「お師匠さんが変なんだよ。前の
庭マツリカからの電話だ。
マシンガンのように、繰り出される彼女の言葉に、京都の実家にいる阿賀野ハルカは苦笑いをした。
この暴走ぎみの親友は、一度感情が高ぶると、絶え間なく話しまくる癖がある。ヒステリーとは違うだろう。伝えたくて、どうにかしたくて一生懸命なのだ。
「んー……、お師匠さんって、斎藤アサヒさんやろ? ウチらのことを助けてくれたひと。あの人めちゃつよやん。それに、すごいしっかりしてるみたいに見えたよ?」
どういえば、リカは納得してくれるかな? ハルカとリカの付き合いは長い。彼女の性格は自分が一番知っていると思っていた。一言一言考えながら話す。
「心配すんなとは言わんけど、考えすぎてリカが混乱したら余計にめいわくになるかもしれんし……。少し様子見ててもええんちゃう?」
「……そんなことないし。帰ってきたお師匠さん本当に辛そうだった。目の下にクマを作って、今にも死にそうな顔してたんだよ」
「ん……、せやったら、ほんまになんかあったんかなぁ……。いうても、本人さんが話さへんのやったらしょうがないしなぁ」
「うん。多分聞いても教えてくれないと思う……」
「直接おーたことはないけど、そういうとこ、頑固そうやもんなー」
それにしても……と思う。
(リカ、恋してもうたんやな)
深刻そうなマツリカに対して、ハルカはなんだかほほえましい気分になった。親友はダンジョン探索が大好きで、推しの探索者を何人か作っていたけれど、実際に会いに行ったり、強引に弟子入りするなんてことは初めてだった。
(それくらい惹かれてもーたんやなー)
そういうことならしょうがない。
人が話したくないことを無理やり聞き出すのはよくないが、気を紛らわすくらいはいいだろう。
「彼も探索ばっかりの仕事人間っぽいし、いっぺんデートでも誘ったらどうかな? あんたら一緒に行動するとき、地下ばっかやろ。せっかく東京におるんよ? 遊ぶとこいっぱいあるやん」
「で、デート……っ!?」
「なに狼狽えてるんよ。ばればれやよ……そや、いっそ色じかけしてみたらどう?」
「えええ!?」
「リカ、アサヒさんのこと好きなんやろ? それやったらガンガン行ったらええやん」
「いや、えっと……。それは、え、え、そんなこと……」
「あんなに毎日、アサヒさんがどーしたこーした、やかましぃて。SNSでもやんややんや言ってたらわかるわ。認めい!」
「う、ううん……」
(ほんま可愛いな、リカは)
それっきり黙りこくってしまった親友に、ハルカはまたニヤニヤと頬が緩むのを抑えられなかった。
こっちは命の危険があったことで、こっぴどく叱られたうえ、ダンジョン禁止を言い渡されてしまったのに。楽しそうなことやね。嫌味やないよ? 本気でよかったと思ってるよ! そう思っていた。
(まぁええわ。うちのダンジョンは結局付き合いでしかないしな。リカに新しい相方ができたんやったら身を引くのがいい女ってもんやね)
「とにかく、うちはしばらく夏休みや。新学期が始まる前にはそっちに戻るわー」
「うん。わかった……」
学生の身では休みの間しか、配信はできへんし。
「あ、ところでハルちゃん、京都はどう? そっちのダンジョンって異変ないの? お師匠さんがいうには、深淵の関係で、ほかの都市のダンジョンが気になるって言ってるんだけど……」
「こっち? こっちはぼちぼちやなぁ。なーんも変化あらへんよ。いつも通り」
「よかったぁ……、
「京都地底湖はいつも通り風光明媚な場所やで。通常営業中やね。そのうち
「それ、お師匠さんにいってもらおうか。トンネル掘るの得意だよ」
「そりゃええね。いっそ風通しよくしてもらいたいもんやね」
冗談を言いながらしばらく談笑する。
マツリカとハルカ。いつもの親友同士の時間だった。
「話聞いてくれてありがとうね。ハルちゃん」
「うん。なんぼでも話してや。それじゃ、またやで、リカー」
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電話が切れる。
場所は京都。阿賀野家のハルカの自室だ。
純和風の8畳。若い娘の部屋にしてはものが少ない。
異質な部屋だった。タールを塗りこめたような漆黒だ。
ふすまが、和箪笥が、文机が。そのすべてが輪郭だけを残し、黒々く染まっていた。
「本当に、リカは、セワがやけルんやでナぁ……」
電話が切れたとたん、阿賀野ハルカだったモノは輪郭を崩す。
どろりとした泥に戻り、とぷんと床に広がる。その中心に、ぽっかりと青白い無表情な女の顔。うつろに頭上を向いた。
「そない好キやっタラ、早くコクっタラええん世……」
ぶつぶつと人間だったはずの泥は意味のなさない呟きを吐き続けた。
黒の支配は阿賀野家だけにとどまらない。
京都の街はすべからく漆黒に覆われている。それはすでに県境を越えてその先までも――。