これからどうしようかしら?
ぐるぐると思考がまとまらない。そんなことを考えている間に衛兵に連れられたのが、王城の門扉だったことに気付く。
公爵家に戻る馬車の用意もない。
昼下がりであれば、馬車を用意するのは難しくないはずなのに……。
「聖女様の機嫌を損ねてはいけませんから」
「辻馬車なら城下町にもありますので、髪飾りなどを売れば戻れるでしょう」
衛兵の皮肉めいた言葉に怒る気力もない。リーさんもいつの間にかいなくなっている。やっぱり彼も商談する価値がなくなったから離れたのね。でも商人はそういうものだもの。友人とは違う……。
友人、知り合い、温室に助けを求めてきた人たち……。王城を出るまで色んな人とすれ違ったけれど、誰も止めなかったということは──そういうことよね。
公爵家に戻っても、お父様は婚約破棄された私のことを許さないでしょうし、お母様も社交界での評判が落ちると悲しむだけ……。
私の戻る場所なんてない。
トボトボと王城の橋を歩く。思えば馬車に乗らないで城下町に降りるなんて初めてだわ。
風が冷たいけれど、凍えるほどじゃない。春先でよかったわ。
これからどうしよう。
これからどこに戻ろう。
帰りを待ってくれていたのは、あの温室と──。
『ユティア、お引っ越し? 人間は好きだよね』
「シシン……。引っ越し……そうね。温室……大事な居場所だったのに、あっという間に壊れてしまったわ」
私の傍を浮遊する光の玉は、風の精霊シシンだ。私には生まれて魔力がない代わりに、精霊に好かれやすい。シシンとは契約を交わしているので、仲良くしてくれている。
『ふーん。じゃあ次の新天地はもっとすごいのを作ろう! 大丈夫、ボクたちがいればあっという間に、あの温室を超える特別な場所ができるよ!』
「そう……かしら……でも私は一文なしだし……」
『そんなのボクたちがいれば、どうとでもなるよ! それに今まで国の面倒事を肩代わりしていたのがなくなるんだろう? 自由にやりたいことをしようよ!』
「やりたい……こと」
シシンが私の周りを飛び回りながら、楽しそうに語る。その言葉を聞いてき自分の諦めていた夢を思い出す。
そうだわ、アドルフ様の婚約者になる前は「商人のように世界を巡って渡り歩きたい」と思っていた。新しい食材に料理、珍しい薬草や果実の栽培に研究……。華やかではないけれど、自然と共に生きていく穏やかな日々……そうだわ、私は夢物語に出てくる『善き魔女』になりたい。
「……そうね。自由になったのだから、自給自足の魔女様のような生活をしたいわ!」
『決まりだね! じゃあ、これはボクからのお祝いだよ! 人は様々な要因で環境や運命が大きく揺らぐ。君の波紋が新たな運命を刻む道標となることを祈って──
周囲の風が白銀と金によって煌めき、私の足元に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。いつ見ても精霊の転移魔法は、魔法の術式よりも美しくて光の輝きが段違いだわ。
光に包まれる中、背後が何やら騒がしい。
「ユティア様!!」
「え」
振り返れば姿を見なかったリーさんが王城から走ってくるのが見えた。しかし転移魔法は発動してしまっているので、中断はできない。
リーさんもそれは分かったのだろう。大きく振りかぶって何かを投げた。
「これだけでも、持っていってやってくれ」
「!」
受け取った物は宝石の付いたブローチだけれど、これって──。
確認することも、お礼を言うこともできずに私の体はまだ見ぬ新天地へと飛んだ。
春月四日目、青い三日月の日。
この日、淡い光が一斉にトワイランド王国中から溢れて霧散するという怪事件が起こる。摩訶不思議な現象だったが実害もなかったので誰も気に留めておらず、それよりも大商人リーの三鱗商会がトワイランド王国から撤退する話で持ちきりとなった。
ユティア・メイフィールドが消えた日を境に魔法そのものの威力や効果がガクンと下がり、王国中で問題が多数発生する。その原因を王国住民たちが知るのはもっとずっと後のことだった。
***
新天地となる緑豊かな森を想像してワクワクしていたのだが、物事はそう都合良く進まないらしい。
『ん、あ!』
「ぎゃふっ!?」
足をぐいん、と引っ張られて私は顔面から地面、というか砂の上に倒れ込んだ。地味に痛い。顔を上げると、そこには黒の斑はあるものの白いフワフワでモフモフの
周りを見渡す限り白亜の砂漠が続いている。そんなところにぽつんと横たわる砂海豹。
「か、かわいい……。なんて素敵なモフモフなのかしら! それに
『あーーー! コイツだよ。ボクの転移魔法の因果律に干渉してきたの!』
「因果律? えっと邪魔されたってことかしら?」
『んー、ユティアのあるべき運命の形が変化したことで、大きく揺らいでいた糸が別の結び目を得たって感じかな』
あーうーん、どうしよう、サッパリ分からない。
魔力のない私には魔術や魔法関係のことは、まったくもって理解できないのよね。数式の規則性や古代文字も勉強すれば読めるのだけれど、魔術や魔法に関連する場合は文字すら読み取れないのだから何らかの病気あるいは、魔力がないことで頭が認識しようとしないのかもしれないわ。
魔法が全ての世界で、魔力無しは生まれながらに欠陥品の烙印を押される。だから両親から愛想を尽かされて、それでも公爵令嬢で精霊に愛されるという稀少さを王家は欲しがったのだろうけれど……。
ううん、もう過去は振り返らない。王族との関わりも切れたし、貴族の身分も捨てたのだから!
「きゅう……」
砂海豹は3フィートぐらいかしら? 本物を見るのは初めてだけれど、なんて素晴らしい毛並みなのかしら。この黒い斑は紋様? それとももともと?
白い獣は古来より神々の化身あるいは眷族とされてきて、神獣種、幻獣種に分かれている。普通の砂海豹は黒に近い灰色だから、この砂海豹は神獣種なのだろう。
私とは違って存在そのものが特別なお方。
「シシン、ディーネならこの方を癒やせるかしら?」
『あー、これは古くて強い呪いだから手順通りじゃないと悪化する奴だよ~。しかも死ねないから質が悪いなあ。一体どれだけ憎まれて嫉まれて怨まれたのか』
「そんなに?」
『うん。十二の魔女全員にかけられているなんて中々無いよ。それこそ君たちの時代では神時代かな』
「神時代……」
呪い。魔法の中でも魔力量の多い者ができる禁術、祈りと対極にある……というところまでは理解できるけれど……。
「私に呪い解除なんてできるのかしら……」
『君ならできるよ。だって君は精霊に愛された子なのだから。呪いは愛があれば解くことができる。魔力とかはあんまり関係ないんだ』
「え、ええええええー!?」
『え? 今までだっていろんな呪いを解いてきていたのに、気づかなかったの?』
「ハーブや調合の効果だと思っていたのだけれど……」
『誰かのために一生懸命作ることが呪いを包み込んで溶かす方法なのさ。試しになにか作って見たら?』
「そうね、実際に試して──って、当たり前だけれど、ここには温室のような厨房がないわ」