「知ってる天井だ」
目を開けると、親の顔よりも見た、いつもの風景が広がっていた。
……俺の部屋である。
部屋の中は電気がついた状態で、モニターには『異世界に行ったら180度人生が好転した。俺自身も180度変わります』、通称イチハチのアニメの3話が流れている。
それは俺が階段から落ちて死ぬ前のときと同じ状況なのである。
一瞬、今までのことは夢だったのだろうかと思った。
だが、腹にリングが付いている。
どうやら夢ではないようだ。
スマホを見ると、日付は俺が落ちた日の次の日が表示されていた。
時間は22時だ。
「えー……。マジ、引くんだけど」
確かに俺は言った。
あの、女神と名乗る悪魔に。
2次元のある世界がいいと。
けど、なにもさー、現世はないだろ、現世は。
転生じゃねーじゃん。
俺そのままじゃん。
せめて、違う人間にしろよ!
こういうのって、普通、イケメンの細マッチョになるもんじゃないのか?
年齢も18、19歳とか若返る感じでさ。
鏡を見なくても、俺は俺に転生したことがわかる。
長い年月をかけて育てた、この腹の肉がそれを物語っているのだ。
「ホント、仕事できねーな、あの女神は」
そう言った瞬間だった。
突然、腹のリングがギリギリと締まり始めたのだ。
「ぎゃあああああ!」
激痛で転げまわる俺。
そして、頭の中に直接、あの悪魔の女の声が響いた。
「聞こえてますよ」
「すまん、悪かった! 素晴らしいです! あなたの仕事は完璧ですー」
「……ふふ。ありがとうございます」
さっきまでの激痛が嘘のように治まる。
「私への侮辱発言は控えた方がいいと思いますよ」
くそ。怖え。
孫悟空の頭の輪っかかよ。
「なあ、1つ聞いていいか?」
「なんでしょう?」
「なんで、俺を俺に転生させてるんだ?」
「楽だったので」
……思ったよりもくだらない理由だった。
マジ、ホント、ふざけんなよ。
「けどさ、お前、もう一つの約束、忘れてねーか?」
「もう一つの約束……ですか?」
「ほら、あれだよ。金持ちの家にしてほしいってやる」
「いえいえ。大丈夫ですよ。その辺も完璧に仕事しましたから」
「ホントか?」
もう一度、部屋を見渡す。
DVDの映像を映すためのモニターと、DVD本体。
一人、ギリギリ寝られるくらいの小さいベッド。
型落ちしたパソコンに、ギシギシいうパソコンディスク。
椅子の背もたれも折れたままだ。
そして、無数に床に転がっているスナック菓子の袋やカップ麺の容器たち。
どう見ても転生する前のままだ。
お世辞に言っても、金持ちの家の部屋じゃない。
「いや、どう見ても、仕事しくじってるじゃん」
「そんなことありませんよ。部屋の外に出てみてください」
「部屋の外?」
俺は言う通りに部屋の外に出てみた。
見慣れた廊下。
シミがついた壁に、今にも崩れ落ちそうな天井。
やっぱり、いつも通りだ。
新たに加わっているところがあるとするなら、階段にベッタリとついてる俺の血痕くらいだろう。
「おい、どう見ても……」
俺が文句を言おうとした瞬間だった。
いきなり母親の部屋のドアが開き、母親が出てきた。
しまった、油断した!
俺は慌てて臨戦態勢を取り、一歩、後ろに下がった。
「あら、
「……」
母親のこんなセリフは高校生の時以来だ。
……なんだ? 中身が入れ替わってるとかか?
そう思って、母親を見ると、ある違和感を覚える。
いつものボロいパジャマじゃない。
妙にこじゃれたネグリジェを着ている。
いや、ホント、やめてくれって!
何も入っていない胃から、胃液がこみあげてくるだろうが!
「その恰好……なんの嫌がらせだ?」
「あ、これ? どう? 似合うでしょ?」
上機嫌で笑う母親。
いや、ごめん。吐きそうなほど似合ってない。
「5万もしたのよ」
「そんな金、どこにあったんだ? まさか、俺の保険金が下りたとかか?」
「あんた、死んでないでしょ」
「……まあ、そうだけど」
本当は一回死んだけどな。
お前のせいで。
「貰ったのよ。3億円」
「3億? そんな大金、誰が……?」
「女神って名乗る女の人に」
「……」
随分と直接的な方法だな。
仮にも神を名乗るなら、なんつーか、もっとうまくやれよ。
元々金持ちの家だった的な設定に切り替えるとかさ。
「どうですか? 約束、守りましたよね?」
得意げに言う女神。
っていうか、母親も母親だ。
知らないやつから3億円を渡されて素直に受け取るなよ。
明らかに怪しいだろうが。
「あんたを生かしておけば、またお金くれるんだってさ」
「……」
なるほど。それで、あの台詞か。
確かに、金が入って来るなら、俺を殺す理由がなくなったというわけだ。
……いや、金が入って来なくても、息子を殺そうとするなよ。
「というわけだから、もうビクビクして、家の中歩かなくていいからね」
そう言って、母親はまた自分の部屋に入って行った。
「まあ、命を狙われなくなったというのは大きいな」
階段も恐る恐る降りる必要もなくなったわけだ。
トイレも、出たら凶器を持った母親がいるんじゃないかと恐怖することもなくなる。
家の中を安全に歩ける。
実に10年ぶりだ。
そのとき、腹が物凄い音を立てて鳴った。
考えてみれば、昨日、カップ麺を食いそびれてから何も食べていないのだ。
腹も減るはず。
とりあえず、俺はキッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けてみると、皿にサランラップがかけられているものを見つける。
付箋があり、『正博へ。食べてもいいよ♡』と書いてあった。
ハートマークが、物凄くイラっとした。
皿の中にはチャーハンが盛りつけられている。
チャーハンか。
また、濃いものを……。
まあ、無いよりはマシか。
俺は付箋を破り捨ててから、レンジの中に皿を入れる。
だが、その時だった。
突然、ビービービーという警戒音が鳴り響いた。
「うお! なんだ!?」
どうやら、その音は腹のリングから鳴っているようだ。
「おい、女神! なんだよ、これ!」
「どうやら、困っている人を検知したようです」
「困ってる人?」
「出動してください」
「チャーハン食べてからな」
音を無視して、レンジの温めボタンに指を伸ばした時だった。
いきなり全身が光に包まれる。
「おい、なんなんだよ!」
「フォームチェンジです」
光が収まると、俺の体になにやらスーツのようなものが装着されていた。
「……まさか」
俺は洗面所へ行き、鏡を見る。
そこにはクソダサいスーツを着た俺の姿が写し出されていた。