レムネアがお風呂に入っている間に洗い物を終えた俺は、居間で横になってスマホを弄っていた。
さっき立てた銀貨のスレを見てみたり、『エルフ』のことを調べてみたり、似たような異世界転移の噂なんかがないかなとググってみたり。
まあもちろんそんな物はなかったけどね。
彼女どうなるのかなぁ。
今日くらい泊めるのは構わないけど、明日はどうするのか。その先はどうなるのか。
俺が手を貸してやればいいだろって?
なかなかそんなわけにも行かないよ。俺もまた、この先大変なんだから。
そうこうしてスマホをテーブルに置いた頃、頭をバスタオルで拭きながらのレムネアが、居間に戻ってきた。
目が合うと、彼女は顔を赤くする。
途端、レムネアの白い肌が俺の脳裏にフラッシュバックしてしまった。
気まずい。
「や、やあレムネア。どうだったウチの風呂は」
「え、ええ! 最高でした。慣れてみればお湯の温度調整もできましたし、湯船も大きくて」
「そうか!」
「はい!」
互いに元気よく返事をしあったあと、しばらく無言で顔を見合わせた。
やっぱり少しぎこちない。意識すればするほど、さっきの裸が頭の中に。散れっ、ほら散っていけ。いかんいかん。
沈黙に耐えられなかったかのようにレムネアが話題を追加してきた。
「か、香りが最高でした。あれはなんでしょう、木の香りなのですよね? とても鼻に心地好かったです」
「あ、ああ。ヒノキっていう木を使ったお風呂なんだ。良いよな、俺も初めて入ったときには香りの良さにビックリしたよ」
満足頂けたようで、俺は嬉しい。
俺も話題を追加していく。
「着替えはどうだ? とりあえずありもののシャツとジーンズを出しておいたんだが」
「……このシャツはさらさらで良いですね。ズボンの方は、ちょっとゴワゴワしてますけど面白い履き心地です。どちらも私の世界の服と比べると生地が断然いいです。よほどの高級品なのでしょうね」
いやぁ。俺は苦笑した。
『外国人』などと正面に大きくプリントされたシャツが高級品なわけもなく。
「安物だよ」
「これが安物!?」
ビックリ顔でシャツを伸ばして『外国人』のプリントをしげしげ眺めるレムネアだった。安物だろうと、彼女がジーンズと合わせて着るとやたら絵になっているのが驚きだ。
それもそのはず。
頭が小さくて腰の位置が高い上、出るトコ引っ込むトコがしっかりしている。
日本人とは違うプロポーションというだけでなく、たぶん外国人と比べても素晴らしいバランスをしているに違いない。
まるでモデルのようだ。
「この世界の技術は凄いのですね……。先ほどから驚かされてばかりです」
どうやら風呂場でのアクシデントことを忘れてもらえたようだ。
俺も忘れることにしよう。いつまでもぎこちなくしてても仕方ないしな。
冷たい麦茶を彼女に渡し、訊ねる。
「さて客間に布団を敷いておいたけど、どうだもう寝たら。今日は疲れているだろう?」
「ケースケはまだ寝ないのですか?」
「俺はもうちょっと起きてるよ。色々あって畑に仕事道具を忘れてきたのを思い出した、それも取ってこないとな」
「畑というと、私が最初に倒れていたところでしょうか」
俺が頷くと、レムネアも付いてきたいと言った。
「別に構わないけど、夜だから気をつけてな」
「大丈夫です。魔物が出たとしても、ケースケを連れて逃げるくらいは私にもできます」
「だから魔物は居ないんだって」
苦笑して、俺は立ち上がった。
二人で家を出て、畑へと向かう。
畑は、曲がりくねった坂道を少し降りたところにある。
ジー、ジー、と虫のなく中、懐中電灯を照らして歩いていく俺たち。
街灯もあるにはあるが、都会に比べたら数が圧倒的に少ない。
まばらに立つ街灯と街灯の間の暗い道を、星を見上げながら進むのだ。
「ここがウチの畑だよ」
「え? これが……畑? 雑草が生えてるだけにしか見えませんが……」
「休耕地なんだ。これから俺が、この土地を畑に戻していく」
俺はそう笑って、少し草を分け入り奥へと入っていく。
「んで、そこがキミの倒れていたところだよ、レムネア」
懐中電灯で照らし出すと、彼女はそこにしゃがみ込んだ。
「そうですか、私はここに」
そのまま辺りを見渡し、少しガサゴソ。
レムネアは草の中を移動した。
「一緒に落ちていたのは杖だけだったのでしょうか?」
「え? ああそうだな、他の物には気づけなかった」
「……残念です。バッグでも残っていてくれれば、色々と便利な道具も入っていたのですが」
そうなのか。
見覚えはないけど、あのときは焦っていたしな。
「わからない。もしかしたら明るい時間に見直してみれば、落ちているかもしれない」
「なるほど」
「なにぶん凄い雑草だからな。見落としてる可能性も十分あるよ」
「いやいいんです、もう帰れるわけでもなさそうですし。考えてみれば、もうあのバッグも不要というものですから」
帰れるわけでもない。
そういったレムネアの声は、少し寂しそうだった。
しんみりした空気が漂う。
「あ、いえ! 別に良いのです!」
「ん?」
「妙に湿っぽくなってしまいましたが、帰ったところで私を待つものがいるわけでなし。この世界でやっていくのもやぶさかじゃありません、気にしないでください!」
「そっか」
俺は敢えて明るい調子の声で応えた。
「それじゃあ、気にしないでおく。じゃあ帰ろうか、道具を片付けないと」
「その前にケースケ。この土地を畑に戻すと言ってましたが、ここの草を全部抜いて耕すのですか?」
「そう。まずはそれが、俺の当面の仕事だ」
レムネアは立ち上がると、俺の顔を見た。
「ここにある草を全て抜けばいいのですね?」
「うん? そうだけど」
「それだけで良いのでしたら……」
彼女が口の中でなにかを唱えだした。
それが呪文というものだと気がつくのに、俺はしばし掛かる。
『
どこからともなく、彼女の右手の中にあの杖が現れた。
例の赤い宝石が台座でビヨンビヨン、の杖だ。
レムネアは、その握りしめた杖を両手を上げて空に掲げる。
そしてまた何かを詠唱したかと思うと。
『
ズボッと。――最初は一つの音が聞こえただけだ。
「おおお?」
俺の目の前で、雑草が一本。長い根ごと土の中から浮かび上がった。
「な、なんだこれ?」
「魔法ですよ」
「ま、魔法!?」
彼女が空を飛んでいたのを思い出した。そうか、これが魔法。
そして次の瞬間。
「うおおおおおお!?」
ズボズボ、ズボズボッ!
ズボボボボボボッッ!
雑草が次々と地面から浮かび上がる。
ざあ、と風が吹いたかと思うと軽く渦巻き、土ごと雑草を巻き上げていった。
月夜の空に舞い上がっていく雑草たち。
その光景は、まるで夢のよう。草が空で踊っているように見えた。
えええええ、これはなに?
信じがたいことだけど、確かに目の前で起こっている。
これが、魔法? 本物の、魔法?
まったく現実感がない。
映画の特殊効果を見せられている気分だ。
俺は、目の前で杖を掲げているレムネアをぼんやりと見やりながら、半開きの口を閉じることができなかった。
ポカン、とこの光景を眺めていることしかできぬまま、気がつけば畑から抜かれた雑草が山になっていた。
「……すごい」
「そうですか? ただの生活魔法ですけど」
「いや、凄いだろこれ!」
「きゃっ!?」
思わずレムネアの両肩に手を置き、彼女の身体を揺すってしまう。
「なにが落ちこぼれだよ。こんなの凄いじゃないか見たことない!」
「な、なにを驚いているんですか、この程度の魔法で」
「そりゃ驚くよ!」
俺が驚いていることに驚いてる様子のレムネアに、俺はこの興奮を伝えた。
「だって、こんなこと! 手で作業したら一ヶ月近くは掛かる作業だぜ!? それが一瞬、こんなの驚かないはずがない。レムネア、キミは凄いぞ。もっと誇るべきだ!」
「い、いえ、そんな……私なんて」
そんな、じゃないよ。
ああもどかしい、この衝撃をどう伝えたらいいんだろう。
俺が言葉に困りながら彼女に気持ちを伝えていると、どうしたことだろう彼女は突然泣き出してしまった。
「ど、どうしたのレムネア」
「だって……、こんなに褒められたのも、喜ばれたのも初めてで……」
「泣くなよ、泣くなって」
「私は、私は……!」
なだめようとして俺はオロオロ。
女の子に泣かれてしまうなんてのは初めての経験なので、どうしていいかわからない。
「ふあぁぁあぁぁぁ……!」
月の照らされながら、彼女は泣き続けたのだった。
◇◆◇◆
昨晩はなんだかレムネアに泣かれちゃったなぁ。
『済みません、嬉しかったんです』とか言ってたけど、あの後はずっと無言でなにか考えごとしていたみたいだった。
あまり思い詰めてないといいんだけどな。
そう思いながら居間に行くと、レムネアがピシッとした姿勢で立っていた。
「や、やあおはようレムネア。よく眠れたかい?」
「ええ、大丈夫です。昨晩は申し訳ありませんでしたケースケさま」
……ケースケ、さま?
俺はその改まった呼称に、苦笑をしてみせた。
「なんだよ気持ち悪い呼び方だな」
「ケースケさまに、改めてお頼みしたいことがあります」
しかしこちらが砕けてみせても、彼女は乗ってこない。
あくまで直立不動を崩さずに。
「ここで、働かせて頂けませんでしょうか」
そういって、レムネアは頭を下げてきたのであった。