「幻想器は人の願い。イスの民が残した邪神たちに対抗するための神造武器。そう定義されるべきでぇえすねぇ」
ミウ姉の
身体を破壊されたけれどその程度で彼は止まらない。研究に身体など不要! 頭だけあればいいのですなぁ! と豪語する彼は、首だけの人外になった。一応ショゴスにも漬けてみたけれど、身体丸ごとの再生は無理だった。
幻想器たちから情報を得て、深淵の解明が進んでいく。
彼らの情報は断片的で、肝心なところはあやふやだったけれど、どうやら
ドクターとミウ姉という空を飛べる幻想器使いが加わったことで、探索範囲は大きく広がった。おおよその地形も把握することができたし、どこにどんな
ヤツラは自分のテリトリーに入ってきたものを襲う。
逆に言えば、そこに入らなければ、積極的に襲ってくることはなかった。
地中はアースの領分だ。地下に構造物を見つけた。
巨大な水晶の鉱脈の中。人工的な回廊。そこから見る景色は一面透明で硬質な水晶壁だ。
その水晶の壁の中に人がいた。イスの民と呼ばれる存在。白人じみた薄い体色と金の髪を持つ長身の人々。もう生きてはいない。何万年もこうして眠っているという。
過去に【虚神】たちとどんな戦いがあったのだろうか。
そこは、戦士たちの霊廟だった。不滅にして美しい先住者は、形を保ったまま水晶の中で静かに眠る。
水晶壁のエリアを抜けた先の火山地帯に、地上への脱出路を発見した。後々わかったことだけれど、深淵からの脱出路には法則性がある。地底火山の近くだ。硫黄のにおいが立ち込める場所を通り、俺たちはおよそ約5か月振りに地上への帰還を果たした。
地上では少しばかり騒ぎになっていた。
曽我咲や、アルキメデスなんかのジオード関連企業からも問い合わせがあったし、深淵からの帰還者。奇跡的な生還と大々的に報道された。
数か月もかえって来なかったせいで、後続の探索チームが投入されたが、そのすべてが帰ってこなかったらしい。俺たちも道中、人間には会わなかった。出会う間もなくやられてしまったのだろうというのが大方の予想だった。
深淵行の成果は大きい。まず、幻想器が2つ。【虚神】や【異獣】の情報多数。深淵の詳細な地形データとおまけの高純度ジオード結晶が数知れずだ。
データや結晶は曽我咲・アルキメデス・橘の三社に提供された。深層まででは幻想器もちでないフリーランスの探索者の活動も活発で、ジオード結晶の採掘・採取が盛んになる。迷宮探索の黎明期が訪れていた。
その後、俺たちは特別チームとして何度も
元漁師で、筋骨隆々な
元海兵隊の安座間シーン。そばかす混じりのぽっちゃりお姉さんの使う
チームの栄光とは裏腹に、心配なこともあった。
リーダーである、エボン神父がおかしくなっていった。
シスター・ナイアの言葉にも耳を貸さず、自分の世界にとじ籠るようになった。毎日毎日うなされているらしい。
世界の滅びの夢。地球が暗黒の汚泥に飲まれる夢。それを何度も何度も繰り返し見せられ、次第に精神に異常をきたしていた。
各都市の地下にある迷宮および、深淵は放置できない問題だ。
だが、迷宮から産出される各種資源に依存し始めた日米両政府は、早く、滅びの元を絶って、深淵を閉じなければならないと訴えるエボン神父を疎むようになっていた。
世界の滅びなど嘘なのではないか? 深淵の高純度のジオード結晶を独占するつもりなのではないか? 幻想器使いの配下に命じ、反乱を企んでいるのではないか? ってな。
もちろんそんなつもりはない。
深淵を旅する俺たちはその日その日を戦い抜くのに必死だった。
事態が大きく変わったのは、深淵の果てに、黒い泥にまみれた一角が発見されてからだ。
その土地は、異常なことばかりある深淵の中でも特に異質だった。
泥の沼の上に浮かぶ新円の暗黒。一般的に想像されているようなブラックホールの姿に近いものが浮いていた。そこから、無限と思える量の黒い
エボン神父は、ここが世界滅亡の種であると断定した。
翌日、俺たち幻想器持ちは暗黒の中に突入することになる。
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「そこまで、なんだ。俺が覚えているのは」
頭が痛い。
記憶の欠落があることに、なぜ今まで気が付かなかったのか。
おぼろげに、ミウ姉は死んでしまったことは覚えている。彼女は燃えて、燃え尽きて黒い泥に落ちて、沈んで死んだ。
だけどどうして死ななくちゃならなかったのか。その途中が思い出せない。あの暗黒の中で何があったのか。轟さんは。シーンは。シスターナイアと、エボン神父はどうなった?
なのに、なんで俺はそのあとにのんきに企業勤めなんてしていたのだろう?
大事な大事な相棒だったアースは、布にくるまれて押入れの中だった。俺はどうしてそんなことをして2年もの間、過去から目を背けていられたんだろう。
『ええと、誠に勝手でしたがー、お話が始まったからは配信を切らせていただきましたー。その、とても個人的なお話のようでしたのでー』
俺の長い長い昔話を聞いていたシノンちゃんも、ドローン越しのシィさんも神妙な顔をしていた。
ただ、ドクターだけがいつもと変わらない軽薄な笑いを浮かべている。
「――まぁ、その程度ですよねぇ。ちょっとは期待したんですが、なかなか完全には戻りませんよねぇ」
ドクターのその態度が、俺の頭はどこかおかしいのだと告げていた。