「まぁ、そうですよね……」
と言いながらも、やはり様子がおかしい。
マツリカちゃんの言動が時々バグるのは前からだが、今日は特に変だった。
「あー」とか「うーん」とか言いながら、上を向いたり下を向いたり忙しい。
敵の陣地のど真ん中だってのに、気がそぞろなのは危ないぞ。
「なぁ、本当に大丈夫か?」
「え、あ、はい。大丈夫ですとも」
本当かよ……? 緊張してるだろどう見ても。
そう思った俺は試しに彼女の手をにぎにぎしてみる。
にぎにぎ。お、やっぱり凝ってるじゃないか。
ん。柔らかくてちっこい手だなこれ。
「あの、お師匠さん……? 何をしてるんですか?」
「マッサージ」
そう言って、彼女の手を刺激する。片手でも俺の握力はそれなりにあるからな。
にぎにぎ。ぐりぐり。
「ひ」
「ん。ここだな凝ってるとこ」
「い、にゃぁあああ~~」
ツボを見つけて押しまくった。
ひとしきり身もだえしたあと、涙目でマツリカちゃんが睨んだ。
「ちょっと、あの、なんで急に……?」
ん、怒ってるのか。
痛かったか。すまんな。
「緊張してるんだろ? 戦いの前に過度の緊張は良くないからな。とっておきのリラックス法をしてやろうと思って」
と言いつつ、本格的に指圧を始めた。
ほれ、ぐりぐり。
「うにゃぁ~~」
マツリカちゃんは変な声を上げて額を抑えた。
「こんな場所で、何をいちゃついているのですの……」
「敵地だからなおさらだろ? リラックスしなきゃ」
彼女のツボを刺激し続ける俺と、身もだえが止まないマツリカちゃんに、シノンちゃんはなぜか、信じられないものを見る目を向けた。
「なんだよ……」
「いえ、二人の関係に何か変化があったのかと思ったのですわ。まぁ、良いコトがあったのなら良いのですけど……」
引っかかったような物言いだ。
「応援するとは言いましたけど、でも目の前でいちゃつかれるはちょっと」
とも言っていた。
「いやいや、お嬢。あれは違うのですねぇ」
「何が違うんですの」
「アサヒは分かっているわけではありません。マツリカ嬢も、伝えたわけでは無いのでしょう?」
「う、にゃああ、い、言って、ないぃぃいい~~」
「でしょう」
何の話だ? と思いつつぐりぐりする。
「まぁ、確かにミウはあなたに良くそういうことをしていましたねぇ」
「お、そうなんだよ。俺もそれを思い出してさ。懐かしいよな。みんなにしてたんだよ。ミウねえとかシーンとかみんなに」
「あなたは見境なくやってましたねぇそれ。私は手がありませんから受け付けてませんでしたがねぇ」
「アサヒさんって、誰でもああいうことするんですの?」
「うにゃああ~~」
「そうなんでぇすね。アサヒはそう言うところ、あるのでぇすよ」
「あふ、あふぅ~~」
「ちょっと、マツリカさん静かに」
「喋ってないで止めてよぉ~~」
「――アサヒさんも、もうやめてあげてくださいまし」
手を放すと、マツリカちゃんはそのまま崩れ落ちた。
「んだよ。なぜ怒る? なんか悪い事したか」
「普通は易々と異性の手には触れないのですわ。まぁ今は分断防止という理由はありますけど、それでもこねくり回すのはどうかと」
「ん、そうか? ミウ姉は暇さえあればこうしてたが」
シノンちゃんは「ん?」みたいな顔をして胸元に抱えたドクターを見る。
「そのミウさんという人、もしかしてですの?」
「ええ。アサヒは気づいてないかもしれませんがねぇ。ミウには多分、そういう感情がありましたねぇえ」
ドクターの言葉にシノンちゃんは「えー」と呟いた。
「その人。その、亡くなったんですわよね」
「ええ。宇賀原ミウは死にました。この虚神と戦って。残念ですがね」
「……俺はまだ納得しきってないけどな」
宇賀原ミウの想い出は俺の中で瑞々しく再生される。
15歳から18歳ごろっていう多感な年ごろの経験だったこともある。
死んだというのは分かる。だが、どこかで信じられない。
理由の一つには、ミウ姉の最後の思い出だけが虫食い状態だからだ。
俺はミウ姉とお別れができていない。
「お、お師匠さんはその人のことどう思ってたんですか?」
ようやく復活したマツリカちゃんが食い気味に聞いた。
俺がミウ姉のことをどう思っていたか、か。
「姉、恩人、師匠、チームメイト、家族もかな。まぁ憧れではあったよ」
「ふ、ふーん……、好きだったとかは?」
「さぁなぁ。当時ガキだったからわからん」
これはマジでわからないんだ。
ミウ姉の事を考えると、今でも胸の奥が痛い。
これが恋であり、失恋だというのならそうなのかもしれない。
――同時に、そうではないかもしれない。
「消化できてないんだと思う。だから、ツァトグアの炎を見て嫌な気分になったわ」
問答無用で大技をぶっぱなしたのは、それが理由でもある。
「そもそも、ミウさんって人どういう人だったんですか? 前にも言ってた気がしますけど、私その時いなかったので」
ナイアルラトホテップの内部は暗くどこまでも果てしない。エイボンの魔術でナビはされているから、迷うことはないのだろうが、時間感覚が麻痺し始める。
「ええとな、ミウ姉は元自衛隊員でな――」
請われるまま、俺とドクターは彼女の昔話をする。
どんな人間だったか。
何が好きで、何が嫌いだったか。
彼女の強さ、弱さ。
人に対するかかわり方。
俺に対するかかわり方。
追悼の気分で話す。
多分俺には、いろんな感情を保留する癖がある。
そうしないと、過酷な戦場では死ぬからだ。感傷に浸ってる暇はない。
だが、仲間がいてくれるのならばそれができるらしい。
「奇しくも宇賀原ミウも最後はこの暗闇の泥に沈みましたからねぇ。このあたりの、どこかにいるのかもしれません」
「不吉なこと言わないでくれ。ドクター。化けて出てきたらどうするんだ?」
「そうですよ。それにでてきたとしたら、敵が化けている姿でしょうし」
その通り。
何にでも化けられる変幻自在が相手だ。
その可能性は、最初から想定している。
「あ、その方って、あんな感じのヒトですの……?」
遠くに明るい炎が見えた。四肢に纏わせた炎のブーツとガントレット。
自衛隊時代から着古しているという迷彩柄のジャケット。
うつろな目で中空に浮かんでいる。
「ほら、噂をするから化けて出てきたじゃねーか」
シノンちゃんの指さす先には、あの日の姿のままのミウ姉がいた。