではないのよ。不確かなことを言ってルシアンを困らせてはダメよ」

 ジャスティーナは弟をやんわりとたしなめた。

「はーい……」

 少し肩を落とすカイルに自作のクッキーを勧め、パトリシアにも同様に振る舞う。双子が笑顔で喜んでいる姿を見て、ジャスティーナにも笑みがこぼれた。若干、ルシアンに元気がないような気がするが、気のせいだろう。


 しばらく四人でお茶とお菓子で談笑を楽しんだあと、ルシアンは帰って行った。

 カイルとパトリシアを彼らの部屋まで送っていき、ジャスティーナは一人自室に戻った。

 窓辺に立ち、茜色に染まり始めた夕刻の空を見上げる。

(ルシアンが次に来てくれるのは、明後日ね)

 帰り際、そういう約束を交わしている。明日でなくて明後日にしたのは、彼から与えられた癒しの力がどれだけの時間、効力があるのか、確かめたかったからだ。

 昨日、彼に癒しの力を与えられて、今日は髪と瞳に変化は見られなかった。つまり、最短でも一日は持つということになる。しかし、学院に入学したあと、毎日彼に会えるという確証はない。

だからこそ、この効力の時間をある程度把握しておく必要があるのだ。もし、明後日までに髪や瞳の色に変化が見られたら、部屋に引きこもり、使いを出してルシアンに来てもらう手筈になっている。

 急に呼び出してしまうことになったら申し訳ないと頭を下げようとするジャスティーナを制して、ルシアンは力強く言った。

 何かあったら遠慮せずに自分をすぐに呼ぶように、と。

 本当に優しい人だと、つくづく思う。

 そして、自分は彼に何を返せるのだろうと、自問する。

(何もないわ。……出来るのはルシアンに相応しい相手を探して、婚約者候補の座から退くこと)

 今日、伝えねばならないことは伝えた。それを聞いて彼がどんな反応をするのか分かっていた上で。

(やっぱり私は残酷だわ)

 胸の奥がズンと重くなり、ジャスティーナは深く息を吐き出した。

(でも……さすがにこれだけは言えなかった)


 今後、もし自分の中の魔王が覚醒して暴走した際は、ためらいなく殺してほしい──という願いを。


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