それが「天魔」と言います。正式名称第六天魔王です。ちなみに仏教のラスボスですが「欲」を司る仏でもあるので倒せません。性欲はおろか食欲も無くなって人類が絶滅するからです。ヒンズー教ではカーマという性愛の女神ですが仏教だと天魔王になります。魔王は地下世界に居るとは限らないって事ですし「倒せない」魔王も居るって事です。克服できても殲滅はできない。しかも天界の中では最下位となる六欲天の第六層に居るから第六天魔王です。
第六天魔王はブッダの涅槃の時に駆け付けたのですが「出禁」になりました。仏で唯一と言ってよいでしょう。こういうのを必要悪って言うのでしょうね。ただしブッダは第六天魔王の神咒は受けました。その内容は地獄に落ちて後悔している者に第六天魔王が救いの手を差し出すという内容です。降魔をした者とは思えない寛大な措置です。だって第六天魔王って煩悩を人に与えて人を苦しめる魔王ですからね。この時同じく涅槃に駆け付けた閻魔天はその神咒聞いてどのように思ったのでしょうか。閻魔は獄に居る者に対し減刑嘆願書を受け取ったようなものです。でもたぶん逆らえないですよね。閻魔は第三天魔王で第六天魔王よりも低い六欲天の第三天界に住む仏です。つまり上司と部下の関係でもあるのです。
ただし神道だとなんと守護神です。それどころか天皇家すらも守ります。つまり日本でまたひそかに魔王の地位から神へひっくり返ったのです。たしかに仏敵ですから第六天魔王の英訳も「サタン」になりますが倒せないサタンがなんと日本にも居てしかも信仰されているって事は覚えておいた方が良いです。
天魔王は日本では大天狗の姿で現れます。ご利益は欲望の神だけあって商売繁盛・五穀豊穣です。日本の魔王観はおかしいです。はっきり言って。
まあ中世は僧侶たちが関所を儲けて金儲けをたくらみ僧兵を持ち狼藉を働くなど特に商売人の敵であったことから「敵の敵は味方」だったのでしょう。しかも鎌倉時代は寺院は金貸し機関でもあり武士からも嫌われておりました。それどころか「座」と言って要は市場を開く商人にショバ代まで求めました。だから嫌われたのでしょうね。たぶんラノベにも登場する「善政を行う魔王像」というのはこういう悪行を繰り返した当時の仏教勢力と戦うことを第六天魔王へ祈った成果だったのでしょう。
仏教上の純粋な姿だと天界に居る時は優美な姿で弓と矢を持ちます。出自が女神カーマだけあってまるで美女のようにも見える美男子です。
なお天界こと欲天に転生するとこの世のあらゆる快楽を自在に受けとることが出来ますが快適すぎて解脱できず次の転生先は人間界だったり修羅界だったり果ては餓鬼界への転生かもしれないので天人は必ず寿命を終える時に悲嘆にくれます。人間は四苦八苦が無いと輪廻という苦しみから逃れられることが出来ないのです。しかも天人五衰を食らいます。天人の最後は衣服が垢まみれになり体も汚物で汚れます。現代で言う要介護状態を現したようなもんだと思ってください。そう、タワマン貴族の老人の末路のようにね。解脱・浄土に行くことが出来るのは人間界からだけというのが罠なのです。
チベット密教の六界図を見ると天界に弓を引く者たちが居ます。右上の人間界に居る人たちもずっと裕福です。左上に居る人たちですね。これが修羅界に住む者たちです。そうなんです。天界って平和じゃないんですよ。同じく天人のような立派な着物を着たり武装してますよね。修羅界の住民が戦う相手のトップは帝釈天と言います。第二天魔王で六欲天の第二天界に住む仏で表向きは天部の仏のトップですが実際の地位は天界の中では相当低いです。これを「修羅場」と言います。まあ阿修羅も天龍八部衆の1人で天部の仏なので実はこの戦、プロレスなんだけどね。阿修羅も閻魔も非番の時は快適な天界に住んでいるというわけです。
そうなんだ。仏教ってのは「魔王は一人じゃない」んだ。なお第四天魔王だけ弥勒菩薩という菩薩という位の高い仏にして救世仏ですが、なぜ世の最終救済をする者が魔王でもあるのでしょうか。やっぱ仏教って本当に奥が深いですよね。鈴鹿御前はこの第四天魔王の娘、つまり弥勒菩薩の娘とも言われております。
なお、観音菩薩って第六天魔王に化身して衆生を救う時があります。それが三十三応現身の1つである他化自在天身です。