《side 佐倉 哲也《サクラテツヤ》》
「ふぅ、疲れましたね」
休みの日を利用して一気にプレイを進めましたが、なかなかに骨が折れました。
「勇者君は、おバカでしたが、面白いキャラでした。作成者さんの愛を感じるNPCでしたね」
ただ、楽しんだ分、現実の世界に戻ると、なんだか心の中にぽっかりと穴が空いたような気分になる。
私は現実に引き戻されて、いつものオフィス、いつものデスク、そしていつものお客様との電話。それらはすべてのルーティンに戻ってきてしまいました。
無機質な蛍光灯の明かりが、私の顔をさらにくたびれさせています。
「ふぅ、四十歳は若いと思っていたのですが、結構老けて見えますね」
自分は元々老け顔で、くたびれて疲れているので、ますます張りがない。
親からはすでに結婚を諦められているので、妹が子供を産んで、親孝行をしてくれたのはありがたい話です。
「それにしても、ここまでクラフテッドワールドにハマるとは思いませんでした」
次世代型VRMMO【クラフテッドワールド】は、プレイヤーに戦闘は許されない。もちろん、攻撃や襲撃は受けるので、自己防衛は許されているのですが、プレイヤーサイドから戦闘を仕掛けることはできないというのが売りになっています。
そのため普通のVRMMOでは存在する武器や戦闘力などのステータスが存在しません。
あるのは、ジョブに合わせたスキルと、スキルツリーと呼ばれる選択型スキルボードです。レベルが上がり、新たなスキルを得られる際にしていく組み合わせによって、自分のキャラが成長していくのです。
同じジョブでも、取るスキルによっては、全く別物として成長を遂げていきます。そういう自分のキャラクター育成の醍醐味がまた、面白い。
私は交渉人という役割を担い、NPCたちを相手に、言葉ひとつで未来を変えてしまう。戦闘なんかしなくても、魔王と勇者を手玉に取って、世界の行方を左右できてしまう。
あの刺激的な感覚……。
ゲームの世界と比べると、現実はどうしようもなくつまらない。いや、若い頃はそんなことを思わなかったのです。
営業職は自分の天職だと思ってきました。
お客様のことを考え、お客様の人生を幸福に導く手助けをしている。だからこそ、一人一人のニーズを聞き届け、お客様の本質を見極めることにやりがいを見出してきた。
売り上げ目標も会社で、5年連続一位を誰にも譲ったことはありません。
だけど、いつからかお客様の声を聞いて、誰かのために自分の時間を捧げることに虚しさを感じるようになっていました。
もちろん、今でも仕事ではお客様の幸福を第一に考えて仕事をしています。お客様と話をして、その人の人生を知り、幸福に導くお手伝いをする。
だが、もしも、自分の言葉で、その人の人生が狂ったら? そんなことが許されたなら、それはどれほど快感なのでしょうか? 悪いことをしている気持ちは、幸福を与える喜びよりも、胸がドキドキして止まりません。
四十年真面目に生きてきた私は、どこかで道を踏み外したいと思っていました。
それが、叶う!
あの世界、『クラフテッドワールズ』は、それを叶えてくれたのです。
現実では想像すらできないような緊張感とスリルがあります。
良くも悪くも、自分が行った行動で、一人の人間の人生が変わってしまう。
果ては世界を動かしてしまうほどの功績を、ただの交渉人が成してしまう。
確かに自分が最強であると圧倒的な強さを見せるのも面白いです。ですが、自分が戦闘ができないという縛りの中で、いかに人を操り、人生を左右するのか? 現実では人の人生を左右して悪い道に進ませるなど言語道断。
しかし、それが人工知能、A Iで作られたNPCの人生なら、そして、それが許された世界なら? 人間が、他の人間の人生を操るような錯覚を味わえるのです。
はは、こんなことを誰かに言えば狂人だと思われるかもしれません。
ですが、一度は誰しも考えるのではないでしょうか?
「自分がいった言葉であいつの人生が狂ったかもしれない?」
「お前があの時、言わなければ俺はこんなことしなかったのに?」
果たして、そうでしょうか? 結局は決めたのは言葉を信じた人です。選択したのは言われた側です。言った者に責任はありますか? ありませんよね。
そう、現実ではそれでも理不尽だと責められてしまう。
だけど、ゲームの世界なら、自分という人間にとってそれは快感でした。
それに比べて、現実はどうでしょうか? 毎朝決まった時間に目覚ましが鳴り、駅まで人の波に流されて通勤する。
営業職として、取引先とのお金のために、交渉や調整をこなして、数字を追い続ける。
だけど、何一つ大きな変化なんかない。
私の交渉が成功しても、せいぜい社内でちょっと評価されるだけだ。未来を変えるどころか、自分の人生すら大きくは動かない。
けれど、ゲームの中では違う。
勇者と魔王という高い地位についている人間を、《ただの人》、戦闘もできない口だけの私が彼らの意思を揺さぶり、世界の均衡を保つために駆け引きを繰り広げる。
私が一つの国を統べる魔王と契約すれば、明日には人類の運命が変わるかもしれない。
NPCたちは、AIの発展により、本当に生きているかのように反応してくれる。多くの人々によって蓄積されたデータが、性格、人格、行動、を予測して、彼らはその世界で生きている。
そして、彼らの未来は私の行動に次第で変化してしまう。
これが、私が求めていたスリルです。
善人である私は罪悪感に苛まれる。ですが、その罪悪感を味わうからこそ、心地よい。
現実の交渉は、ただの仕事だ。
だが、『クラフテッドワールズ』の交渉は、ゲームとは思えないほどリアルで、奥深くて、何よりも生きがいを感じさせてくれる。
現実の私は、ただの疲れたオジサンです。
ですが、あの世界では……私は重要なキーマンとして存在する。
「まぁ現実の生活があるから、そう思うのでしょうけどね。さて、仕事をしないと」
VRMMOの機械を片付けて現実に戻っていきます。