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第15話 真夜中の下拵えは流星果実のキッシュ・後編

 それはずっと、私の中にあった疑問。

 けれど誰も「それがおかしい」と思っていなかったわ。屋敷の使用人、父ですら──。


「そういえば……昔からいた侍女たちが、同時期に結婚や実家に戻ると言っていたような?」

「以前の母君と仲がよかったから、追い出された……という可能性もあるよね」

「それは……でも……どうして?」

「人はそう簡単に根っこは変わらない。苛烈な体験によって、多少性格が変わることはあってもユティアの話を聞く限り、別人あるいは成りすましをしているのでは? 元冒険者だったとしても、その話題を出した途端に癇癪を起こすのは触れられたくない、あるいはボロが出そうになるから。それに元冒険者なら身のこなしはとっさに出てしまうものだけれど、その辺はどうだった?」

「いわれてみれば……普通の御夫人でしたわ。扇子より重たいものも持ってなかったですし……」


 思い返せば疑問はたくさんあった。でもそれを口にした瞬間、背筋がゾッとした。

 古い記憶の母はよく笑う、活動的な人だったわ。

 どうして、忘れていたのかしら?


「うーん。あと考えられそうなのは、政治的に隠しておいたとか家の事情とかかもね。ユティアに忘却のまじないがあったみたいだけれど、精霊や妖精の加護で影響は、ほとんどないみたいだし」

「え!? 私、呪われていたの!?」

「正確には守護の副作用によるものだね……複雑で緻密な術式だったけど、祖国を離れてから解除されたみたいだよ」


 国を出たから、違和感を覚えた?

 シシンたちは、気づいていたのかしら?

 思えばお母様の分厚い手帳は大事にしていた。あの手帳に料理や魔物以外にも、何か書いてあるのかも?

 今まで不思議なことに、料理や魔物に関しての記述しか見ていなかった。

 よく考えればおかしな話だわ。意図的に隠されていたのは、きっと何か意味があるはず……。


「明日から早速、手帳を読み解いてみるわね」

「うん。それもいいけれど、シルフ──シシンたちに相談することを薦めるよ」

「ええ、もちろん。そうするわ」


 私にはたくさんの味方がいるのだと思うと、胸が温かくなる。それに今は……こ、恋人のリア様だっているもの。

 そう思うと、口元がどうしても緩んでしまう。


「ユティア」

「──っ」


 そっと触れるようなキスに、ドキリとしてしまう。リア様は時々、凛とした顔をしながらも、私をドロドロに甘やかすような目をする。

 素敵すぎて、直視できない。


「リア様。料理中です……」

「今のは、ユティアがすごく可愛い顔をしていたから、半分はユティアのせいだよ」

「わ、私がこうなったのはリア様のせいだから、総合的にリア様のせいです!」

「私のせいって、どうして?」


 嬉しそうに口元を綻ばせてギュッと抱きしめてくる。

 い、いつの間に浄化魔法をかけたの!?

 すでに火は止まっていたので、私は平静を装いつつボウルに卵、牛乳、生クリーム、砂糖を加えよく混ぜ合わせシナモンも投下。黙々と作業を進める。

 進めないと、この甘い雰囲気に呑まれてしまう!


「キスは……我慢するから、ユティアを抱きしめていたい」

「駄目です。パイ生地が焼けたので、リア様は表面をスプーンで中央をしっかりと凹ませてください」

「ユティアからキスしてくれたら頑張るかも──!?」


「もうしょうがないわね」と、背伸びをしてリア様の頬にキスをする。勢いだけでしたので、キスをした直後、恥ずかしさでいっぱいになった。

 ああー、勢い任せとはいえ……。

 それもこれもリア様が手慣れている感があったから、つい対抗しちゃったのよね……。うう、恥ずかしい。


「…………」


 あれ?

 リア様の反応がない。

 静かだと思って顔を覗き込むと、驚くほど顔が赤い。それこそ発熱しているかのよう!


「リア様? もしかして熱が?」

「違う……不意打ちなんて、反則だと思う……」

「リア様が頼んだので、不意打ちとは違う気が?」

「だって夜だと、ユティアは消極的だったし……」


 その後もリア様は「反則すぎる」を繰り返しながらも、私を後ろから抱きしめたままだった。料理よりもよくわからない「反則」が勝ったらしい。ヘナヘナとして最終的には、私の肩に顔を埋めてしまった。


 私は卵、牛乳、生クリーム、砂糖を混ぜ合わせたものと、流星果実の林檎とサツマイモを軽く混ぜる。それからタルト皿にいい感じに並べて窯で焼く!

 今日は夕食時に、コカトリスのモモ肉を使った野菜たっぷりトマトスープを用意しているから、これで料理は終わりっと。


「ユティアからのキス……他の人と何が違うんだろう? 胸が温かくて苦しくて、愛おしさと、ぎゅって閉じ込めておきたい気持ちが溢れて止まらないんだ」

「とりあえず監禁まがいな気持ちは、抑えてくださいね」

「その言い方は……やっぱり反則だと思う」

「そうかしら?」


 後片付けを始めると、リオ様は水魔法と洗浄魔法で料理道具を含めたお皿やボウルをさっさと片付けてしまった。


「まあ! すごいわ!」

「窯は時間が来たら火が止まる魔法と、出来上がった瞬時に空間魔法で隔離して、冷やすようにしている」

「う、うん……ありがとう?」


 手伝ってくれるのは嬉しいけれど、どうしたのだろう?

 矢継ぎ早に言い終えた後、リオ様は私を抱き上げると洗浄魔法でお風呂に入ったようなサッパリした気分になる。

 ディーネと同じくらい気持ちいいわ。


 呑気なことを思っていたら、リア様は寝室のベッドの上に降ろしたのち、唇にキスをする。最初は啄むような甘くて優しいものから、大人のキスへと切り替わる。


「──っ、り、リア様?」

「もう料理も終わったし、恋人としての時間になってもいいですよね?」

「へ?」

「ユティア、愛しています。こんな気持ちになったのも、触れたいと思うのも……ユティアだけ」

「リア様?」

「すごく、すごく可愛くて、誰よりも愛おしい」


 甘く囁く声を聞いて「やっぱり慣れているなぁ」と、恋愛初心者の私はちょっぴりと凹んだ。

 でも彼が放蕩者のような態度は、今のところはない……。いや、私以外に女性がいないので判断できないわ。たくさんの令嬢に囲まれたら、私なんて見向きをしないんじゃ?

 シシンやディーネ、アドリア、フレイたちに「大人の関係は結婚してからのほうがいい」と口を酸っぱく忠告されてもいる。


 リア様を信じたいけれど、まだ恋人になって数日しか経っていないし……。放蕩者って言われているのが、やっぱり引っかかる。

 精霊は嘘をつかないもの。

 私だけ本気になって、飽きられてポイってされるのが怖い。

 アドルフ様のこともあったし、どうしても恋をするのが臆病になる。

 だからもう少し待ってほしい。そう告げようとして──ぐるん、と視界がひっくり返った。

 傍にリア様がいたはずなのに、視界に映らなくて、そこでブツリと意識が飛んだ。


 たくさんの笑い声。

 甘いイノセンスが香った気がした。

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