目が覚めたら、リア様が傍にいなかった。
「リア様?」
周りを見渡すと、ベッドの端っこに丸まって蹲る砂海豹──リア様がいた。これは寒くて丸まっているとか、寝ぼけているわけではなく、かなり凹んでいる時に見るやつだわ。
「リア様?」
「きゅっ……」
『ゆてぃあ……』
リア様の頭を撫でると目を潤ませて、今にも泣きそうな顔をしていた。その姿にギュッと抱きしめたくなるのを我慢して、言葉をかける。
「リア様、どうしたのですか? 悲しいことでもあったのですか? 悪夢を見たとか?」
「きゅうっ……、きゅいい、きゅううう。きゅうううううきゅう!」
『言語化に失敗しました。言語化に失敗しました……』
前脚でパシパシとベッドを叩きながら、後脚もブンブンと揺れている。すごく感情的になっているのだけは伝わるのだけれど、何に対して感情が揺れているのかわからない。
背中をひとしきり撫でた後で、モフモフなリア様をギュッと抱きしめる。心が掻き乱されて、辛い時は他人の心臓の音を聞くと落ち着く──と、昔お母様に言われたことを思い出して、試してみることに。
数分後、興奮が少し収まり「きゅう」と、柔らかな声に変わってホッとした。
「リア様、落ち着きましたか?」
「きゅっ。きゅうう」
『はい。ゆてぃあといると心臓が温かくなります。不思議です』
「まあ。それは嬉しいわ」
「きぃううう……きゅうきゅきゅうう」
『今の温かさも、ゆてぃあが好きな感情も呪いの産物でしかないのでしょうか。そうだとしたら、私は呪いを解きたくありません。ゆてぃあと離縁したくない。今の幸福を手放したくないのです』
「リア様……」
離縁って私たち付き合っているだけで、結婚してないですよ──というツッコミをすべきか真剣に悩んでしまう。
ゆくゆくは結婚できたら、と夢見る気持ちはあるのだ。
ふとベッド側に、見覚えのある小瓶が三つ並んでいた。魔女の宴の戦利品だわ。ということは、アレはやっぱり現実で、呪いが解けたらリア様は元の王様に戻る?
私への気持ちも、消えてしまう?
そう思うと怖くなってしまい、ギュッとリア様を抱きしめる。このモフモフに触れられなくなるのは寂しいけれど、人の姿のリア様とのデートもなくなると思うと、胸が苦しい。
「私もリア様と一緒にいたいです。今の表情豊かで、このモフモフな手触りも好きですし、何より真夜中のデートは楽しみなんですよ。リア様とお話しできる時間は短くても、一緒にお茶や散歩……料理だって楽しいんです。リア様、大好きですわ」
「きゅ……」
『昼間のゆてぃあは、大胆で反則だと思われます』
リア様は恥じらい、前脚をパタパタさせて照れていた。その悶えっぷりも可愛い。
「真夜中のリア様も十分大胆ですよ」
「きゅ?」
可愛く小首を傾げたってダメです。そう思いながらも鼻先にキスをしたら、リア様はまた悶えて、「きゅ〜」とブルブル震えたのち、ぐでんぐでんになった。
可愛い。
魔女様の呪いの後も、今のリア様でいる方法……なんてあるのかしら?
***
『え、あるよ。……というか、この馬鹿王から聞かなかったの?』
「え……」
朝ごはんのキッシュと真四角トマトスープのおかわりを頼んだシシンは、さも話してあっただろう──ていで語る。
今日は昨日の夕食に出したトマトスープが馴染んで、とろとろとして美味しい。コカトリスの肉も使っているので、鶏の脂身がスープに合わさって昨日よりも味わい深い。
キッシュも美味しくて、舌鼓を打っている途中にとんでもない爆弾発言を投下したのだ。
私が困惑していると、リア様が「きゅいきゅう!」と叫び『言語化に失敗しました』という声が聞きえてきた。
『呪いを祝福に上書きすればいいんだよ。まあ普通なら考えつかないし、できても魔力量と技術的な面で大抵は失敗する』
「そうなのね」
「きゅう」
『朝、ご説明したのに……。私はとても悲しいです』
『もう自動翻訳は諦めて、筆談にしたらいいんじゃないかな』
『きゅ!』
『そうだった。前脚がそれなら無理か。つくづくしっかり考えられて呪われている』
シシンは感心していたが、リア様はプリプリ怒って、テーブルを前脚で叩いて抗議していた。可愛いわ。
それにしても朝にそんなことを言っていたなんて……全然分からなかったわ。
「魔力量……リア様だけじゃ足りないの?」
『無理だね。魔法術式を形成するだけでも、相当な魔力量を消費する。でもユティアの協力があれば解決できるんだ』
「私? でも私は魔力なんて……」
『それは本来の魔力を君の母クローディアの魂の維持と、ボクたちの契約で使い切っているからだよ』
「え」
唐突な告白に、思わず耳を疑ってしまった。え、私魔力なしじゃないの!?
「シシン、そんなの今まで言わなかったじゃない!」
『うん、このことを話すのはユティアが大人になったら、あるいは国を離れて落ち着いたらって話していたからね』
「話……ディーネやアドリアたちと?」
『
本当の母親?
シシンの言い回しが、妙に引っかかった。
『話していなかったのは、条件未達成だったからさ。そういう契約をクローディアは結んだんだ。君を守るためでもあったかな』
お母様が?
全然覚えていないし、でも……それなら……
「きゅう」
『ゆてぃあ』
ぼふん、とリア様は私の背中に飛びついた。ぐりぐりと頭を押しつけるので、私を気遣ってくれているのだろう。
「ありがとう、リア様」
「きゅい」
『心傷状況の報告を』
「ふふっ、大丈夫よ」
心配しているってわかっちゃうのが、なんだか嬉しい。
『ユティアが覚えてなくて当然よ。記憶と彼女の魂ごと『忘れ時の絵画』に封じられているのだから。でもこれはユティアの心が壊れないようにするための処置でもあったもの』
「ディーネ」
シシンと同じ光の玉で現れることが多いが、この時ばかりは水色の美しい人魚姫へと姿を変える。
人の姿に変わるディーネを見るのは、実に久し振りな気がした。困ったような笑みで私を見つめ、トマトスープを置こうとして、その芳醇な香りに負けて固まっている。
姿を変えることによってスープ皿も大きくなるのは、知らなかったけれど!
うん、分かるわ。スープは温かいうちに食べたいものね。
『…………そ、それで、ね』
「ディーネ。食べ終わってから、話を聞かせてちょうだい」
『そ、そうね。……でもこれだけは言わせて。あの子は貴女を愛していたし、貴女のせいじゃないわ』
「…………」
すっごく気になる言い回しだけして、食事に戻った!?
シシンやアドリアたちに視線を向けるが、みな目を合わせてくれない。うん、まあ、でもしょうがないわよね。きっと、たぶん、長い話になるだろうから。
「きゅう」
『ゆてぃあ』
「リア様、ありがとう。ご飯を食べてから話を聞いたほうが良いと思うの」
リア様の呪いを上書きする話から一変。まさか私の身の上話になるなんて、予想外だったわ。
「おやおや、面白いお話をしているようですね。……『天空の画廊』、あるいは『時の画廊』、『深海の画廊』どこにあるのやら」
「!?」
懐かしい声音に振り返ると、そこには見知った青年が佇んでいた。袖の長い黒の民族衣装姿、細目で、色白の商人。
間違いない、リー・シャン・グロウス。
「リーさん!?」
「お久しぶりでございます。てっきりリッカで悠々自適な生活をしていると思いきや、やはり貴女様は読めないお方のようだ」
「きゅ!!」
『敵です』
リア様はリーさんを見るなり、毛を逆立てて「ギギギギギ」と威嚇している。私としては、とっても可愛らしいだけなのだけれど。
「リア様、この方は胡散臭いですが、一流の商人さんで敵じゃないですよ」
「きゅい……」
「説得は有難いのですが、もう少しマイルドな言い回しをして頂けると、私の硝子のハートが砕けずにすむのですが」
「あら、リーさんがこの程度で傷つくような繊細なハートだとは、知りませんでしたわ」
「これは一本取られてしまったようだ。……ですが息災でよかったです」
珍しく安堵した顔を見て、私を心配してくれる人がいてくれたことが嬉しかった。思えばリーさんには、あの国出る際に宝石魔導具をくださったのだ。
それだけではなく私を探してくれたのだから──きっと私にまだ利用価値があると思っているのだろう。
「それで遙々ここまで来たのは、もちろん商売ですわよね?」
リーさんは一瞬だけ目を見開き──口元を緩めた。
「まったく、少しは女性らしさが身についたと思ったのに、その当たりは変わらずに鈍いようですね」
「?」
「王都であの後どうなったのかも含めて、お話しさせて頂いても?」
「ええ、もちろん」
そう答えたらリーさんは自分専用のスープ皿を取り出した。本当に……この方は油断ならないわ。
でも昔から嫌いになれないのよね。一流の商人というのはかくあるべきなのかしら?
「スープ一杯分として、そうですね。トワイランド王国の転落っぷりを歌いましょうか」
「え、歌!?」
「ええ、吟遊詩人が歌うほどですよ」
「そ、そう」
リーさんが歌う?
まさか最初からこんなに飛ばすなんて、交渉の主導権を握るつもりね。
それにしても王都を出てまだ二カ月も経っていないのに、一体に何があったのかしら?