「キミばかりに頼っちゃってごめんね」
俺の額に濡れたハンカチを置いたミウ姉がぽつりとつぶやく。
青白い光が満ちる地底湖のほとりにいた。
土塊操作で進んだ先に見つけた不思議な空間だ。光るキノコが群生し、あたりを照らす。嫌な臭いも、嫌悪感もない。敵性生物がいない証拠だ。
寝かされた俺は、浅く短い息をはいていた。
意識がもうろうとして、身体が凍える。戦いで手足を絶たれたからだ。止血はできたけれど絶望的に血が足らない。
寒気がやまない。震えが出ていたけれど、それも次第に止まっていた。明らかな死の兆候が出ていた。
「本当に、ごめんなさい。本当ならまだ学生のキミをこんな場所に連れてきちゃ駄目だった……」
残った俺の手を握るミウ姉は心底辛そうだった。瀕死の俺を見下ろす顔。そんなの、死にかけている俺本人ですらつらい。俺は言いたかった。ミウ姉が謝る必要なんてない。ここへ来たのは俺が決めたからだと。だけど声はかすれて出せなかった。
手に入れた
エボン神父がやってきてチームに誘ってくれたのはうれしかった。手に入れた力を全力で振るうことができる。そのための機会と場所がある。それは、救いに他ならなかった。
謝らないで。俺が自分で決めたことだから
身体が冷えていく。すべてが遠い。目もうまく開かない。
「アサヒ、駄目! 死んじゃだめだ」
そう言われても、ひたすらに眠かった。目がかすむ。
「寒いよ、ミウ姉……」
だんだんと視界が狭まるなか、最後にすこし声が出た。手足の痛みもあまり感じない。必死で叫ぶミウ姉の声はもう聞こえない――。
◆◆◆
「お願い、彼を助けて。もう死んでしまう」
「――――――――」
「それは」
「―――――――――――」
「でも、いえ、そうね……」
「――――― ――――――― ――」
「……わかった。それでいいわ」
どこまでも落ちていくようなまどろみの中。
聞こえないはずの声を聞いたような気がした。
◆◆◆
暖かさはその時の俺にとって何よりも貴重なものだ。
寒くて、眠くて、目が開けられなくて。もうこのまま永遠に目覚めないんだと思っていた。俺の意識は地底湖に戻っていた。なぜだろうと思うと、歌声が聞こえてきた。
「――― ――― ―――――」
覚えがあるメロディ。たしか野営中に聞いたんだ。彼女の地方の子守歌。
「アサヒ目覚めた?」
すぐそばで声。ミウ姉だった。俺は彼女に抱きかかえられていた。抱きしめられた腕は心地よく、柔らかな感触が背を包む。
「もう心配しなくていいよ。助かったんだよ」
彼女の声はやけに弾んでいた。
俺の出血は致命的だった。なのになぜ目が覚めた。
失ったはずの手足を見ると、そこに張り付いていたのは、不定形の軟体動物たちだった。
てけり・り てけり・り
歌うようにささやくように鳴いたそれ。深淵の救護者ショゴス。初めて出会ったのはこの時だ。
「この子たちがね。助けてくれたんだよねー。身体を治す力をもってるんだって。間一髪だったよ。偶然この地底湖が巣でね」
そういう、ミウ姉の目は真っ赤に腫れていた。
俺は本当に危なかったはず、都合よくショゴスの巣があったからよかったものの、そうでなければ本当に死んでいた。
ゲル組織の中、無くなったはずの手足の感覚が少しずつ戻っていた。ぴくぴくと動く感覚がある。再生がまだ途中なのか、かゆみがあった。身体を起こそうとしたけれど力が入らない。
「あ、えっと、まってくれる? この子たちが言うにはね。キミの身体にはまだ血が足らないらしいんだよね。だからもっと治療が必要でね。うーん、どういえばいいか……」
いぶかしむ俺に、ミウ姉は考え込む。そして「ええい、面倒だ!」と身体を起こした。そして――
ショゴスの巣である地底湖に投げ込んだ。
そこからは、まぁいつものパターンだ。
口から極太の触手をぶち込まれて、胃の中まで。その時は下からも入れられたかな? ヤバいよな。初めてがショゴスだもんな。パニックで目を白黒させてる俺にミウ姉は言った。
「ご、ごめんね。でも、大丈夫らしいから……」
俺は全身にもぞもぞとした感触を感じながら、首筋に打たれた薬で痙攣後、無事失神した。
◆◆◆
「私も、幻想器があればいいのにって願ったのよ」
ショゴスの中でミウ姉の独白を聞いた。
「深淵で戦うには、幻想器が必要だってわかった。政府も企業が協力してジオード銃を使ったけどやっぱり力不足だ。だからキミに頼るしかない」
深層では、民間に流れたジオード銃を持って、民間人が結晶掘りや魔物退治を始めている。深層までならそれでいい。だけど、深淵は敵の強さが違う。
「幻想器さえあれば。そしたら、キミを助けられたのに。みんなを守る、強い力が私にもあればって願ったのよ。そしたら、
ミウ姉の手足から炎が吐き出す。
赤々として、逆巻く焔。周囲を明るく照らす。
(え、それなに……?)
笑っちゃうよな。しばらく寝てたらミウ姉が炎使いになってるんだから。
「私の
彼女の胸には、ルビーの宝石が光ってた。その小さな構造物が幻想器の本体らしい。それがしゃべる。
『我は
ってね。
◆◆◆
「いい? いくよ」
ミウ姉におぶられたまま、俺はうなづく。
「
『承知した』
ミウ姉の手足が燃え上がる。赤々と周囲の空気が灼熱し、渦を巻く。
「アサヒ」
「わかった。アース、空を」
天井に向け、渾身の一振りを放った。頭上の地盤はすっかり掘り取られぽっかりと空が開けた。そこから炎が吹き上がる。ミウ姉から、ジェットのごとく炎が噴き出し、俺たちは一瞬でクリーム色の空へと躍り出た。
地底世界
空から眺めるのは初めてだった。
地下とは思えない原生林。乱立する遺跡群。ひしめき合う異形たち。
「いい景色ね!」
『主、ミウ。人間の反応を複数観測。本隊であると愚考する』
眼下にキャンプ中であろう一団が見えた。チームのみんなだ。
ヴルトゥールの花園からそれほど離れていない。
全員武器を背負っている。攻撃の直前か?
「こんなところにいるってことは、戦うつもりね」
「逃げてないってこと?」
「そうね。完全に見捨てられてたら、こんなところにいない!」
俺とミウ姉は先回りし、ヴルトゥームの花園へ飛ぶ。
チームが無謀な突撃をして帰る場所がなくなったら困るからな。
生ける炎クトゥグアの力を振るう【紅炎神殿】の力はすさまじかった。相性もいい。あっという間にヴルトゥームとミゴたちを焼き尽くしてしまった。
ミウ姉が幻想器を手に入れたのを皮切りに、俺たちの戦いは優勢に転じていくことになる。俺がアースを手に入れたみたいに、願う者の場所に幻想器は現れる。そういう風になっているらしい。