ヒーローになりたかった。
困った人の元に颯爽と駆けつけ、正体を明かさず、見返りを求めず助ける。
そんな格好いいヒーローに。
そして、あれは忘れもしない、高校1年生の頃。
町で不良に絡まれている女の子を発見するという、ベタベタな展開に遭遇した。
チャンスだ。
俺はいつもカバンの中に用意していた覆面を被り、不良に向かっていく。
あ、覆面はヒーローの仮面のつもりだったんだ。
火事場のクソ力だったと思う。
俺は3人を相手に、追い払うことに成功した。
けど、俺はボコボコにされ、覆面の上からでもわかるくらい流血していたんだと思う。
けど、俺は誇らしげに、女の子に向かってこう言った。
「大丈夫だったか?」
俺が初めて助けた人。
救助者第1号。
そんな人の口から出た言葉は――。
「いやあああああああああああああ!」
悲鳴だった。
月曜日の午後1時。
季節はセミの鳴き声が猛威を振るう7月の初旬。
カーテンを閉め切っているので、部屋の中は薄暗い。
モニターから流れる動画配信サイトの映像の明かりだけが俺を照らしている。
流れている動画は昔の戦隊ヒーロー特集だった。
……悪夢の理由はこれか。
ちなみにあの後、悲鳴を上げられた俺はあっさりと警察に捕まり事情聴取された。
そりゃそうだろう。
覆面を被った不審な男が、鼻血を出しながら女の子に迫っていたのだから。
誰だって通報する。
俺だって通報する。
「それにしても暑ぃな」
起き上がって、エアコンのスイッチを入れる。
ブオーンという音と共に冷めたくてかび臭い空気が俺を包んだ。
さて。
今日も一日の始まりだ。
まずは起きたてのボーっとする頭を覚醒させるために、モニターをDVDに切り替える。
そして、リモコンの再生ボタンを押す。
「おっはよー! 今日も一日がんばろー!」
俺の人生の
ヒロインのモナ子ちゃんが掛け声を言ってから、音楽に合わせて踊り出す。
「うおー! がんばろー!」
俺は立ち上がり、モナ子ちゃんの振り付けに合わせて踊る。
はちきれんばかりの巨乳を揺らし、くびれた腰からのプリプリのお尻が実に魅力的だ。
ピンク色の長い髪が理想の体を引き立てるように広がりを見せる。
脳が完全に覚醒した。
モナ子ちゃんを見るだけで、脳汁がドバっと出てくるのが自分でもわかる。
モナ子ちゃんは可愛い。
そして、裏切らない。
やっぱり、二次元は裏切らない。
約2分半。
OPをモナ子ちゃんと踊り終えると、俺の体は汗びっしょりになっている。
かなりしんどい。
28歳、童貞、ニート、さらにぽっちゃり系の俺には2分半は長すぎる。
もちろん、肩で息をしていて、膝はガクガクと笑っている状態だ。
だが、俺は健康のためと、朝起きるためのルーチンワークとしてこれを取り入れている。
うーん。
体力もつかねーし、痩せねーな。
下を見ると、腹が突き出ていて、普通につまむことができる。
けど、まあ。別にこの体型だからといって不便というものではない。
だって、ほとんど移動しないのだから。
歩くとすれば、部屋からトイレ、キッチンまでくらいだろうか。
だから、別にこの体型を変えるつもりはない。
「いや、しかし疲れたな」
俺は再びベッドに腰を落とす。
そのまま自然と寝転がり、二度寝に入った。
深夜の1時。
ドアに耳を当てる。
廊下からはもちろん、リビングからも音はしない。
よし、寝たな。
俺は部屋を出て、キッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けて、食べ物を物色するが、食材だけしかない。
仕方ない。
食い飽きたがカップ麺を食べるか。
俺は棚の中に入っているカップ麺を取り出す。
さすがにカップ麺を切らすことはしない。
俺が餓死したら困るからだ。
もちろん、困るというのは世間体を考えての困るなのである。
お湯を沸かしてカップ麺に入れ、割り箸を持って、再び階段を上がっていく。
すると――。
上の方から気配がした。
見上げるとそこにはパジャマ姿の母親が立っている。
御年58で、俺と同じような体型。
髪は天然のパーマがかかっている。
昔は男にモテモテだったと言っていたが、絶対に嘘だろう。
そんな母親の手には包丁が握られている。
ヤバい!
母親はその包丁を構えて、ニヤリと笑った。
「ああっ! 足が滑った!」
「嘘つけっ!」
ダダダダと包丁を構えた肉の塊が迫ってくる。
俺は間一髪でそれを避けた。
階段の下ではビタンと音を立てて、潰れたカエルのような体勢になっている母親が見える。
こうして、母親はことあるごとに俺を亡き者にしようとするのだ。
母親の言い分では「ニートを家に置いておく余裕はない」のだという。
随分と勝手な話だ。
「ふう、危なかったな……って、熱いっ!」
なんと、母親を避けたときに、持っていた、熱湯が入ったカップ麺に親指を入れてしまったのだ。
「ぎゃああ!」
思わずカップ麺を離してしまう。
当然ながら、そのカップ麺の熱湯は俺の足にぶっかかる。
「うおおおお!」
思わず飛び上がってしまい、着地時にこぼれた麺を踏んでしまい、足を滑らせた。
「しまっ!」
俺は階段を転げ落ち、母親の隣に落下する。
――ゴキン。
そして、首の骨が折れた際の、鈍い音が直接脊髄を通って耳に入ってきたのだった。
「息子が階段から滑ったんです! お願いです! 息子を助けてください!」
ばっちりメイクを決め、外出用の服に着替えた母親が救急隊員に泣きながら懇願している。
ちなみに救急車が呼ばれたのは俺が落下してから1時間後だ。
家の周りには深夜の3時近くだというのに、野次馬が群がっている。
「息子を! 息子を助けてください!」
周りに聞こえるように、必死に大声を張り続けている母親。
俺はすぐにストレッチャーに乗せられ、救急車に乗せられる。
母親も乗り込み、救急車が発進した。
すると母親はピタリと泣き止み、運転手に向って笑顔でこう言った。
「安全運転でお願いしますね」
……ふざけんな。
意識が朦朧とする中、俺の頭の中には走馬灯が走る。
今まで生きてきた思い出が俺の頭の中を駆け抜けていく。
モナ子ちゃん、可愛かったなぁ。
そして、次に思い出すのは母親に命を狙われ続けた日々だ。
俺は最後の力を振り絞って口を開く。
「絶対に……〇す」
それが俺の最後の言葉となったのだった。