数分後、ジャスティーナがルシアンを連れて訪れたのは、父の書斎だった。
「お父様、先ほどは申し訳ありませんでした」
椅子に座っていたラングトン侯爵は娘の顔を見るなり、怒りで眉を吊り上げると腰を浮かせた。足早にジャスティーナに近付いて大きく口を開きかけたが、ルシアンがすぐさま彼女の前に立ちはだかったので、侯爵もそれ以前に進めない。
「ラングトン侯爵、どうか彼女を怒らないでやってください」
「しかし、娘は貴殿に無礼を──」
「申し訳ありません。これには理由がありまして。全ては僕が彼女に頼んで演技をしてもらったんです」
「……は?」
侯爵は首を傾げる。
ルシアンは微笑みを浮かべ、穏やかに言った。
「実は僕の友人の子爵家が、とある劇団に出資をしていまして。その家は家族揃って観劇好きなのですが、友人も触発されて、自分で脚本を書いてみたいと言い出したんです。どうやら恋愛劇を目指しているらしいのですが、展開に行き詰っているみたいで、僕に相談をしてきました。結婚するかもしれない女性からフラれる男の心境はいかがなものか、と」
「はぁ……」
突然の話に、侯爵はただ相槌を打つばかりだ。
「僕も友人の力になりたいが、僕にはその経験がない。そこで、ジャスティーナには事前に事情を伝えて、今日、実践してもらったんです」
「……ええと、つまり、全ては演技だったと?」
「はい。仰る通りです」
ルシアンの後ろで聞いていたジャスティーナは、父が納得してくれるか不安になった。
(無理があるんじゃないかしら……)
背中越しに父の様子を窺う。
「侯爵、あなたもご存じのはずです。ジャスティーナは誰にでも優しく、虫も殺せない天使のような女性だということを」
(やっぱり無理がある……それに、さすがに褒めすぎよ、こっちが恥ずかしいわ……!)
ジャスティーナは恥ずかしさと緊張で息が苦しくなってきた。
「まあ、確かに私も娘のあのような態度は、何かの間違いだと思っていましたが……ですが、部屋から出てこなかった理由は?」
「ジャスティーナもご家族と離れるのが急に寂しくなってきたみたいで、精神的に不安定になっていたようです。何よりあなた方ご家族を大切にしていますから。そうだね、ジャスティーナ?」
ルシアンが振り返って同意を求めてくる。ジャスティーナは急いで笑顔を作ると、頷いた。
「え、ええ。そうなの。心配をかけて本当にごめんなさい」
ルシアンの作り話に乗ってはいるが、心配させたのは事実なので、そこは真摯に謝る。
すると、侯爵はジャスティーナのそばまでやってきて、そっと肩に手を置いた。
「そうだったのか。私も気づいてやれず、強引に部屋から出そうとそればかり考えていた。すまなかった」
「お父様……」
父の言葉にジャスティーナの胸がじんと熱くなる。その様子をルシアンが穏やかな眼差しで見つめていた。
「侯爵が納得してくれて本当に良かったね」
「私は、あんな短時間でそれっぽい嘘を思いつくルシアンに感心してるわ」
「大丈夫、君には嘘はつかないよ」
ジャスティーナはルシアンの帰りの馬車まで、見送りに出た。
「あまり眠れてないんじゃないか? 無理しないように」
「本当に良く見てるのね。実は不安のせいか、眠りが浅かったの。でも今は身も心も軽いから今夜はぐっすり眠れそうよ」
「それなら良かった。じゃあ、明日も来るよ」
「ええ。待ってるわ」
馬車に乗り込もうとしたルシアンの上着の裾を、ジャスティーナは引っ張る。
「どうした?」
「あのね、ルシアン。その……お花をありがとう。センスないなんて思ってないから。とってもきれいだった!」
「うん。喜んでもらえて嬉しいよ」
「それと、真面目で一緒にいてつまらないなんて、少しも思ってないから! ルシアンと一緒にいると楽しいし、いつも安心できるの。ルシアンは誠実で真面目で、とても素敵な人よ!」
「……っ」
「だから、私の発言で自信なくしてほしくなくて……あら、顔が赤いけど、どうしたの?」
「……何でもない。それじゃあ、また明日」
ルシアンはそう言い残すと顔を背けて、馬車の中へ引っ込んでいった。