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第二次人魔大戦。
人と魔が骨肉相食む大戦の時代に、アリクス王国のとある騎士家の嫡男として彼は産まれた。
彼はシドと名付けられ、幼い頃から周囲にその恐るべき天凜を示し続けた。
この様な逸話がある。
ある秋口の日、シド少年は庭にはえている樹をじっと見つめていた。
その手には長剣が握られている。
刃引きはされていない。
シド少年が生まれた騎士家は尚武の気風が強い。
訓練といえども気を抜く事を許さないのだ。
シド少年は剣を握ったまま庭に棒立ちとなって動かない。
素振りの1つもしていない姿に剣術指導を言い使っている剣士シンシアナは首をかしげ、彼に何をしているかを問うとシド少年は短く答えた。
「見てください」
シド少年がひゅるりと脱力した剣を振った。
丁度彼の目の前に落ちてきた落ち葉は十字に割られ、一枚の葉は四枚の葉となり地面に落ちた。
シンシアナは目を剥き、興奮した面持ちで賞賛を捧げる。
彼女とて剣術を生業とする者、やれといわれればシド少年と同じ事はできる。
だが、自身が彼と同じ年だった時、彼ほどの業前を持っていただろうか?…否だ。
しかしそんな彼女をシド少年は醒めた視線で見つめながら言った。
「舞い落ちる葉を剣で切る。これは難しい。しかし、出来てもニ流です」
その言葉にシンシアナは、では一流とはどのような?と問うと、シド少年は剣を静かに構えた。
中段、正眼の構え。
だが構えるのみで一向に剣が振られることはなかった。
しかし、シンシアナが疑問を口に出そうとしたその瞬間、一枚の葉がひらひらと、シド少年の構える剣の刃の部分に落ちてきて……落葉はぱっくりと両断されて地に落ちた。
「このようなものです」
シド少年は短く言い、くるりと背を向け屋敷へと去っていった。
斬るだけでは二流。
一流とは、斬ろうと思ったものが自身より飛び込み、そして斬られて果てるのだ。
そんなシド少年をシンシアナは慄然と陶酔、そして失望が入り混じった複雑な感情を以って見送る。
慄然はシドの剣才の底が見えない事に対して。
陶酔も同じ理由だ。
だが失望は自身の剣才へ向けられていた。
シドより一回りは年上であるというのに、年とは違って剣は一回り以上を差をつけられているように彼女には感じた。
剣術指導と言うお役目を頂きながらも、もはやシドには自身が教えるべきことなど何もないのではないか。
と、その時シド少年が立ち止まり、くるりとシンシアナの方を向いた。
「シアナ。僕は貴女の突きを美しいと思っています。僕は剣が上手い。しかし、突きに関しては貴女に劣るでしょう。それは貴女が突きという業に懸ける何かがあるからだ。貴女の家、ロストヴァリ家は剣術名家でしたね。先代当主グレンダン・ロストヴァリ。突きの名手だ。魔族との抗争で破れ、戦死し、ロストヴァリ家は没落した。しかしロストヴァリの輝きは家の看板にあるのではない。その輝きは今、貴女の剣に宿っているのです。この世界では強い思いは万理万象の糧となる。貴女の突きの鋭さ、そして美しさはそれすなわち貴女の心の鋭さ、美しさに他ならない。魔術でも剣術でも当人の心の在り様が顕れるものですよ。これからもご指導願います。それでは」
シドは一気に述べ立てると、今度こそ背を向けて去っていった。
シンシアナは頬に熱を覚える。
そして自身の中にあった才への失望の黒い靄が霧消している事に気付いた。
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時は第二次人魔大戦真っ只中であった。
『果ての大陸』という魔境に住む魔族は、初代勇者が命を賭して魔王を大陸ごと封じた。
しかし封印は永遠のものではなく、2年前に破れてしまう。
魔王軍は封印が敗れると同時に各地に進軍し、いまこの世界…イム大陸は全土で殺伐とした事になっている。
魔族は繁殖力以外では人を遥かに優越しており、個体数の少なさに関わらず人と魔族の勢力争いは拮抗どころか人がやや押されさえしていた。
もちろん人類勢力にも突出した戦力は存在する。
まずは二代勇者だ。
法神により選別され、加護を得た勇者と言う存在は最早戦術兵器というに相応しい。
初代勇者より大分その力を落としていると囁かれては居るものの、下位とはいえ魔将数体を同時に相手して抗するその力はヒト種としては隔絶した力といえる。
二代勇者は各地で転戦し、戦況不利な地にてこ入れをしているという。
もう一つは中央教会だ。
人類戦力最後の砦、法神を奉じる宗教組織。
神を崇め奉るだけが能ではなく、国軍もかくやと思われるほどの実戦部隊を有する。
そして東はアリクス王国、西はレグナム西域帝国といった列強も人類側の大戦力として計上されている。
シンシアナ・ロストヴァリはそのアリクス王国の貴族の娘だ。
その貴族家はシドの家と同じく尚武の気風が強かった。
当主であるグレンダン・ロストヴァリは勇敢な男であり優れた剣士でもあったが、魔王軍との小競り合いで魔将にあえなく殺された。
この責を咎められたというわけではないが、ロストヴァリ家はグレンダン1人で持っていたようなものなので零落からの没落は免れなかったのだ。
しかしグレンダンの遺族…要するにシンシアナやその母が路頭に迷うことはなかった。
アリクス王国が戦時政策としてこういった戦災による没落貴族の救済に動いていたし、その救済プログラムの一環としてシドの家が国の支援を受けながらロストヴァリの家人を取り込む形となった。
これは貴族間の相互救済を励行する政策だ。
基本的に常に外敵が存在するこのイム大陸においては、うちわもめなどをしていたらあっというまに滅び去ってしまう。
よってアリクス王国では民草は貴族もなにも関係なく助け合いましょう、助け合いの精神が無いヤツは人にあらず、くらいのラディカルな相互扶助的社会通念が成立している。
勿論救済された者達は何もせずのんべんだらりとしているわけには行かない。
自身に出来る事をもって救済者へ報いるのだ。
幸いにも貴族というのは個人差はあるが皆大きな力を持っている。
これは権力という意味でもそうなのだが、第一に身体能力が平民とは段違いなのだ。
体に流れる魔力の総量が平民とは違う。
例えるならば、貴族の子供なんていうのはそれが幼くとも、石ころを握り潰すくらいの事はみんなできる。
体が何よりの資本という言葉もあるように、それだけの能力があるならできることだって沢山あるものなのだ。
シンシアナは剣に優れていた。
だからシドの指導役として抜擢された。
突きの名手、父であるグレンダンを心から尊敬し、父の技を継ごうと日々努力していたのが評価された形だ。
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ある日、シドは夜半に屋敷を抜け出して空を見上げていた。
夜の帳に色彩豊かな宝石が散りばめられている。
夜を彩る輝石の残光はシドの胸に望郷の念を過ぎらせた。
──僕…いや、俺にも滅びたアステールを偲ぶだけの心が戻ったか。心というのは良い。“生きている”と言うのは呼吸をしているだけではなく、心に潤いがなければ意味がないのだ
シドは何度も何度も何度も輪廻してきた。
輪廻の呪いはシドという男を覚えている者が世界に1人でも居る限り恒久的に継続する。
シドは擬似的な不死を得ているといってもいい。
記憶や経験はそのままに、新しく生まれ変わる輪廻の呪いはシドの人間性を著しく損耗させた。
しかしそんなシドとて“初めのシド”がいるのだ。
アステール星王国、星光騎士団長シド・デイン。
それが最初の彼の名であった。
アステールとは言ってみれば異邦者達が興した国である。
異邦者といっても外の大陸だとかそういうレベルではなく、文字通り異邦の世界…星の彼方よりやってきた来訪者だ。
いや、来訪というよりは遭難だろうか。
恒星間移動中であった宇宙船がこの惑星の重力場に捉えられ、不時着をした。
乗務員は皆無事であったが機器の各種は全て修理のしようがないほどに破損し、乗務員達は未知の世界で生きる事を余儀なくされた。
だが彼等は異邦の技術がなくとも生きていけるだけの術があった。
今でいうサイキックである。
PHY能力と呼ばれるそれは大気中の元素に干渉し、現地住民の者からみれば魔法にしか見えないような現象を引き起こす。
現地住民は青い髪の遭難者達を神の使い、あるいは神そのものとして崇め奉り、やがて人が集うようになった。
人が集まれば村が出来、町となり、都市を経て国に至る。
国はアステール王国と名付けられ、王座や重職には遭難者直系の血族が就くようになった。
やがて時は流れ、重ねられた交配によって異邦の血も大分薄れていく。
彼等の持つPHY能力は血が薄くなっていくにつれてその性質を変えてゆき、やがて星術としてアステール王家直系の者にしか扱えない特異な術として形を残すに至った。
だがただ性質を変えたわけではない。
この世界の性質に即した形へと性質を変えたのだ。
彼等は星からやってきた。
であるならそんな彼等の使う特異な力もまた星にまつわるものでなくてはならない…そう現地住民が思い込んでしまったのである。
この世界においては思いだとか祈りだとか信仰だとかは現実に干渉する。
要するに、異邦者達を崇める現地住民の祈りや信仰がPHY能力の性質を歪めてしまったのだ。
話がそれたが、シド・デインはそのアステール王国直系の血をひくものである。
騎士団長のような重役は直系の血を継ぐものでなければ就任する事が出来ない。
だから彼もまた星術を使う事が出来る。
最初のシドは真面目な男だったのだ。
アステール王国へ、ひいてはその王族へ篤い忠誠を誓い、国の為、民の為、王家の為に身を粉にして働いてきた。
だが、やや真面目すぎた。
彼は自身亡き後もアステールは健在か、王家の者達は壮健であるか、心配で心配で…不安になってしまった。
だから禁呪に手を出してしまったのだ。
その禁呪こそがまさに輪廻の呪いである。
星は寿命があるとはいえ、人の身からすればそれは悠久に等しい。
この共通認識から不朽の性質が抽出され、更に星は巡る…巡る、ひいては輪廻という連想から生まれ変わりの概念を抽出され生まれたのが輪廻の呪いだ。
シドはそれを自身へと使用した。
爾来、シドは死んでもその魂は巡り、再び輝きを取り戻すようになった。
なってしまった。
結果としてどうなったかといえば、100年やそこらならば兎も角、500年だとか1000年だとかになるとシドの精神は荒れ果てた荒野の様になってしまった。
記憶に連続性を持つことが良くなかった。
人間の精神は長々期間にわたる人生に耐え切れるほど強靭ではなかったのだ。
あれだけ心を寄せていたアステール王国がついに滅びてしまったときなど何も思わなかったほどに心が干乾びてしまったシド。
だがそんなシドの心に潤いを齎す出来事がおきた。多くの女性にとっての災いはここから始まったのである。
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何十、何百度目かの人生のどこかのタイミングで、シドはひょんな事で旅の女性の命を魔物から救った。
それがきっかけで女性はシドに惚れ、以来シドにつきまとうようになった。
女性とシドは共に旅をするようになり、女性はシドへの恋情を日に日に募らせていく。
だがシドは応えない。
というより、応えるだけの心のリソースが既にない。
しかし女性はめげなかった。
事あるごとにシドへ言葉と行動で好意を伝える。
シドも敵対してこないならば、と好きにさせていた。
だがそんな日々は長くは続かなかった。
時は丁度第一次人魔大戦が勃発したころだった。
大陸全土に魔獣が溢れ、魔族が跋扈し、世界は殺伐としてしまった。
ある日、シドと女性は森で魔獣の群れに取り囲まれる。
指揮していたのは魔族だ。
それも、魔将と呼ばれる上位の魔族である。
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「愚劣なる人間、大地の簒奪者よ。なぜこのような場所へいるのだ?」
その質問に意味があるようにはシドには思えなかった。
なぜならば魔族が全身から発している殺気が雄弁にその意思を物語っていたからだ。
その姿は独眼の異形。
体のシルエットからその魔族が女性であると分かる。
だがそこに女性のたおやかさや癒されるようなものは何もない。
頭部から突き出された2本の角は禍々しく、羽を広げた姿はさながら死を告げるという告死天使のようではないか。
シドはちらりと女性…メルをみやる。
メルは震えていた。
怯えていた。
だが逃げる素振りは見当たらなかった。
むしろシドの前に出て彼を護ろうという素振りさえ見せていた。
「メル。何をしている?君が向かっていって勝てる相手じゃない事は分かっているとおもうが」
シドが鬱蒼とした声で言った。
「シ、シドさん!!わ、私がここは!ここは!私が!時間を稼ぎます、から!シドさんは逃げてください…っ!」
メルが手に持つ短杖に魔力を込めていく。
触媒が赤く輝き、杖の先から炎弾が魔族へと飛んでいった。
──無駄な事を
シドは内心思う。
あれはあれでそれなりに威力はあるが、流石に相手が悪い。
彼我の実力差を感じ取れないメルではないはずなのに。
シドとしては正直どうでもよかった。
それなりに応戦して、恐らくは敗北するだろう。
そして死ぬ。
そうすればまた次の人生だ。
何度となく続く輪廻はシドの死生観を歪めてしまっていた。
だが。
魔族が片手でメルの炎弾を握り潰す。
「ば、爆炎弾が…中級術式なのに…」
メルが慄き、魔族の口元が弧を描いた。
メルは決して無能な術師ではなく、魔導協会3等術師だ。
3等術師というのは、個人差はあるものの野盗換算すれば10~15人程度の野盗を少し苦労して皆殺しに出来るほどには戦闘力がある。
しかし、無理もない。
魔族は魔将の中でも最下級の下魔将であるとはいえ、これは小さい都市程度ならば時間をかければ単騎で落とせる程には強力だ。
ちょっとした火の玉なんぞでは不意打ちでもしないかぎり火傷を負わせる事すら難しいだろう。
「やはり虫けらか。地を這う虫に名乗る名など無し。死ね」
魔将が鋭い爪の生えた人差し指をメルへ向けるなり、その爪が伸長した。
打ち出された矢などは比較にもならない速さで、まるで一本の黒く細い槍の様であった。
傍観すればメルが死ぬ。
しかしどの道敗北する様な相手に無理に抗する必要はあるのか。
──あるかもしれないな
ぎゃりん
シドの剣が跳ね上げられ、黒爪を弾く。
「ほう、受けるか。虫にしては上等よ」
魔族が少し驚いたようにシドの受け太刀を讃える。
「…自分でも良くわからない。何故メルを、彼女を助けたか。このまま戦った所で二人とも殺されるだけだろう。メルは時間を稼ぐと言ったが稼げるものか。逃げる余裕などお前は与えてくれないはずだ。ならば無駄な抵抗はやめて、俺はとっとと次へ行けば良い。が、そこで思ったんだ」
シドがそこまで言った時、魔族は総身に魔力を漲らせた。
シドの藍色の瞳に炎が灯っているのを見たからだ。
戯れのようなものとはいえ、己の一撃を同じ一撃でもって弾き飛ばした相手だ。
そんな相手をかの魔族は軽く見る事をしない。
「それなりにはやるか。だが、下等!」
侮りはしない。
だがそれはそれというものだ。
生物としての序列が覆る事はない。
魔族は、いや、魔将オルトリンデはシドの両眼に宿る戦気の炎を、自身に対する不遜な挑戦と見て取った。
「…そこで思ったんだ、メルの命はただの1つしか無い。そして彼女は俺に良くしてくれている。残念な事に、俺にそれを感じるだけの心がないが。ともあれ彼女は良い奴だ。それならば俺の安い命で足りるかは知らないが、メルの心に礼と詫びをもって応じるのも悪くはない、と」
シドは9つの星術を使う事が出来る。
いや、出来た。
かつて、“最初のシド”であった頃は出来た。
だが肉体が変わることで星術の行使には膨大な代償を求められるようになった。
もはや輪廻を繰り返したシドとアステール王家の間に血統的な繋がりはないのだ。
あるのはただ精神的な繋がりのみ。
だがシドは星術を改悪し、自身の命をもって触媒に用いる星命術を編み出した。
そこには心が磨耗したシドをして苦痛を伴う。なにせ命を搾り取られるのだから。
それは殺される事よりも辛い事だった。
だからシドは最初、力を使う事なく敗死しようとしたのだ。
しかしシドは使った。
メルへの恋情どころか、彼女の命にもさほど興味は無かったにも関わらず。
それはただの気まぐれであった。
だがシドが血肉通う人形ではなく、どれ程に心が磨耗しようとも人としての最後の一線を守ってきたがゆえの気まぐれであった。
――我が命を薪と焼べ、鏖せよ塡星
――南より来たりて万理を解し散らしめよ
シドの命が燃える。
星の力がシドに満ちる。
塡星は破壊と腐敗を齎す必殺の象徴だ。
黄土色の輝くオーラがシドの肉体を覆っていく。
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死闘の炎は開幕から燃え上がり、その火勢を増し、やがて抑制され、そして鎮火した。
上半身だけとなった魔将オルトリンデは乾いた笑いをあげた。
「く、くくく…人、間が。これほどまでの…、ああ、命の、輝きか。うつくしい、光であった。私が人間の女であった、なら。お前に惚れていたかも、な」
魔将オルトリンデはその言葉を最期に死んだ。
オルトリンデの死骸を見遣ったシドは、力なくメルへ振り返った。
メルは息を飲む。
シドの肌から血の気がすっかり引けているからだ。慌ててかけより、頬へ手を当てると酷く冷たかった。
シドの肉体にはもはや血を循環させるだけの力すら残っていなかったのだ。
メルはシドをゆっくり横たわらせ、自分の膝の上に載せた。
「シドさん、動かないでくださいね…今、今ポーションを飲ませますから…すぐ、元気になりますからっ!」
メルの目の端に涙が浮かんでいるのはなぜか?
それは彼女にもシドの命の炎があと僅かで消える事が…
シドは力なく言葉をつむいだ。
「いい…。もう、俺は死ぬ。苦しいよ、辛いんだ。だ、だが、まあ…後悔は、していない、さ」
シドの口元に水滴が落ちた。
メルの涙だ。
大粒の涙がポロポロとメルの瞳から零れている。
ごくり、とシドはメルの涙を飲み込んだ。
その時である。
シドは自身の心が燃え盛るのを感じた。
心の炎はたちまちに下半身へと移動していく。
シドは自身が酷く欲情している事に内心驚く。
もっとも、肉体的に酷く損壊しているので下半身のロングソードが鞘から抜き放たれることはなかったが。
ともかく、こんな事は数百年という時間の中で1度もなかったことである。
メルの涙、メルがないている、メルが己を想って悲嘆している。
シドはメルの悲痛に暮れるその姿が自身を昂ぶらせているのを自覚した。
嗚呼、この瞬間。
誕生してしまったのだ。
女の敵…曇らせ剣士、シドが。
「め、ル…。お前の、涙は、うつく、しい…」
シドの末期の言葉であった。
これは本心だ。
シドはメルの涙を、メルが悲しんでいるのを最高のエンタメとして堪能したのである。
そして思った。
──次、生まれ変わったら恋人を作り、目の前で死んで悲しませよう
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空を見上げているシド少年は、己の肩に上着が乗せられたのを感じた。
振り返ればそこにはシンシアナが居る。
心配そうな表情だ。
その表情だけでパンが数斤食えるな、などと思いつつ、シドは礼を言って室内に戻っていく。
「このような夜分に何をしていたのですか?」
シンシアナの問いに、シドは答えた。
「昔の事をね、考えていたんです。ああ、上着…ありがとう。少しぼーっとしてしまいました。シアナ、貴女は優しい人ですね」
シドが笑顔で言うと、シンシアナの頬が僅かに火照る。
「次は貴女ですよ」
なおもシドが言う。
当然なんの話かわからなかったシンシアナは首を傾げる。
するとシドはふ、と謎めいた笑みを浮かべ自室へと去っていった。