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街道を行く豪奢な馬車に、何十対もの欲に塗れた双眼から視線が注がれていた。
御者は鎧を着込んだ青年1人。
端整な顔立ちではあるがその面影にはどことなく陰が差している。
青年は唐突に馬車を止め、馬車の中にいると見られる者へ声をかけた。
「お嬢様。掃除をしなければならないようだ。馬車の扉は開かず、待っていてくれ」
小さい声が青年へ投げかけられると、青年の口に淡い笑みが浮かんだ。
「かつて俺は魔将と対峙し、それを切り伏せた男だぞ。不逞の輩などに遅れは取らないとも」
青年の動作はゆるりとしていて、足取りはまるで散歩に出かけている者のようだった。
そんな光景を見ていた者達はほくそ笑む。
どうやらポンコツ騎士1人を護衛にしているようだぞ、と。
青年は侮蔑を多分に含んだ視線を感じ取り、両の眼を暗く濁らせ、馬車に積んである巨大ななにかを取り出す。
布を剥がし、肩に“それ”を担いだ青年に最早侮蔑の視線を送る者は誰1人としていなかった。
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青年が駆ける。
それは人の形をした殺意の具現であった。
標準的な成人男性程の長さの大剣が縦横無尽に振るわれ、その一振りごとに血飛沫と肉片が乱れ飛ぶ。
この犠牲となっているのは野盗だ。
ただの野盗ではない。
レグナム西域帝国に対するゲリラ的反抗を企図して亡国の残党が拠り集まっているのだ。
ゆえに彼等は単なる暴力的社会不適合者ではなく、その多くが戦闘訓練を受けた元騎士、兵士であった。
しかし青年……シド・デインの前ではその様な者は木っ端に等しい。
仮に野盗がその生涯で20年の戦闘経験を積んでいるとしても、シド・デインは輪廻の始まりから現在に至るまでに100倍以上の戦闘経験を積んでいる。
文字通り桁が違うのだ。
『シド・デイン』は一種の称号だと嘯かれている。
と言うのも、その名前は1000年前の歴史を紐解いてみても見かけるし、2000年前だって見かけるからだ。
通常、人間種がそれだけの月日を生きる事は出来ない。
だがシドの場合は種がある。
彼には輪廻の呪いがかけられている。
死ねば間を置かずにどこかの赤ん坊として生まれ、長じては“今代のシド”となるのだ。
血しぶき、肉引き裂かれ、骨が砕け散る殺戮の剣嵐は暫く続き、やがてとまった。
30名からなる野盗団はシドの手にかかり、瞬く間に壊滅の憂き目に遭った。
それも半刻にも満たない僅かな時間で。
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「お嬢様。終わったよ」
青年……シドは馬車の前で応えを待った。
その身は全身返り血を浴びており、控えめに言っても恐ろしい。
やがて、馬車からか細く震える声が聞こえたかと思いきや、綺麗だけど不幸な目にあってすぐ死にそう……としか思えない様な少女が顔を覗かせた。
薄い紫色の髪の毛、長い睫毛、淡い紫の瞳。
肌は病的な程に白く、また全身の肉付きも悪い。
レグナム西域帝国が貴族。
ルベラベラ子爵ことフェリシア・ルベラベラである。
人呼んで
──紫毒姫
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「ご苦労様です……でも皆殺しは……いえ、でも貴族を襲撃したのですから……いえ、いえ! 襲撃の理由というのかしら、誰かから頼まれたから、とか……そういう話を聞き出せないと言うのは失点ですよ、シドさん……って……あの、血が、あの……」
シドは“全て賊の返り血だ”と答え、布で顔についた血を拭った。
フェリシアはシドの様相を見ても恐れる様子はなかった。
二人の間にはある種の強固な関係性が既に構築されているからである。
「ああ、失態だった。謝罪する」
そんなシドをフェリシアは困った目で暫し見遣り
「……差し許します」
とだけ言う。
フェリシアはどうにもシドに強く出る事が出来ない。
それはただ彼が、彼のみがフェリシアに“触れる”事が出来るからであり、彼のみがフェリシアを恐れないからだ。
シドとフェリシア、二人は今レグナム西域帝国、帝都ベルンへ向かって馬車を走らせていた。
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フェリシア・ルベラベラは紫毒姫と呼ばれている。
これは侮蔑を以って呼ばれる事もあるが、基本的には畏怖を以って呼ばれる。
なぜならば彼女はその身に極めて強力な劇毒を宿すからだ。
彼女には古今東西あらゆる毒物が効かない。
だが自身が毒の泉と化すという代償を支払わなければならない。
彼女の体液に触れる、いや、その肌にふれるだけで通常の人間は皮膚が焼け爛れ、死に至る。
これは呪いであり、加護でもあった。
彼女を護る為に彼女の亡き母が掛けた呪毒の護りである。
この加護を解く条件を知るのはフェリシアの母で、その母はもうこの世に居ない。
貴族家にはその家特有の慣例のようなものがあり、ルベラベラ子爵家の場合は女性が当主を引き継ぐというものであった。
だが当たり前の話だが、女性だけでは子供を為す事は出来ない。
どこから種を貰う必要がある。
しかしこれも当たり前の話だが、男なら誰でもいいわけではない。
よって、ルベラベラ子爵家は同格の貴族家の次男、三男を婿として受け入れ、当主の補佐としてきた。
これまでは。
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ある日、ある場所で。
ルベラベラ子爵家の乗っ取りが画策された。
フェリシアの母ルピスはフォード男爵家の次男、ルイオス・フォードを婿として迎えたのだが、このルイオスが腹に一物を抱えていたのだ。
いや、抱えさせられた、というのが正しいか。
ルイオスには外に愛人がいた。
女の仕事は娼婦だ。
シリカという。
外見と中身が見事に反比例した、まさに遊ぶためだけなら付き合っても構わない女の典型とも言える女だった。
ルイオスに見る目がないといえばそれまでなのだが、実際の所は決してそうではない。
ルイオスにも平均的貴族子弟が備えているべき人を見る目というものはあったのだ。
「ねえ、ルイオス様? 私って賎しい生まれでしょう? こんな私がルイオス様という素敵な紳士にこれほどまでに可愛がって貰えて……女として幸せです。嗚呼、このような場所で知り合わなければもっと夢を見る事が出来たのに。ルイオス様のような高貴な方は、きっとこの娼館を一歩でたら私の事なんて忘れてしまうのでしょうね」
「そんな事はない! そんな悲しい事を言わないでくれシリカ。確かに私は最初は、その、肉欲というか……そういう目的で君と逢っていたさ。だが何度も身体を重ねていく内に気付いたのだ。真実の愛に!」
だが典型的なボンボンであったルイオスは、物の見事にシリカに篭絡されてしまう。
仮にも帝国貴族の嫡男である者がこのていたらく……と侮蔑する事は簡単だが、それを差し引いてもシリカの女の武器の使い方は見事に尽きた。
ルイオスはガバガバであった。
何がガバガバなのか。
お口である。
それはもうベラベラと話したのだ。
貴族として平民に伏せておかなければいけない事は山ほどあるのだが、そういう事もべらべらと話したし、ルイオス自身がルベラベラ子爵家からの入り婿の打診が来ている事、それを受ければ多額の金子を受取る事が出来る、というのもひたすらに話した。
それもこれもシリカが寝室でルイオスのルイオスをペロペロしたせいかどうかは分からないが、5度の逢瀬を重ねる頃にはシリカはルイオスを取り巻く状況をすっかり理解してしまった。
当初、シリカは単純にルイオスを骨抜きにして彼個人の金融資産を搾取しようと企図していたのだが、状況を把握したシリカはふと考えた。
──ルイオスは頭が悪い。うまく操り人形にしてしまえば……私はこんな人生を変えられるかもしれない。その為には……
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「ねえ、ルイオス様。ご存知? ルベラベラ子爵家について実はあまり良くない噂を聞いてしまったの……」
その日、ルイオスはシリカと“真実の愛の所作”を終えた後、シリカから自身が入婿する事になる貴族家についての話を聞いて驚愕した。
シリカの話ではなんとルベラベラ子爵家は外から迎え入れた婿が家の差配に余計な口出しをしないように、頭の働きが鈍くなる遅効性の毒を少しずつ飲ませているというのだ。
そんなものは普通は信じない。
いや、信じたとしても裏を取る。
が、既にルイオスの頭の働きは肉欲愛にかき回され、正常に働いているとは言いがたかった。
ゆえに信じてしまった。
肉欲由来の情を愛と誤認させるのは商売女の基本的技巧であるが、ルイオスはその社会経験のなさゆえにきれいにハメられてしまったのだ。
愛は人を強くする。
これは事実だ。
だが頭を弱くする。
これも事実だ。
況やそれが粗製の愛であるならば……
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ルイオス・フォードがルベラベラ子爵家に入婿し、多額の金子を受取るには条件がある。
ルピス・ルベラベラを孕ませ、子をなさしめる事である。
それも、女児を。
極論を言えば、女児さえ生ませればどこで何をしてようが、子爵家の風評を悪くするような事でないかぎりは構わない。
そしてルベラベラ子爵家はその女児が継承する。
……そのはずだが、強欲なシリカはその女児に取ってかわることを考えた。
簡単に言えば、ルピス・ルベラベラとその子を排し、一時的に混乱状態に陥った子爵家をルイオスが一気に掌握。
その後自身は妾という立場でルイオスの傍らに立ち……順を置いてやがては本妻に、という算段であった。
女児を生ませないと金子が得られないのだからそこはルイオスが頑張らねばならない。
そして首尾よく女児が生まれたならば、ルピスの摂る食事に少しずつ少しずつ毒を混ぜていく。
これは少しずつでなければならない。
なぜならば、出産による消耗が死につながったと周囲に誤認をさせるためである。
それに毒というのも本来は毒足りえない薬物を使うつもりであった。
その薬物とは賦活剤だ。
これは所謂元気の前借りである。
健康体の者が、ほんの一時身体に無理をさせる為に使うもので、一時的に元気がわいてくるものの、薬効が切れたらその反動は辛いものとなる。
用法・用量を誤れば命に関わるし、産後の弱った身体に使うなどもっての他だ。
だが毒ではない。
ゆえに毒検知の魔術では検知できない。