男は昨日と同じようにスーツ姿だ。
ポケットから鍵を出して、ドアに鍵をかけている。
時刻は朝の8時。
おそらく、これから会社なのだろう。
ちなみに俺たちは、今日は朝の6時半に起きている。
……考えてみれば、こんなに早く起きたのは何年ぶりだろうか。
補足しておくと、もちろん、俺は変身した状態のまま寝た。
ヘルメットを被ったまま寝るって、かなりつらかった。
……って、あれ?
そういえば。
「苗代、お前、学校は行かない系なのか?」
「ううん。そんなことないけど」
「じゃあ、なんでここにいるんだ? 平日だろ、今日」
……平日、だよな?
ニートをしていると曜日感覚が狂うんだよ。
「夏休み」
さらっと苗代が言う。
その場にいる全員が一斉に頷く。
あー、そっか。
そういえば、そんな時期だもんなぁ。
「ついでだから聞くが、栞奈、お前、なんでずっとセーラー服なんだ?」
「え? おじさん、制服好きでしょ?」
「そんなこと、言ったか?」
「男の人って、制服が好きな種族だって聞いたことあるよ?」
いや、種族って……。
割合的には多いかもしれないけど、全員ってわけじゃねーだろ。
まあ、いいや。
面倒くさいし、そういうことにしておこう。
2次元の制服は大好物だし、嘘ではないな。
「僕もブルマを着た方がいいですか?」
「捕まる可能性をこれ以上、高くしないでくれ」
それになんでブルマなんだよ。
もう、3次元では絶滅したって聞いたぞ?
「無駄話はそこまで。こっちに来るわよ」
黒武者の言葉で、俺たちはハッとする。
そうだった。
俺たちはこれから、あの男を尾行するのだ。
……すっかり忘れてたぜ。
すぐに物陰に隠れる。
そして、俺たちがいたところを男が歩いて横切っていく。
危ない危ない。
いきなり、数分でバレるところだった。
それでなくても、今の俺は目立つからな。
では、気分を改めて、尾行開始だ、と思っていたら黒武者が静止してきた。
「みゆきちゃんは家で待ってなさい」
「え? どうして?」
俺もなぜ、黒武者がそんなことを言うのか、一瞬わからなかった。
あいつのことだから、どちらかというと一緒にいたいというはずだ。
だが、すぐにその理由に行きつく。
そうか。
意外と考えてるな、黒武者。
「さすがに人数が多すぎる。それにお前がいると、男に見つかりやすくなる」
「……」
「なにかあったら、すぐ連絡する」
「う、うん。わかった……」
苗代は渋々、駅の方へ向って行った。
「助かったよ、黒武者」
「……別に。つらいものを見せたくないからね」
最悪、男が浮気、つまりは新しい女が出来たという可能性もあり得る。
もし、そんな現場を直接、苗代が見たらどうなるか。
おそらく、その場に特攻する。
事態はこじれにこじれてしまうだろう。
そうなれば、俺は一生このままの姿で生きていかなければならなくなる。
それは何としてでも避けたい。
「好きだった男が目の前で死んだら、トラウマになるでしょ?」
「殺る気満々かよ……」
それはさておき、昨日決めた形で尾行を開始する。
栞奈が男を尾行し、その栞奈を俺たちが尾行するという作戦だ。
そして、この30分後。
俺の心はポッキリと折れることになったのだった。
「……」
「ウザいわ」
落ち込む俺に、容赦のない言葉を浴びせる黒武者。
なぜ、俺が落ち込んでいるかというと、また電車に乗ることになったからだ。
しかも今度は長めの30分間。
この絶望感は半端なく、思い出したくもない。
「いい加減に受け入れなさいよ」
「お前にはわからないだろうな。変態を見るような目で見られる気分が」
「あんたは元々変態なんだから、その目で見られるのは当たり前じゃない」
「黙れ!」
俺は変態なんかじゃない。
ただ単にピンクの全身タイツを着て、フルフェイスのヘルメットを被ってるだけだ。
……変態……なのかな?
「どうせ、帰りも同じ目に遭うんだから、慣れなさいよ」
……そうだった。
帰りもあるんだった。
うわ、めっちゃ凹む。
一気にやる気がなくなったぞ。
もう帰っていいですか?
て、帰るにはまた電車に乗らないといけないのか。
……タクシーで帰ろうかな。
金ないけど。
そんなやり取りをしながら歩いていると、前を歩いていた栞奈がこっちに向って走ってくる。
「どうした、栞奈?」
「あの男の人、会社っぽいところに入ってったよ?」
「会社っぽいじゃなくて、会社だろうな」
「どうする? 中に入った方がいい?」
「いや、一発でバレるな。いくらなんでも、いきなり会社に女子高生が入ってきたら、不審過ぎる」
「どこかで時間を潰した方がいいんじゃない?」
「そう……だな」
黒武者の言う通り、ただ単にずーっと会社の前で張り込みするのは正直ツライ。
現時点で暑くて、ヘトヘトなのだ。
「なあ? 普通、会社って何時くらいに終わるものなんだ?」
「それを一番知ってるのは、普通、あんただと思うけど」
「……え?」
栞奈は15歳で高校1年生。
真凛は19歳で専門学生。
黒武者は20歳で短大生。
そして、俺は28歳で自宅警備員。
「いやいや。俺はフリーランスでフレックスで、テレワークだからわからんな」
「おおー! おじさん、なんか凄い」
「さすがお兄さんです!」
ふふ。そうだろうそうだろう。
俺自身、自分で言ってて、なんか凄い感じしたもんな。
「ただのニートじゃない。言ってて恥ずかしくないの?」
「うるさい! 現実を突きつけるな!」
結局、誰も、普通何時くらいに会社が終わるかわからなかったので、大体、学校が終わる16時を目途に、それまでどこかで時間を潰そうと言うことになったのだった。