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1.

 薄暗い部屋。夜の謁見の間。碌な明かりも無い広い空間の奥、一段高くなった場所に豪奢な椅子があった。そこに座っている者は片肘を付いて頬杖を付き、低い場所で跪いている老婆を冷たく見下ろしている。

「では、お前はプーカを置いて逃げ帰って来たと」

 重く冷たい声。老婆はひ、と引きつった呼吸を漏らした。

「申し訳ございません。想定外に強い魔法少女に攻め入られて……」

 ガシャンッ。椅子に座る者は、頬杖を付いていない方の手に持っていたガラスのグラスを老婆のすぐ横に投げ捨てた。真っ赤なワインが飛び散り、びくりと老婆の肩が震える。

「聞けば素人丸出しの魔法少女だったと云うではないか。手練れとなる前に仕留めるべきだった。プーカと共に挑めばそれも可能だったろうに。無駄に経験を積ませ、偵察用の小妖精によれば奴らは新たな魔法少女を得た」

 イライラとした声に老婆は額を床へと擦り付けた。

「もっ、申し訳……ッ」

 老婆の嗄れ声は哀れな程震えている。

「その言葉は聞き飽きたわ」

 冷徹な声が老婆の掠れた謝罪を遮った。

「……だが、私は寛大だ」

 ふ、と声のトーンが僅かに和らいだ。微かな希望を抱いた老婆は恐る恐る僅かに顔を上げて目の前の者を見上げる。

 暗く、顔に影のかかったその者の口元が、僅かに弧を描くのが見えた。

「今一度その街に戻れ。そしてその夢と云う魔法少女を殺すのだ。仲間の魔法少女諸共……」

「……こ、殺してしまってよろしいので。力を利用した方がよろしいのでは」

「生かす事にリスクがあるならいっそ殺した方がマシと云うものよ。ついでに厄介なケット・シーも消してしまえ。それが出来たら……褒美も考えてやる」

 老婆はその言葉に歓喜した。それをなるべく表に出さない様に再び深く頭を下げて拝命した。

「このハッグ、存在を賭けて……必ずや」

 その返事を聞くと椅子に座っていた者はしっしと追い払う様な仕草をした。ハッグと名乗った老婆はなるべく頭を垂れたまま立ち上がると、最後に深々とお辞儀をしてその場をあとにした。

 椅子に座る者は側に控えていた者にグラスの替えを持って来させ、ワインを新たに注がせる。そしてそれを一口飲んで、ふ、と小さく息を吐いた。

「極東の島国、日本か……聞けば創造と想像を得意とする人間共の国だと云う。……私の出る幕は無いと良いが」

 そう呟いて、残りのワインを一息に飲み干す。控えている者にグラスを下げさせると、椅子から立ち上がり謁見の間をあとにした。窓から差し込む月明かりが、その後姿を僅かに照らしていた。

 一方ハッグは足早に城の廊下を進んでいた。偵察用の小妖精によればプーカは改心させられ国に帰ったと云う。もうこちら側には来るまい。ならば新たな戦力が必要だ。あの街の魔法少女は二人になってしまったのだから。

 とは云え城の維持以上の妖精達は大体出払ってしまっている。こうなれば現地調達しかあるまい。

 ハッグはイギリスの伝承である。イギリスには古くから妖精や悪霊、精霊の伝承が数多くある。そして日本も妖怪とや精霊の伝承が数多くある国だ。自分の様に悪性に傾いた者も見付けられるだろう。そう判断したハッグは、文字通り飛んで北海道へと戻って行った。そして新たな拠点に着くなり、手下の小鬼や小妖精に悪性の、もしくは悪性に傾きそうな、かつ使える妖精を見付け出す様に指示を出し、自分は拠点の椅子にふんぞり返った。そしてそこから遠見で部下達の様子を覗き見る。

 それが数週間も続いたある日、ハッグは憎き魔法少女が複数の少女と連れ歩いているのを見付けた。そしてその内の一人がある一軒家に入って行く。幻想世界の気配を僅かに感知したハッグはそのまま少女を遠見で見続け、彼女が入って行った二階の一部屋を見て、にやり、笑った。

「こいつは使えそうだねえ」

 嗄れ声でひっひと笑うと、ぱちんと指を鳴らす。ピクシーが一匹やって来て、ハッグから何か小瓶を渡された。それは本当に小さな小瓶だが、小妖精ピクシーが持つにはかなり大きい。ピクシーは必死でバランスを保ちながら、目的の家へと向かった。

 暑い夜だった。その部屋の窓は網戸になっており、魔法で鍵を開ける必要も無く開いた。ピクシーは自分と瓶が通れるだけの隙間を作ると室内へ侵入し、眠っている少女――ではなくその部屋の勉強机の上に置かれたノートパソコンに、瓶の中身を振りかけた。それは黒く、しかし不思議な輝きのある粉の様で、ごく少量のそれはパソコンに吸い込まれる様にして消えて行った。

 ピクシーはきししと邪悪に笑うと空の小瓶を抱え、拠点へと戻りハッグに報告した。ハッグは満足げににんまりと笑うと、椅子に深くもたれ込んだ。

「上手くやっておくれよ……」

 成功で褒美なら、失敗は……ハッグはうっかり想像してしまい、ぶるりと身震いした。

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