親愛なるハルちゃんへ。
こんにちは庭マツリカです。
届くかどうかわかりませんが、とりあえず、このメッセージの下書きをしています。
ううん――、多分届くのだろうし、ハルちゃんの事だから届いたらすぐに返してくれるのだと思うけど、きっと今のハルちゃんは黒い虚神が化けた姿で、本当のハルちゃんじゃないらしくて……。なんだか複雑です。
多分このメッセージは送ることはないでしょう。
それでも、とりあえず下書きだけ……。
いま私は、ある世界を救う大作戦に参加しています。
今日もそれについてのミーティングがありました。
リーダーは、お師匠さんの昔の上司である魔道士エイボンという人です。深淵の奥に存在する黒い虚神の本拠地に突入して世界を救う作戦です。
私達は世界を覆いつくす黒い泥を止める為に、ダンジョン:中京断崖から
エイボンさんの魔術によ空間転移です。
むかし――何千年も前。エイボンさんはその石板の力で土星に行ったそうです。宇宙? すごい。世界初の宇宙飛行士ですね。と言ったら笑われてしまいました。
宇宙へも行けちゃう石板なので、私達をトラペゾヘドロンという
それを使ってショートカット、黒い泥の中心地まで一気に――らしいです。
突入ルートの説明と、突入方法を何度も聞いて、綿密なシミュレーションを繰り返しています。
ところで、この場所にとどまって数日たちます。
早く行きたい気持ちはあるけれど、エイボンさんの話では、今はしっかり準備を整えるべき、だそうです。
ハルちゃんや、泥の中に居る人たちの開放ももうすぐだからね。待っていてください。
でも、いま大きな問題が発生しています。
ツァトゥグア様という、味方になったらしい土の
エイボンさんは数時間で出てくるだろうと言っていたのに、音沙汰が無いままもう三日が経ちます。ドクターはカンカンで、毎日エイボンさんに怒鳴り込んでいます。
お師匠さんはどうしちゃったのかな。
本当に困ってます。
私達が無事やり遂げることができたら、その時は改めてこのメッセージを送ろうと思います。それでは。
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「ここに居ましたの」
「――あ、シノンちゃん」
大きく開けたドーム状の空間のすみに、マツリカはポツンと座ってスマホをいじっていた。あたりは小さな蒼く発光するキノコ粒子が飛んでおり、幻想的な風景が広がっている。
「まだ帰ってきていないのですわね」
最近マツリカは、ミーティングが無い時間ずっとここで座っている。
アサヒを待っているのだ。ツァトゥグアの闇に飲まれたまま、帰ってこない彼。エイボンは心配ないというが、割り切れなかった。
「休まないと体に障りましてよ」
「うん。休んでるよ。ほら、こうして座ってる」
「夜もあまり寝てないし、それでは休んだとは言いませんわね」
呆れたという顔をして、曽我咲シノンも彼女の隣に座った。
そして考える。
(さて、なにから言うべきでしょう)
マツリカの気持ちはシノンにもわかる。アサヒが心配なのだ。
だが、どう声をかければいいのか考えあぐねる。
「アサヒさんが居ないとなんだかさみしいですわね」
「うん」
「もう3日ですわ」
「そんなに経つんだ」
「エイボンさんが言うには『死んではいない。まだ戦っているようだ』だそうですけど」
「お師匠さん、バトルジャンキーだからね。戦ってるうちに楽しくなってるのかも」
「楽しくなってる?」
「そう。あと、負けず嫌いだし」
「でも、世界が危ない時ですのに……」
「ほんとにね。早くしなきゃいけないのは分かってると思うんだけどね」
「無責任な方ですわ」
「うん……。まぁ、そうだね」
沈黙が訪れる。
マツリカは話しながらも、視線は何もない空間を見つめていた。
(さっそくミス! 気まずいですわ!)
『無責任』は失言だったと内心頭を抱えた。
彼女が、アサヒを好きなことは知っている。それなのに相手を責めるような物言いをしてしまった。
(バカバカ。わたしのおバカ! ただマツリカさんが心配なだけなのに!)
こうなってくると焦りも出る。
この黒髪の少女とは、地獄のブートキャンプを経て友達になったわけだが、斉藤アサヒに対しての想いが並々ならぬことは嫌というほど知っていた。
ふとした時に、彼の後ろ姿をじっとりとした視線で追っているし、気が付けばいつでも彼の後ろに控えている。
時々スマホを覗き込んで何をしているのかと思えば、彼の配信アーカイブを編集したものを繰り返し繰り返し何度も何度も見ていた。その時はさすがに『この子、ガチですわ……』と戦慄したものだ。
斉藤アサヒは彼女の
気軽に触れていい場所ではない。
これ以上墓穴を掘る前に、退散した方がいいですわね……。
そう思い始めた時だった。
「シノンちゃんはさ、お師匠さんのこと好きなの?」
「は?」
出し抜けに投げかけられた問いに変な声が出た。
私が、アサヒさんの事が好き? え? なぜそう思ったのかしら??
シノンの脳裏にクエッションマークが乱舞した。
「どうしてそう思いますの?」
「なんとなく……。あ、エイボンさんに私たち二人でお師匠さんが危機に陥ったら救えって言われたからかな?」
マツリカとシノンの左の手には、変わった文字の刻印が浮き出ていた。エイボンから授けられたものだ。窮極的に存在をあるべきところ、あるべきものに戻す魔術である。人ならば人へ。虚神なら虚神へ。変異した存在に対するるリセットの様な力。そう聞いている。
アサヒに何かあった時、二人でそれを使いアサヒを助けてほしいと言われた。
「私だけじゃ駄目なの……? って思ったんだよね」
そういうマツリカの視線には怒ったような、困ったような、悲しいような。複雑な感情がのっていた。
『シノンちゃんも、お師匠さんの事が好きなんじゃないの?』
嫉妬と呼ばれるものだろう。
だがその奥には怯えもあった。
『私じゃかなわない。お願い違うといってよ』
「私がアサヒさんをどう思ってるか……。正直に言いますわね」
「うん」
マツリカは、顔を伏せてしまう。
聞くのが怖いのだろうと、シノンは思った。
「正直、あの人苦手ですわ」
「え」
「むしろ、7対3くらいで嫌いかもしれませんわ。もちろん嫌い7」
「えええ」
「私、こう見えて曽我咲の令嬢ですの。粗野な人は好みませんわ!」
そもそも、曽我咲シノンに、斉藤アサヒは最初からあまり良い思い出が無い。
文字通り死ぬほど怖い思いをしたときに出会ったし、そのあとも、説明なくショゴス沼に落とされた。
あの、むちゃくちゃなドクターの知り合いというのもマイナスポイント。
ブートキャンプもサイアク。泣き顔たくさん見られたし。
ちょっと高圧的なところも気に食わない。
男性的だし、脳筋だし。たぶん馬鹿だし。
「ぜーんぜん、ちーっとも好きでは無いですわね」
「そうなんだ」
「ええ。むしろマツリカさんがなんでそう思ったのか、不思議すぎますわ」
まぁ、それなりに感謝はしてますけど。とシノンは思う。
だけど、それが恋心になるには時間が足りない。
「むしろ、そんなことで微妙な空気を出してましたの! 心配して損しましたわ!」
「え、え」
「ここ数日、避けられてるのかとビクビクしてましたのに……」
「え、ご、ごめん」
形勢逆転だ。今度はシノンが主導権を握る。
「まぁ、あの人ダンジョンのこととか、虚神のことしか考えてなさそうですしねぇ。マツリカさんが不安になるのもわかりますわ」
「そ、そうなんだよね。前に一度デートにも誘ったんだけど、修行が先だ! って言ってブートキャンプに連れていかれちゃったし」
「とんだ朴念仁ですわね。レディの誘いをなんだと思っているのか」
「そ、そう思う?」
「思いますとも。私はマツリカさんの味方ですわ」
「えへへ……、う、うれしい」
手を取り力強く握ると、顔を赤らめて笑った。
(なにこの子、可愛いですわね)
シノンは正直、恋とか愛とかよくわからない。
それよりも探索者として、大企業の娘としてやらなくてはいけない事がたくさんあった。
でも、恋もしているマツリカを見ていると、人を好きになるというのも、まぁ悪くないかもと思っていた。
些細な事で、心が揺れて疑心暗鬼に陥ったり、嫉妬したり。同じ心を揺らすなら、怖い怖いと思いながらダンジョンに挑むより楽しそうだなと思った。
(それに、恋をしている乙女の顔、可愛いですわ)
むしろそっちのケがあったようだ。
「本当に、あの脳筋さんはいつ帰ってくるのでしょうか」
「そろそろ帰ってきてほしい……。お師匠さん成分が枯渇中……」
「こっちも、ドクターの頭の血管が切れそうなのですわ」
「え、そうなの?」
「アサヒさんのこととなると、見境なくなるんですわ。毎日毎日エイボンさんに怒鳴り散らしてます」
二人はその姿を思い起こし、苦笑した。
◆◆◆
「――――くく、くくく! ふふふふははははは!! つかんだ、つかんだぞ! 俺はついにツァトゥグアの力を手に入れたんだ!!」
『やりましたねアサヒ。まさか変身できずとも、ツァトゥグアの力を引き出すとは、私も思いませんでした』
「とりあえず気合入れれば、何でも出来るってことだな!」
『ですが、変身は……』
「ま、まぁできなかったもんはしょうがねぇ! それ以外はできるようになったんだから万事OKだな!」
そんなことも知らない脳筋二人組が帰還したのは、数時間後のことだった。
突入の準備が整った――ようだった。