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第2話

 私のデスクには、今日も契約書が並んでいる。


 会社ではベテラン営業マンとして社内ではエースと呼ばれることも増えた。けれど、そのことに特別な感情は抱いていない。


 ただ、お客様のことを思い、丁寧に仕事をしてきただけだ。


 社内では、「あの普通のおじさんがどうして成績トップなんだろう」と、女性社員たちが噂しているらしい。


 確かに見た目は特に目立つタイプでもなく、ただ淡々と仕事をこなす私がなぜ結果を出せるのか、というわけだ。けれど、それは私にとって当たり前のことだと思っている。


 私は書類整理を終えて、一息つこうと電子タバコを持って立ち上って喫煙所へと向かう。肩身が狭い思いをしているが、それでもやめられないのは、どこかで自分に必要だと思っているからだろうな。


 そんな時、親しい後輩の松田が缶コーヒーと電子タバコを片手に私の隣に並んだ。


「先輩、またトップですね。なかなか追いつけませんよ」


 彼は笑いながら私にコーヒーを差し出してくれる。私はそのコーヒーを受け取り、ひと口飲みながら一服をした。


「君ならいつでも追い抜けるよ」


 十年ほど年下の彼は、見た目はイケメンでお客様にも親切だ。だからこそ、私は穏やかに答えた。


 しかし、彼の表情にはどこか悩みが見え隠れしている。


 松田は最近、成績が思うように上がらず苦しんでいるようだった。


 入社から成績は下降気味で、お客様のニーズに応えるように努力しているらしいが、なかなか契約が取れない。


「実は、最近どうにも契約がうまくいかなくて……お客様のために動いているはずなんですが、何が足りないのか……」


 彼はそう言って、電子タバコをくわえた。煙を吐き出しながら、少し疲れたように見える。私も缶コーヒー一本分のアドバイスは良いかと語り始める。


「君は本当のニーズを分かっていないかもしれないね」


 私は静かに言った。


「本当のニーズ?」

「そう、お客様が本当に望んでいることだよ。ただ目の前の要望に応えるだけではなくて、その先を見ているかい? お客様の人生を見て、何が必要かを考えなければいけない。それこそ君の一言で、お客様の人生が決まってしまう。それほどの覚悟はあるかな?」


 覚悟を問われて、他人の人生まで責任を感じたくないのが人間というものだ。彼はしばらく考え込んでいたが、ゆっくりと頷いた。


「お客様の人生ですか……考えたこともなかったですね。よりよい求めに応じていればいいと思っていました」


 私は彼がその言葉を噛みしめているのを見ながら、タバコの終わりを迎えた。


「焦らず、じっくりとお客様と向き合ってみるといいさ。結果はすぐには出ないかもしれないけど、きっと見えてくるものがあるよ」


 彼は「ありがとうございます」と笑顔を見せてくれた。


 今では、昔のように深い飲みニケーションをすることも少なくなったが、こうやって後輩と話す時間は大切だ。


 仕事のペースを保ちながらも、無理せず、ただ親切に。これが私の仕事のスタイルだ。


 ♢


 午後の商談は、ここ数ヶ月で大きな動きが期待できそうな案件だった。


 取引先は中堅のメーカーで、新しい事業展開を検討しているらしい。先方の代表、である森田さんは少し緊張した表情を見せているが、こちらをしっかりと見据えていた。


 私たちは資料を交わしながら、新商品の企画やコスト面について話し合っていた。しかし、森田さんの様子を見ていると、何かが引っかかっているようだった。


 資料には目を通しているが、集中しているようには見えない。


「森田さん、何か気になる点があれば遠慮なく教えてください。何か懸念があれば、解決策を一緒に考えましょう」


 彼は少し戸惑ったように顔を上げ、ためらいながら話し始めた。


「実は……コストの部分は大丈夫なんですが、新しい事業を進めるにあたって社内の反対が強くて……特に経営陣の中で保守的な意見が根強いんです。私もどう説得していいか悩んでいて」


 森田さんは、事業の進行に対する内部の抵抗に頭を抱えていたようだ。新しい提案に反対する保守派の意見が、彼の背中を押せずにいる。


「なるほど……社内での説得が難しいということですね。大きな決断ですし、不安を抱えてしまうのも当然だと思います。ですが、このプロジェクトは、貴社の未来に大きな可能性をもたらすはずです。どういう点で反対されているのか、具体的に教えてもらえますか?」


 森田さんは、経営陣が保守的な理由や新事業のリスクに対しての懸念を一つ一つ丁寧に話してくれた。


 私は彼の言葉にじっくり耳を傾け、問題点を整理しながら対策を考えた。


「森田さん、まずは経営陣の懸念を理解した上で、リスクをどのように最小限に抑えられるかを明確に示すことが重要ですね。例えば、テストマーケットを活用して、実際に市場での反応を見てみるという方法はどうでしょう。実績を示すことで、反対の意見を和らげることができるかもしれません」


 森田さんは私の提案に真剣に耳を傾け、少しずつ表情が明るくなっていくのがわかった。


「テストマーケット……確かに、それならリスクも抑えられますね。経営陣に対しても、データをもとに話ができる。なるほど、そこまで考えていただけるとは思いませんでした」

「もちろんです。私たちは、ただ商品を売るのではなく、貴社がこれから発展していくためのお手伝いができればと思っています。森田さんがしっかりと信念を持って進めることで、社内でも理解を得られるはずです。私もできる限りサポートさせていただきますよ」


 森田さんはしばらく黙って考え込んでいたが、やがて笑顔を浮かべて頷いた。


「佐倉さん、本当にありがとうございます。実は、他の営業さんにも相談していたんですが、ここまで具体的なアドバイスをもらえたのは初めてです。あなたに頼んでよかったです」


 その言葉を聞いた瞬間、少しホッとした。私は自然に微笑み返します。


「そう言っていただけると、こちらも励みになります。またデータが必要であれば、こちらでもいくつかご用意できますので、お手伝いさせてください」

「ありがとうございます!」


 商談が終わった後、森田さんは明るい顔で帰っていった。


 彼が帰る背中を見送りながら、私はまた一つ、相手のためになることができたという実感を噛みしめていた。

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