テントの外はどこまでも白く滑らかな砂漠と、それを照らす月明かりが見えた。
傍にはあの凶暴な砂喰い鯨の死体と、赤々と燃える焚き火の炎。このテント周辺を守らんと、聳え立つ世界樹の若木……。何もかもが出鱈目な光景だ。魔法ではこうはならない。
気紛れで残忍な妖精や精霊が、嬉々としてあの子に力を貸し与えている。しかも見張り番を、かつて神の座にいた風の精霊王が担うのだから驚くしかない。
「……シルクニフパラディーン。あの子は、『黄金の林檎』の化身なのか?」
「ふふふー! ボクらの愛し子は凄いだろう!」
そう言いながら光の玉は、エメラルドグリーンの美しい髪の偉丈夫の姿に戻る。半透明だがその魔力は凄まじく、以前と何一つ変わっていない──が、中身はだいぶ丸くなったような気がした。
「確かにすごい。出会って間もない私に求婚するなんて、大胆な子だよ」
「……え。求婚?」
「そうだろう。私を抱きしめて何度も……ふ、触れるのだから。それだけではなく、私に食べ物を与えるし、魔法術式的にも食べさせる行為は『特別な存在』だと決まっているし、体を洗って……寝る前にキスだってしてきた。添い寝ではあるけれど、同衾までされたら愛されていると言っても過言ではないだろう」
「あーーーうん」
思わず私を撫でた手の感触を思い出し、胸が熱くなった。
あの子の笑顔を思い出すと、無性に会いたくなる。数分前に寝顔を見たばかりなのに、おかしい。
なぜ?
よくわからないが、体温が上がって心臓が早鐘を打つ。自分の体の管理はしっかりしていたが、魔力酔いだろうか?
「んーーーー、ええっと……ガリアス。一つ聞くけれど……昼間の君の姿って、どう認識している?」
「ん? 髪が藻のように膨れ上がって両手が痺れて上手く動かせず、二足歩行が困難になる呪いのことかい? そういえば君たちの声も、時々ぼやけて聞こえるね。確かに大人としてあのような姿は無様としかいえないけれど、そういう呪いだし。数百年経っても呪いを解く方法もないままで、お手上げだったのさ。この一カ月、あの子の料理を食べたからか体が軽い」
「あーー、んんーーー」
そう矢継ぎ早に話したのだが、なぜか古き友は頭を抱えていた。今の説明にどこに考え込む要素があったのだろう。それとも私が呪いにかかっていたことを今知ったとか?
いやそれはないな。彼は風そのもの、どこにいようとあらゆる情報がすぐに手に入る。
「それにしても些か薄情じゃないかい? 私が呪いで苦しんでいるというのに、放っておくとは」
「それは自業自得だろう。半神半人である概念を壊して自国民を不老不死にしたり、黄金を永遠に生み出す魔法術式を編み出したり……。これだけでも他の神々はガチギレだったけれど、その辺の回避は見事だったし、見ていて面白かったよ。でもさ、恋愛関係だけは、しくったね」
「私なりに善処したが……」
「好いていたら『空中都市と妻を交換しろ』なんて条件は、飲まないからな。他の種族に妻候補を奪われた時も、病弱で痩せ細って死にかけていた妻にも、君は心を大きく揺さぶられなかったし、取り乱すこともなかった」
さすが情報通。よく知っている。
過去を思いつつ、当時の気持ちを振り返った。
「空中都市は珍しかったし興味があって、つい。略奪婚は立派な伝統だし、他種族との軋轢を生むよりは合理的だ。それに彼女も満更じゃなかった。……病気は不老不死の研究を始めたキッカケだったけれど、彼女は不老不死を受け入れずに死んでしまった」
「そんなんだから十二の魔女に呪われるんだよ。呪いが掛け合わさって……昼間はあんな姿なのに自分で認識できないってのが、あの魔女たちらしい報復だね」
「魔女たちは素晴らしい能力を持っていたから、傍に置きたいと心が動いた。プロポーズや贈り物もしっかりしたのに……呪うなんて……」
「そりゃあ、十二の魔女全員同時にアプローチすればそうなるだろう!」
「?」
全員気になったのだ、しょうがないだろう。私の心が揺さぶられることは滅多にないのだから、心が少しでも動いたら距離を縮めて傍に置きたい。
そうだ。
あの子は、今までと違う。
私の心を大きく揺らした。目まぐるしく巻き起こる変化、見たことのない景色を見せてくれる。可愛らしくも大胆な子だ。今まで妻に迎えてきた女性とはなにかが違う。なにより──うん、気付くと彼女のことを考えてしまう。
そういえば名前は……なんだったか。
仕事以外で誰かの名前を覚えないのも、問題だったか?……よく考えたら、今まで妻たちの特徴は思い出せても、名前は覚えていなかったな。困っていなかったし。
「シルクニフパラディーン。あの子の名前は、なんていうんだい?」
「へぇ……。仕事以外で名前を覚えるくらいには、成長したのか」
「……私の呪いを解いてくれる恩人の名前が分からないなんて、失礼だろう」
「本当に君って恋愛関係を除くとしっかりして真面目だし、いい王ではあるんだけどねぇ。恋愛関係だけはどう考えても、クズだからなぁ」
「それは褒めているのだろうか?」
「一応? まあ、ボクがいたからユティアとの運命の導きに、君の魔術的な要素は触れたのかもしれないけれど……どう結末になるのか少し興味が湧いた」
「酷い言われようだ」
「……ガリアス、ボクたちの愛し子の名前はユティアだよ。君でもあの子を泣かせたら、許さないからね」
「……ユティア」
名前を呼んだだけなのに、胸がじんわりと温かくなるような満足感が生じた。魔力が満ちるような心地よさ。
これも……料理の力なのだろうか?
心臓の音も酷くなっていく。
早く呪いを弱めて、意思疎通ができるようになりたい。けれど呪いが解けたら、ユティアはこの土地からいなくなってしまうのだろうか。
そう思うと、胸が酷く痛んだ。