ガンガンとナニかがぶつかる音が聞こえる。
暗闇の中で縮こまる俺たちは、まるで
「私たちは奇襲を受けたのですわ。笑いながら空を往くもの。毒と酸を降らすもの、青白き人魂……」
俺たちが到着する前の話。
あくまで迷宮宝具のテスターとして参加していたシノンちゃんは、
「最初は、笑い声が聞こえてきたのです」
生ぬるい湿気がまとわりつく。
首筋を撫でられているような質量をもった風が吹いていた。
その風に乗って
ひそひそ
くすくす
どこかで誰かが嘲笑している。そんな声が聞こえた。
「私は生まれた時から曽我咲。社長令嬢ですから、誰かに後ろ指をさされることもありましたわ。嫉妬もありますわよね。小学生のころはいじめられたことも。金持ちだから威張っていると……。つらかったです」
耳から
過去のつらかった思い出が掘り起こされて、嫌な気分になったという。
「私はその程度でした。でも、ひとによって影響が違うのでしょうね。調査隊の職員のおひとりの様子が変わりました。ぶつぶつと、うわごとを言い始めて、最後には、大声をあげて銃を乱射し始めましたの。明らかに怯えてしましたわ」
味方の銃撃で調査隊は浮足立った。
精神に異常をきたした職員を取り押さえるために隊列がくずれた。
その隙を奴らは襲う。
黄金と薄青に輝く触腕を備えた火の玉。背後から取りつき操ろうとする、遊行する毒霧。光の浸食。頭の上に振ってきて口をふさぐ。
「霧……、霧が出ましたのよ……、口と、頭の周りに……。吸ってしまって、それで苦しくて、息ができなくて……目の前が暗くなって」
シノンちゃんの気道からヒューヒューと
『アサヒ、奴らは星の風精、遥か昔、
「確かに。土で打ち上げても、あそこまでお前の刃は届かないもんなぁ」
「ほかの探索者さんたちも迷宮宝具を持っていましたし、応戦したのですわ。けれど、ヤツラはあまりにも早くてとらえきれなくて。一人また一人と宝具を砕かれ……。どうしようもなくなって私たちはあの洞窟に逃げ込んだ。そしてツァトゥグアに襲われたのですわ……」
―――――――――――――――――――――――
-シノンちゃん怯えてるかわいそう……
-深淵の敵、精神攻撃きつすぎへん? 標準装備でメンタル削ってくるやん
-アサヒニキが脳筋になるのわかるな
-よっぽど図太くないとすぐ発狂しそう
-画面越しでも、不安定になったわ
――――――――――――――――――――――
腰に下げた剣を握る手がカタカタと震えていた。
シノンちゃんの迷宮宝具も……近接型っぽいしなぁ
「だけどよ、ドクター。ドクターアンデルセン。あんたなら戦えただろうに」
「え……、し、しかしドクターは見ての通り、首だけの方です。迷宮宝具もないので……」
「いや、持ってるよ。自分の迷宮宝具。しかも生産される模造品じゃない。迷宮で発掘される本物を。なのにそのおっさんは、君らが襲われてるのを黙ってみてたんだよ。自分なら奴らに対抗できるのにな」
じろりと睨むと、白髪交じりの中年の生首はへらへらと笑った。
「そ、それは本当なのですか?」
ふふふ、ははは。ひひひひ、と
ひとしきりのうすら寒い
「――まぁ隠していたのは謝りますよお嬢。ただ、私が手を出しても、お嬢の成長にならないと思ったまで。あなたがその新型を使いこなせるようになるのが、私の願いでしたからな」
「だが、彼女、死にかけてんじゃねぇか。工程に固執して全部台無しにするのあんたの悪い癖だよ」
「くふふ、
―――――――――――――――――――――
-生首博士
-調査隊が襲われてるのに、何もせず見てたってこと?
-でも、生首じゃ何もできないだろ
-アサヒニキの知り合いだろ。そうは限らんて
-シノンちゃんがかわいそう。師匠なら何とかすべき
――――――――――――――――――――
「ドクター、今の話は本当なのですか? もしそうなら、私は……」
シノンちゃんの顔がゆがむ。
弟子と言いながらも、今までドクターのこういう側面は知らなかったのかもしれない。このおっさん性格が最悪だからな。
ぐすぐすと、泣き出してしまったシノンちゃん。
おいおっさん、何とかしろよ。そう思い睨む。
「――まぁ、いいでしょう。今回だけ力を貸しましょう」
「当然だ。外に出すぞ」
「ええ、お願いしますね。アサヒ坊」
俺はアースに指示を送り、土壁にドクターの首が通れるだけの穴をあけた。外は濛々《もうもう》とした霧が立ち込め、たちまち侵入しようとしてくる。
急いで外に投げ捨てた。ぼてぼてと転がる生首。荒っぽいがどうってことない。なんせあのドクターだからな。
毒霧の中、へらへらとした笑みを崩さず空を眺める。
この環境の中、首一本でドクターはどう戦うのか?
「――
ドクターの首の周りに風の渦ができた。
ふわりと浮き上がる生首。風は次第勢いを増し、毒霧を散らし小規模から始まった竜巻が拡大していく。
「――環境の掌握。周辺
ドクター・
深淵時代の俺のチームメイト。
怪物に襲われて首だけになった終わってる博士。
でもあの人は、戦闘員としても一流だった。
ドクターが持つ迷宮宝具の名は【幻想器:
それは、曽我咲やアルキメデスが作る既製品じゃない。深淵層でまれに発掘される原始の迷宮宝具。出自不明・制作方法不明、ただ使い方だけは分かる。搭載された人工知能が教えてくれる。
ドクターの迷宮宝具は、口の中にあった。
彼がにぃと笑うと、人工歯に加工された迷宮宝具に翠光が走る。趣味の悪い【風・乗・征・破】の4文字が刻印された入れ歯。だがそれは、風と冷気を操り、空を切り刻む、破滅の牙だ。
「さぁ、風と共に征きますよ、
『OK、ドクトルアンデルセ』
俺たちが見守る中、生成された強烈な上昇気流に乗って、ドクターの生首は、遥かな空に打ち上がる――。