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第3話

「ルシアン、離して!」

 ジャスティーナは慌ててルシアンの手を振りほどこうとする。

 だが、彼の力は強く、離れそうにない。

「私に近づいてはだめだと言ったでしょう⁉ あなたにどんな影響が出るのか分からないのよ⁉」

「俺には君が苦しんでいることの方が、よっぽど耐えられない」

 ジャスティーナは手を振りほどく動きを止めた。

「ど……うして、そこまで私を……? 私を気味悪く思わないの……?」

「何を言ってるんだ。君はジャスティーナのままだ。今一番不安なのは君自身なのに、周りの人たちのことを優先に考えて自分が消えるべきだと考えている。大丈夫、いつもと変わらない優しい君のままだよ」

「……っ」

 ジャスティーナの瞳が大きく見開き、みるみるうちに涙で溢れていく。

(そうだわ、私はずっと不安だった。この気持ちを誰にも打ち明けられなかった。でも本当は誰かに、大丈夫って言ってほしかった……!)

 温かい雫が頬を伝った時。

 黒い靄が徐々に薄まり、やがて完全に消滅した。

 視界が晴れ、目の前には真剣な眼差しのルシアンの姿。

「ルシアン……一体何が起こったの?」

 ジャスティーナは驚いて彼の目を見つめ返した。

「私はあの靄を消し去るのに、少なくとも二時間はかかったわ。それがほんの数秒で……ルシアン、水の魔力を使ったの?」

 それにしては、自分たちも部屋も、少しも濡れていない。

「いや、それは使ってないよ。ただ、たとえ俺の身体が傷ついても絶対に君の腕を離さないって必死だったのと、君を救いたいと強く念じて……あ、そうか!」

「どうしたの?」

「もしかしたら、俺のもう一つの力が作用したのかもしれない」

「もう一つって……癒しの力?」

 ルシアンには水の魔力以外に、癒しの魔力も内に秘めている。基本的に人が持って生まれるのは四大元素の魔力であるが、ごく稀に癒しの力を持つ者もいる。

「幼い頃、よく庭で一緒に遊んで、私が転んで怪我をしたり擦り傷を作ったりした時は、ルシアンに治してもらっていたわね。だから治癒能力だと思っていたわ。魔王の力にも対抗できるのね」

「確信は出来ないけど、その力が働いた可能性は大きい。それに、俺の力がどこまで及ぶのかも分からない……あっ」

 ルシアンが顔を近づけ、ジャスティーナの瞳を覗き込む。

「な、何?」

 驚いたジャスティーナは思わず顎を引いた。

「ジャスティーナ……瞳の色が戻ってる」

「えっ⁉」

 ジャスティーナは急いで立ち上がろうとしたが、身体が重く、すぐに動けない。

「ほら、掴まって」

 ルシアンが立たせてくれたので、支えられながらゆっくりと鏡台へ向かう。

(本当だわ……!)

 大きな鏡に映るのは、青空のような青い瞳。どこも変色していない。

「ルシアン、見て! 髪も戻ってる!」

 ジャスティーナは顔の左右の髪を前に持ってきて目を輝かせると、身体の向きを斜めにして背中を確認しようとする。

「ルシアン、後ろを見てくれない? 自分じゃ分からなくて。元に戻ってる?」

「ああ、大丈夫だ。毛先まで綺麗な金色だよ」

「良かった……」

 ジャスティーナはくるりと半回転すると、ルシアンに向き直った。

「ありがとう。あなたのおかげね」

 柔らかく微笑む。

「気分はどう? 今でも魔王の力を感じる?」

「今は内側の深いところに上手く抑えられてるみたい。とても清々しい気分よ。久々に家族と食事が出来そうだわ」

「それは良かった。ご家族も心配しているだろうから」

「ええ。でも」

 ジャスティーナの表情が少し曇る。

「私の中で完全に消えたわけじゃない。いずれまた姿が変わって、人前に出られなくなるわ」

「そんなことはない。俺が力を尽くすよ」

「不可能よ。だってルシアンは学院に行くでしょう?」 

「そうだね、父は俺が入学を拒否するのは絶対に許さないはずだから」

「離れたら、あなたの力に頼ることも出来なくなるわ」

「だから、君も行くんだ。ジャスティーナ」

「……え?」

 思ってもいなかった言葉に、ジャスティーナは口を閉じることを忘れた。

 そんな彼女の手を、ルシアンは優しく取る。

「よく聞いてほしい。確かに君が心配する通り、またいつか、さっきみたいに姿が変わってしまうかもしれない。魔王の力が抑えらなくなる日が来るのかもしれない。でも、それはここに留まって何もしなかった場合だ」

 ルシアンは真剣な表情で続ける。

「俺の癒しの能力にどれほどの効力があるのかは分からないけど、そばにいれば君のために力を尽くすことができる。いざという時に君を助けることができる。それに、行先はこの国随一の魔法学院だ。魔王の力を抑える手立てが見つかるかもしれないし、君も風魔法の力を高めることで己を鍛えて、自分自身をコントロールできるようになるかもしれない。とにかく、ここにいて、ただ成り行きに身をまかせているだけではだめだ」

 ルシアンはジャスティーナを握る手に、少し力を込めた。

 二人の間に沈黙が流れたのち、ようやくジャスティーナが口を開いた。

「ルシアン……あなたは本当にすごいのね」

 小さくため息をつく。

「私は自分の正体に怯えてばかりで、自分自身をコントロールしようだなんて思わなかった。前に進もうとは考えてもいなかったわ」

「そう思うのは仕方ないよ。俺も、説教みたいなことを言ってごめん」

「いいえ。あなたが励ましてくれたおかげで、少し気持ちを持ち直したわ」

 ジャスティーナはルシアンの手に、自分の手を重ねる。

「私……学院に行く。何かいい方法がないか見つけるわ」

「そうか、良かった!」

 ルシアンは顔を綻ばせ、ジャスティーナを抱きしめた。

 しかし、すぐにパッと手を離す。

「ご、ごめん……!」

「ふふ、ありがとう。心配してくれて。ルシアンは昔から優しいわね」

 抱きしめられてもジャスティーナは動じることなく、微笑んだ。

「念のため、明日も来てくれる? また髪や瞳の色が変わってしまうと思うと、不安なの」

「もちろん。入学するまで毎日来るよ」

「ありがとう。入学準備で忙しい時にごめんなさい。……それと、さっきは本当にごめんなさい」

「さっき?」

「玄関ホールでのことよ。バラの花束で殴ってしまったこと。あの花束は、引きこもってしまった私を元気づけるために持ってきてくれたのよね。それに、あなたを口汚く罵ってしまって。本当にごめんなさい!」

 ジャスティーナは深々と頭を下げる。

「い、いや、そのことなら、もう大丈夫だから。顔を上げて」

 ルシアンは慌てた様子でジャスティーナの両肩に手を置く。

「君が本気で僕の婚約者候補を辞めたいと思っていなくて、本当に良かったよ。それだけで充分だ」

「……ルシアンは優しすぎるわ」

 顔を上げたジャスティーナの目尻に浮かぶ涙を、ルシアンは指先でそっと拭う。

「それより、君の父上の誤解を解かないと。父上だけじゃない、あの場にいた使用人たちも」

「そ、そうだったわ……」

 ジャスティーナは青ざめた。

「お父様はとてもお怒りよ。勘当されるかも。……でもその方が、私がここを去る理由になるかも……」

「待ってくれ。話が元に戻ってる。気弱にならずに、ここは俺に任せて」



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