「先ほど、【
夜明け前の空でドクターが問う。
表情は真剣で、いつものふざけた笑みは見当たらなかった。イタカァ。その言葉を頭の中で探すけれど、思い当たらなかった。
「知らない。何か意味がある言葉なのか?」
「イタカァというのは、
「
「私がこの体になったときに、出会ったやつでぇす。“風に乗りて歩むもの” “大いなる白き死” そんな風に言っていました。やつは私をさらうと、悠久の星間宇宙に連れ出したのでぇすね。そこで少しばかりの話をしましたね」
――――――――――――――――――――
-ドクター
-よく生きてたな。無事に帰れたの奇跡じゃん
-えー、無事か? それでドクター頭だけになったんだろ
-イモムシじゃなくて頭だけにされたんか
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「もちろん無事とは言えませんねぇ。少しばかり気が狂いましたしね。まぁ話の要点はそこではなく。『力が欲しいか? 捧げれば与えてやろう』そう言ったんですよね彼は。私は生きて帰りたかったですからね。欲しいと言いましたよ。
虚神にもらった……?
「待てよドクター。幻想器は、虚神に対抗して生み出されたイスの民が残した兵器だって言い出したのは、あんただろ? 虚神に対抗するための力なんだろ」
「あれはね、嘘でぇえすね。――いえ、イスは関係していますよ。作ったのは彼らでしょう。【
俺は、ミウ姉が
誰かと会話をしていたミウ姉。あれは、幻想器そのものと話していたと思っていた。だけど、虚神そのものとの接触であったとしたら?
ミウ姉は神と何を話したんだろう。
「誰も言いやしませんでしたけどね。宇賀原ミウや、ラウダ、シーンも同じような経験をしているんじゃないですかねぇ」
虚神たちは、深淵に潜む倒すべき敵。そう思っていた。
だが幻想器は虚神がもたらしたものであるとドクターは言う。
「持ち主の居なくなった自分たちを討つための兵器。それを人間に与えて、虚神は何を考えているのでしょうか。全くわかりませんねぇ」
――――――――――――――――――
-幻想器を渡してきたのが虚神ねぇ
-でもそれ使って、ドクターたちは、虚神を狩ってたんだよな
-なんか、危なくないかそれ
-意図がわからんよな
-ニキたち虚神殺しまくってるしなぁ
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『アサヒ、ドクター。お話の途中ですが、東の空からミサイルがやってきます。数は4つです』
アースが話を遮った。
「おやおや、時間でぇえすね。
『イエス、ドクトル』
ドクターは風を操作し俺とドローンを遠く離す。
幻想器に指示すると、ドクターの周りに風が集まって、勢いを増していった。
「アサヒぃ! 見ていてくださいよぉ! あのアーカムアサイラム最後の日、宇賀原ミウもこうしたのですよぉおお! これは幻想器に自らの存在を明け渡す技。幻想器の中に秘められた【虚神】そのものを顕現させる力なのでぇえええええすよおおおお!!!」
◆◆◆
「おおおおおおぃぃぃぃ、ひひひひひぃぃぃうはははははぁぁああああ!!! 来る、来ます、来ちゃいますよぉォおおお!!」
ドクターの狂気じみた咆哮が空に響く。暴風が吹き荒れる。普段彼が扱るフィールド操作とはけた違いの出力。地球そのものを気候変動させかねないほどの規模だ。
ぬめるふ とぅいーあ るふふるん とぅいーあ
るそぬーる らふる れん びおらら
【虚神】の祝詞が響く
うつろなる神をたたえる言葉。
聞けば頭痛、めまい。気分不良。精神が異常をきたす。
ぬめるふ いたかぁ いあいあ ぬん
るそぬーる らふる れん びおらら ぬん
その暴風が寄り集まる。空一面の風が、大気が、一点に凝集する。
神を讃える祝詞と共に、風は凝って、次第に人型を取った。
いあいあ いたかぁ れん びおら――
「――いぃぃぃいいいいい、
周囲を威圧する衝撃波と共に、それは現れた。
形作られるものは、見上げるほど巨大なケモノだ。二足歩行、鋭いかぎづめを光らせた両腕はいびつに節くれだち見るものに根源的恐怖を思い出させる。手足から生える爪は黒々とし、死というものの源流を表していた。
巨大すぎる体躯に比較して貌は小さい。だが、その顔面をほぼ占めるような赤い赤い目は凶悪な容貌をしている。視線は空の彼方に向けられているが、あれがこちらに向けられないことを心から祈らざるえない。
寒気が止まらない。恐怖からだけじゃない。
物理的に寒い。風雪の
巨大な背から風がとめどもなく生み出されている。
生み出される風は白く濁り、意識を刈り取る極寒の風を思わせる。獣の背から吹雪が流れ落ちる様は、険しい高々度の山稜からの吹き降ろしを想起させた。
『お待たせしましたねぇえ……、“風とともに歩くもの” “凍れる青白き死” 魔人イタカァでぇぇええすよぉ』
魔人そのものとなったドクターが答えた。
「これが、幻想器の
圧倒的な存在感に、あっけにとられる。
こんなことができるなんて……
『アサヒ、ミサイルが』
アースの短い警告に意識が戻る。
空のはてからくるもの。地球をぐるりと一周しマッハ数十を超える速度で突っ込んでくる核ミサイルだ。
一発でも爆発されると日本が終わる。放射線がまかれれば、死ぬのは俺達だけでは済まない。
『要はですねぇえええ!! 爆発させなければいいのでしょぉおおおお!! イタカァ! 極限吹雪です!
魔人イタカァが、両手を振り上げる。周囲の風が集まり指向性を持ち、ミサイルに向い、吹き始めた。風は遠く遠くへ続く道となり、その先にミサイルがあるのだ。
『アサヒ、身体強化を起動します』
アースから視力強化が寄こされる。
西の空のはて、ドクターの吹雪にされされなおも進むミサイルが、目の前にあるかのように見える。白き吹雪をかき分けて、粉砕しながら悪魔は飛ぶ。
ミサイルは赤熱していた。超速度を得たことで空気との摩擦で赤く染まっている。これは、もういつ爆発してもおかしくない。
「ドクター、ミサイルが赤い! 爆発するぞ」
『うるさいでえっぇえええすねぇ!
核ミサイルの速度が徐々に落ちている。イタカァから引かれた白い風のレールに抗い進む悪魔の兵器は、だんだんと押され始めているんだ。
『核反応だってですねぇぇぇぇええ、物質の反応なのでぇええすからぁああ、運動を限りなく0にしてあげれば防げるんでええすよねぇええ!! とうっ、たつ! 『セッ氏-273.15』 !! 絶対零度でぇえええっすよぉ!!』
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-絶対零度って、みんなあこがれる奴やん!!
-氷系の最強技って言ったらこれだよな!
-ドクターかっこいいです!
-すげぇええええ! 核ミサイル止まってきてるよ
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吹雪と、ミサイルのせめぎ合いは、その距離を徐々に縮めながらつづく。
先頭を飛ぶミサイルの先端から、一瞬で真っ白になるのが見えた。
その後、砕け散る。
一切の欠片を残さない粉砕。
押し負けたミサイルは氷の粒子となって空に散っていく。
『まだまだぁ!!』
続いて二本目も砕け空に消える。
『残りにほぉぉおおん!!』
さらに一本砕ける。残り一つだ。
思った瞬間、俺の身体が浮き、魔人イタカァのそばに引き寄せられた。
あまりに巨大な氷の魔人。その肩に立った俺にドクターの声が響く
『アサヒィいい、合わせますぁああすよ!! 最後の一本を削りとってくださぁああい!!』
「――はっ、最後の最後で息切れかよ!?」
『はっ、うるさいでぇええっすねえ!! 結構リスキーなんでええすよ、これぇえ!!』
ドクターの声を聞き流し、アースの柄を握る。
残り一発。弾頭を削り取れば対処はたやすい。
もはや眼前まで来たミサイルをにらみ、俺は渾身の力をこめ、アースを振りぬいた。