突然の変身。
本当は飯を食ってから現場に向かいたいところだが、そうもいかない。
もし手遅れになってしまえば、俺は一生、このままの姿で過ごさなければならなくなる。
そこまでいかなくても、相手を見失えば探し出すだけでも一苦労になってしまう。
そして、その間はずっと俺はこのピンクのスーツを着たまま生活する羽目になるのだ。
そのことは栞奈も真凛も知っている。
2人なら率先して、俺が言うまでもなく、すぐに向かおうと言ってくれるだろう。
「これ食べてからにしようよ」
……言ってくれなかった。
どうやら、栞奈は俺が一生この姿になるかどうかよりも、目の前の麻婆豆腐の方が重要らしい。
「ダメですよ、栞奈さん。お兄さんの変身が解けなくなったらどうするんですか?」
「あ、そっか。襲うハードルが高くなるもんね」
そこなんだ?
俺が元に戻れなくなるとかじゃなくて?
「……でも、冷めたら美味しくなくなっちゃうし」
それでも未練タラタラの栞奈に、自信満々の笑みを浮かべる真凛。
「栞奈さん、いい考えがあります」
「なに?」
「持っていきましょう」
……斜め上の発想だった。
「はふ、はふっ! 美味しいねー」
「栞奈さん、青椒肉絲も美味しいですよ。一口どうですか?」
「あ、もらうー!」
俺の後ろでは、栞奈と真凛が皿を持ち、料理を食べながら走っている。
ちなみに、食べづらいという理由で2人とも変身はしていない。
……真凛。
変身して、ポーズを決めてから出撃するっていう、お前のこだわりはどこいった?
「……顔が隠れているのがせめてもの救いよね」
俺の横を走る黒武者が哀愁を漂わせながらため息をつく。
もちろん、黒武者の方は変身している。
その意見に関しては、全くの同感だ。
ただ、俺の場合は解決した瞬間に変身が解けるから、相手に顔を見られるんだけどな。
……てかさ。
そう考えたら、変身の意味全くねーよな。
だって、正体、隠せてねーもん。
500メートルほど走ると、徐々に男女の言い争う声が聞こえてきた。
今度はちゃんと『言い争い』だ。
一方的な罵倒じゃない。
「なんで急にそんなこと言うの!?」
「急なんかじゃない。ずっと考えてた」
「なによ、それ!」
現場に到着すると、スーツを着た30代の男と、若い女が言い争っている。
女の方が激昂し、男は面倒くさそうな表情だ。
女は制服こそ来ていないが、おそらくは10代後半。
17か18だろう。
髪はウェーブがかかった茶髪で肩まで伸びている。
バリバリ化粧をして、服も胸元が開いたシャツに、ミニスカート。
背伸びをしているといった印象がして、それが返って女が幼く見えた。
「とにかく、俺のことはもう忘れろ」
男はそう言い残して、スタスタと去っていく。
同時に、女が崩れ落ちる。
「なんでよーーーー!」
そう叫んで泣き始めた。
うわー……。
今回はこういうタイプか。
正直、俺は、困りごとの種類は『力で何とかなる』ものだけだと思っていた。
だから、現場に着いてスーツの力でごり押しして解決して終わりだと思っていたし、実際、今までそうだった。
だが、今回はどう見ても力が介入する余地はなさそうだ。
色恋沙汰か。
面倒くさいなー。
てか、そもそもこれ、解決できることなのか?
現実の色恋沙汰なんて、問題を解決できる方が少ない。
最悪、解決できずに終わるなんてことも十分あり得る。
ヤバいな。
どうする……?
そんなことを考えながら呆然としていると黒武者が女の方へ歩み寄る。
そして、優しく諭すように声を掛けた。
「大丈夫。あの男は、そこのピンクの変態がすぐにぶっ殺してくれるから」
えーっと。
俺を犯罪者にしようとするの、やめてもらっていいですか?
女は嗚咽を上げながらも、黒武者の方を向く。
「ひっく、ひっく。……お姉さん……だれ……?」
「正義の味方よ」
正義の味方は、仲間に人を殺させようとしねーよ。
泣く女を落ち着かせて、話を聞き出す。
女の名前は苗代みゆきといい、高校3年生ということだ。
町で変な男に絡まれたところを、あの、スーツを着ていた男の、手塚雅史に助けられ、それが切っ掛けで付き合い始めたのだという。
「……雅史はね、あたしが高校生だから、正式は付き合えない。だから、付き合うのは卒業してからだって」
まあ、当然だろう。
未成年に手を出すのは犯罪だからな。
「それでね、あたし、今年で卒業だから、これで堂々と付き合えるねって。卒業したら一緒に住んでくれるって聞いたら、やっぱり別れてくれって言い出して……」
「無垢な女の子の心を弄んだのね! これだから男って!」
怒りのせいか、握った拳をブルブルと震わせている黒武者。
「正博、お詫びとして死んで」
「え? なんで俺が?」
「あんた、男でしょ?」
「くくりがでけぇよ。共通点、性別しかねーじゃねーか。それでなんで俺が詫びないとならないんだよ」
「じゃあ、あの男を殺してきなさい」
「……なんで、死ぬか殺すかの二択なんだよ」
お前、単に男を抹殺したいだけじゃねーか。
「ダメダメ! それじゃなんの解決にもならないよ!」
まともな意見を言って待ったをかけたのは、なんと栞奈だった。
……栞奈。
俺は嬉しいぞ。
よくぞ、まともに育ってくれた。
俺はお前の将来が心配だったんだぞ。
「この状況を解決するには、その人を襲って既成事実を作ればいいんだよ!」
前言撤回。
お前はもう、ダメかもしれん。
「で、でも、そんなことしていいんですか?」
「女の子の方がOKって言えば、未成年でも大丈夫だよ」
……ダメに決まってんだろ。
法律をなんだと思ってるんだ。
「いいんだ!?」
俺の横で黒武者が嬉々とした声を上げた。
栞奈。
お前の発言のせいで、一匹の猛獣を生み出したかもしれんぞ。
「待ってください。それだけだと、確実だとは言えません」
「え? そうかな?」
「僕にいい考えがあります」
「さすが、真凛ちゃん。なになに?」
「その男の弱みを握りましょう」
…………。
俺は思った。
俺の周りにはまともな人間がいねーな、と。