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第6話

 その日の夜。

「数日ぶりにこうしてお嬢様の髪をとかすことが出来て、私は幸せですわ」

「いつもありがとう、サラ」

 鏡台の前に座ったジャスティーナ、鏡に映る背後のメイドへ声をかける。サラと呼ばれた、赤茶色の髪を丁寧にまとめたメイド服姿の女性は、にっこりと微笑んだ。ジャスティーナより十歳上で、いつも身の回りを世話してくれている。

 髪の色も元に戻り、久しぶりに手入れされる感触に、ジャスティーナも癒されていく。

「でも、昼間の出来事がすべて演技だということがわかって、安心しました」

「え、ええ、そうね……驚かせてしまってごめんなさい」

 ジャスティーナは言葉を濁しながら謝った。

 書斎でルシアンから話を聞いたラングトン侯爵に、「早く使用人たちにこの事実を伝えて、安心させてください。ジャスティーナが悪女のような振る舞いをしたとの噂はすぐに広まります。誰かが外に持ち出して話してしまう前に」と、ぬかりなくアドバイスしたのもルシアンだ。それを聞いた侯爵は「おお、そうですな」と慌てて部屋を飛び出していった。

 幸い、外に出る者はいなかったため、〝ジャスティーナの醜聞〟は漏れることなく、〝ルシアンの語った真相〟が使用人たちの記憶に上書きされた。

 普段のジャスティーナの振る舞いに、彼らがいかに好感を持っていたかが分かる。

「私もその場にいましたけど、まさに迫真の演技でしたわ」

「そんな迫真の演技だなんて……いいえ、そうかも」

 ジャスティーナは自分の行いを振り返る。あの時は本気で彼に嫌われようとしたのだ。

 君を見損なった、とルシアンには呆れられるだろうと思っていた。でも彼には自分の演技も嘘も通用しなかった。

 それどころか、幼馴染の強い絆で優しく手を差し伸べてくれたのだ。

(私だったら、あんなことを言われたら心が折れるわ。そうよ、だからこそ思いつく限りの言葉で罵ったのに……ルシアンは優しいだけじゃなく精神面も強いのね。さすが宰相の息子、名門ベレスフォード公爵家の次期当主だわ)

 改めて彼のすごさに感心してしまう。

「ルシアン様の演技もお見事でしたわ。まるで主人に捨てられた子犬のようで、見ている方も辛かったのですけれど、演技だとわかってホッとしましたわ」

 サラは幼少期から自分に仕えてくれているからか、ルシアンに対する率直すぎる感想を耳にしても、ジャスティーヌは気にならない。

「捨てられた子犬……想像しただけで胸が痛いわ」

 果たしてルシアンはそんな顔をしていただろうか。思い出せない。

「ルシアンは犬じゃないし、それにどんな動物でも私は可愛がるわ」

「……お嬢様にはこの手の例え話は難しゅうございましたね」

 サラは苦笑する。

「学院にメイドを連れて行くことは許可されていますのに、お嬢様は本当にお一人で行かれるおつもりなのですか?」

「ええ。お父様もお母様も私の好きにしたらいいと仰ってくれてるの。ルシアンも誰も連れて行かないって言っていたし、学院の制服は難しくないし一人でも着られるわ。もし正装のドレスを着用しないといけない時は、着付けてくれる人たちを学院側が呼ぶそうよ」

 前々から一人で行くことを決断しておいて良かったと、ジャスティーナは思った。いつ髪と瞳の色が変化するか分からない。誰かに見られたら面倒だ。

「大丈夫、一人でもいろいろ出来るのよ」

 ジャスティーナは微笑む。

「そうでございますか……。でも、もし何かあればすぐにお知らせくださいね。このサラ、いつでもお嬢様のおそばに参りますので」

「ありがとう。お父様とお母様、弟妹のこと、お願いね。お兄様はあまり帰ってこないからいいけど……でも、たまに顔を見せたら、お好きなお菓子を出して差し上げてね」

 ジャスティーナの二十三歳の兄は、王太子の執務書記官だ。根っからの仕事人間で、王城に泊まり込むことの方が多い。

「はい、かしこまりました」

 サラも口角を上げると、再びジャスティーナの髪をとかし始めた。

「そうそう、使用人たちの間で噂しておりますのよ。お嬢様は女優の素質がおありだ、と」

「女優?」

「先ほどの演技に皆、圧倒されたのですわ。どの劇団でも瞬く間に人気が出るに違いないですわ。でも、こんなこと旦那様に聞かれたら怒られますけど。」

「ふふ、もうその話はよして。それにしてもサラは本当に観劇が好きね」

「それはもう! 昔から私の楽しみですから」

 サラはたまの休みの日には、必ずどこかで観劇をするのが決まりだ。その話を聞くのが、ジャスティーナも楽しみだった。

「髪はもういいわ。明日はルシアンも来るし、早めに休むわね」

「はい、お休みなさいませ」

 サラは丁寧に一礼して、退室する。

 ジャスティーナは窓辺へ進むと、そっと開けた。

 夜風が心地よくて、目を閉じる。

「女優、か……」

 目の裏には、くすんだ木目の舞台が浮かぶ。

 観客を前に、煌びやかに舞う踊り子たち。舞台裏に引っ込むと、一転、そこは舞台備品や役者や裏方の人間で溢れる、慌ただしい喧噪の中。場面転換のため、手動の装置が回る。そして、次の衣装に着替えた役者たちが表へ飛び出していく。

(あの時は、まだ下っ端で役名なんかなかったけど……)

 名もなき見習い役者だったこともあった。

 料理店で働いていたこともあった。

 針子として、一日中生地と向き合っていたことも。

 孤児院を手伝って、子供たちの面倒を見ていたことも。

(そう……私は魔王として生を終えた後、いろいろな人間として、さまざまな生を送ってきた)

 いわゆる、転生という現象だ。

 同一人物ではなく。

 違う場所、違う環境で、違う容姿を持って生を受け、やがて終わる。

 もちろん、ジャスティーナ・ラングトンとしての生もこれが初めてだ。

(まだ思い出せていない人生も、あるのかもしれないけれど)

 明日、ルシアンに話そう。

 学院で突然過去の習性に伴って、おかしな行動をしても驚かれないために。

(それに、私がルシアンの婚約者候補から外れたいと願ったのは、魔王だったこともあるけれど……もう一つ、理由がある)

 それを伝えた時、ルシアンはどんな顔をするだろうか。

 優しい彼だから、きっと悲しむだろう。

 でも、伝えなくてはならない。

(私は……残酷な人間だわ……)

 ジャスティーナは窓を閉めると、胸に重みを抱きかかえたまま寝台に潜り込んだ。




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