春の光が心地いい。
東京都内某所のアパートの一室。わしは寝起きのだるさを感じつつも、窓の外に見える青空を眺めていた。
目の前に華殿がにこにこ顔で座っており、わしらの間には華殿が作ってくれた朝食がテーブルを彩っておる。
5年前の壮絶な戦。古の都を舞台にしたあの戦いから5年が過ぎた。
わしは去年の春に都内にあるとある大学の政治・経済学部へと無事合格し、この春からそこの2年生となった。
んで今は華殿と一緒に生活しつつ、それぞれの大学に通っておる。
同棲と言えば聞こえはいいし、そんな学生生活を送っておる若人も全国には多くいるじゃろう。
だけどじゃ。
早速だけど、悲惨な我が歴史の紹介じゃ。
実はわしら、お互いの一軒家城の近くのアパートを1室借り、そこで同棲生活をしておるだけではない。
わしら法律上においても立派な夫婦となっておるのじゃ。
ことの発端は去年の春。いや、忘れもしないあの1日はまさに年度が変わる4月1日の朝7時のことじゃった。
すでに高校の卒業式を終え、あと数日で大学の入学式という、なんだかそわそわしつつも好奇心を感じてしまう日々を送っておったわしの部屋に、突如華殿が訪れた。
1階ですでに朝食を食べていた父上たちも来訪者が華殿ということもあって、とくに彼女を止めることなく、華殿は短い挨拶をするだけで1階を突破。
そしてわしの部屋に押し入り、まだ寝ていたわしの布団をはぎとって無理やり体を起こしてきやがった。
「な……なにごと!?」
わしが寝ぼけながらも必死に頭を回転させ、華殿に放った言葉はそれだけ。
そして華殿から返ってきた説明も短いものだった。
「これ、婚姻届け。結婚しちゃお!
だからここに名前と住所その他もろもろ書いて、あとハンコもよろしく!」
自身の耳を疑うというか、華殿の感性を疑うというか……もはやこの世界の道理や常識すら疑ってしまったわ。
あり得るか? いや、本当にこんなことがあり得るか? と。
だけどさすがのわしも寝起きの感が否めないこの状況で、華殿に論理的な反撃をすることなど不可能じゃった。
というかにっこり笑顔を浮かべつつ、なんか体からめっちゃ脅迫的な武威を垂れ流している華殿がマジで怖くて、わしの本能が即座に抵抗を諦めてしまった。
「うん、わかった。ここに名前書けばいい?」
もうさ、言われるがままに婚姻届けに署名捺印をしてしまったのは仕方ない。
双方の両親の記入欄とか、あと保証人のところに三原と寺川殿の名前がすでに記入されておったので、わし以外の全員がこの企みに加担しておったと気づくのが遅れてしまったことも仕方なかった。
んでそのままわしは華殿に連れられて中野区の区役所に行き、婚姻関係は無事に成立。
3時間ぐらい経って事の重大さを認識し始め、怒りとともに一軒家城のリビングに押し入ったものの、父上と母上は爆笑するばかり。
すぐさま三原と寺川殿が住むタワーマンションにも攻め入ったが、その2人も爆笑するばかり。
たまたま昼寝から目覚めた暁光がおったので、そやつを抱きしめてしくしくと泣いてしまった。
そんな忌まわしい1日を経験しつつ、今となっては同棲生活も1年を過ぎたぐらいなので、最近のわしらは平和な学生生活を送っておると言えよう。
まぁ、結局のところ華殿は前世におけるわしの妻。“うた”であり、そこらへんは問題ないのじゃ。
でも強いて言うなら、現代における常識に沿った手順を――あぁ、もう! 思い出したら悲しくなってきた!
過去のことは忘れよう! そう、それがいいに決まっておる!
「ん? どうしたの? お前様ァ?」
「いや、なんでもない。天気いいなぁって思ってただけ。それじゃ……いただきます」
短いけれどもいつものような会話をこなし、わしは目の前の食事に手を伸ばす。
と思ったらここで玄関のインターホンが鳴り、来客じゃ。
「お兄ちゃん、華おねえちゃん、おはよー。シャワー借りるよー」
いや、康高じゃ。
インターホンを鳴らすや否や玄関のドアをガチャリと開け、そのままわが城に侵入。挙句は顔すら見せずに廊下で叫び、そのまま風呂へと入って行った。
「はーい。ご飯もできてるよー」
「ありがとー!」
華殿がさも当然のようにこう言い放ち、風呂場の方から康高の声が返ってくる。
うむ、絶対におかしい。
百歩譲って、わしらの借りておるアパートは実家である一軒家城から徒歩2分。わしの実家と華殿の実家の間ぐらいにちょうどいい物件があったので、そこの1室を契約しておる。
んでそんな場所だからこそ、わしの弟たる康高がちょいちょい遊びに来たりするのは至極当然の流れじゃ。
でもこの弟、中学2年生ぐらいの頃から早朝ランニングを日課に組み込み、去年の春からはランニングの後にさも当然のように我が城を訪れて暖かいシャワーと米2合程のどんぶり飯摂取をこなし、それから満足そうに自分の城に帰っていく習慣まで日課に組み込みやがったのじゃ。
いや、別に構わんのじゃ。
あくまで康高はわしの弟だし、いくつになっても可愛い弟だからそれは構わんのだけれど……。
そうじゃな。勇殿と一緒に甲子園春夏5連覇を成し遂げた自分が言うのもなんだけど、1年生の春から1人で強豪校のエースと四番を受け持つ康高――そんなこやつが毎朝5時に起きてしっかり10キロランニングをこなすのには感心すら覚える。夜はバットの素振りとかも抜かりなくこなしておるらしいし。
けどこちとら夫婦だし、華殿にとってはあくまで康高は義理の弟じゃ。
毎朝康高がずかずかと城に上がり込み、シャワーや朝食をこなすのは華殿的にはやはり問題じゃろう。
と最初の頃は思っておったのじゃがそんなわしの心配は、先程の2人の会話――そしてシャワー上がりのさっぱりした顔でリビングに入ってきた康高と、それを迎える華殿が織りなすいつもの会話によって無意味なものへと変わる。
「康君? 今日はどれぐらいにする?」
「うーん、そだね……ちょっと大目に走ったから、2.2合ぐらいで」
「りょうかーい。ほらいっぱい食べなさい。でも、もしかして康君、最近またちょっと体格よくなった?」
「ふっふっふ。華おねえちゃん、そこに気付くとは……? 最近また身長も伸びたし、それに合わせて体重も増やしてるんだ! でも全ては華おねえちゃんの作ってくれる朝飯が美味しいから!」
「まったく……いつもそうやってすぐにお世辞を!」
「お世辞じゃないよ。でも……俺には超えなきゃいけないでっかい背中が2つもあるからね」
そしてわしを見る康高。これはたぶん甲子園で活躍したわしと勇殿のことを言っておるのじゃろう。
「んじゃ、やっぱりいっぱい食べて体を大きくしなきゃ!」
「ありがとう、華おねえちゃん! 華おねえちゃんのためにも、俺もがんばって春夏5連覇を!」
「ふっふっふ。期待してるよ!」
「くっくっく。どうぞ存分に!」
って華殿! 康高を受け入れ過ぎなんじゃ!
しかも今度は2人揃ってわしに意味ありげな視線を送ってきやがった。
なんで康高と華殿がわしの敵っぽくなっているのかわからんけどなァ!
「……」
部外者感が否めないわしはここで再度窓の外を眺める。同時に華殿が大学で育て、つい最近収穫してきたという冬野菜の漬物を口に頬張りつつ、(おっ、今年の大根は結構甘い!)などと思っておったら、どんぶり飯に食らいついていた康高がふと聞いてきた。
「そういえばさ、最近わかったんだけど俺左ピッチャーのスライダー……特にこっちの膝元に食い込んでくるやつが苦手っぽいだよね。
お兄ちゃん? どうやったらいいと思う?
お兄ちゃん左バッターだったけど、右ピッチャーの膝元スライダーを結構上手くスタンドインしてたよね?」
ちなみに先も言ったように康高はこの春都内の強豪校に入学するや否や、すでにチームのエースで4番バッター。
ピッチングに関しては勇殿にあれこれ聞いておるらしいが、バッティングに関してはこのようにわしにいろいろと聞いてくる。
もちろんわしは甲子園のホームラン記録保持者なので、そこんとこの返答に抜かりはない。
「あぁ、それはね。なんというか、こう……(膝元に曲がって来るな?)ってわかった瞬間に右足を外側に開きながら折りたたんで体を開く感じだね。康高は右バッターだから左足を開いて……ちょっと不格好になるけど、それですくい上げてレフトスタンドに持っていく、みたいな。
反射神経の速度ですぐに体開かせるようにならないといけないから、そのパターンの素振りも数をこなして体に染みこませないと……うーん。口で説明するのわかりにくいかな。
康高? ちょっとこっちに」
「うんうん」
そして食事の席を立って、康高を部屋の中心へ。手取り足取りスイングの形を伝え、2分後には2人揃って再度食卓へと戻る。
これもちょいちょい起こる野球教室なのじゃが、もちろん華殿も見慣れている現象なので、わしらが食事を中断してもそれをにこにこしながら見てるだけじゃ。
「なるほどね。あえてスイングの形を崩す……そんなこと初めて聞いたよ。さすがお兄ちゃん!」
最後にはだいたいこのようにわしも褒められてしまうので、嬉しくないわけがない。
くっそ、やはり康高は――その心の奥に潜む家康はここぞとばかりにわしらの心につけこもうとしやがる。
康高のにんまりとした笑顔は相変わらず可愛いけども!
「まぁ、とりあえずご飯食べよ」
褒められたことでわしは若干恥ずかしさも感じつつ、これにて無事3人は食事を再開する。
その後、テレビから流れてくるニュースについて他愛もない談義をしつつ、康高はわしらのアパートを後にした。
んで、お次はわしらの通学の時間じゃ。
華殿は今から長野の大学まで走るのでスポーティな服装に着替え、わしは普通の大学生っぽいラフな服装に。
玄関でバイバイの挨拶を済ませると、華殿は頼光殿や吉継がたまに見せていたひゅんって消える移動方法にて長野へと向かった。
そしてわしはというと普通の徒歩で勇殿の家へと向かい、そこでいつも通りの感じで勇殿と挨拶を交わす。
最寄りの駅から電車を使い、20分ほどの移動を経て大学へと到着した。
午前中は教授殿による座学を2コマ受講し、お昼休みタイムじゃ。
食堂でBランチを購入し、あと今日は天気がよかったので、わしらはそのまま建物の外へ。
4月の中旬ともなれば気候は暖かさを増し、それを肌で感じながら昼食を食すという算段じゃ。
「春だねぇ……」
「春だよぅ……」
大学の構内に設置されておるベンチに座り、そんな言を発しながらとりあえずは2人で天を仰ぐ。
なんか今日のわし、めっちゃ空見てる気がするけど、天気がいい時における勇殿との昼食はこんな会話から始まるのが通例じゃ。
ちなみに勇殿は高校に入ったぐらいからよみよみ殿と男女の恋仲になっておる。
よみよみ殿はあかねっち殿と同じく長野の大学の農学部にしておるため、その近辺にアパートを借りルームシェア的な生活をしておる。
その引っ越しを手伝ったのも1年ほど前になるかのう。自然あふれるいい環境じゃ。
まぁ、その大学に都内から通っておる華殿の脚力がやはり人道外れておるというべきか……。
何はともあれ、勇殿とよみよみ殿は順調に……それでいてものすごく平和な感じで遠距離恋愛を育んでおる。
って2人のなれそめ思い出していたら、またあの日の恐怖を思い出してしまったわ。
「これ、婚姻届け。結婚しちゃお!」
明るい声色で凄む華殿。でもその気配から滲む殺気。
これらの要因によりロマンあふれる逆プロポーズは、どこかの指定暴力団の構成員による脅迫かと錯覚するほどの恐怖事件へと変貌した。
ちなみにあの後、新宿の道三殿のところへ行って、脅迫まがいの契約を解除する方法など教えてもらおうとしてしまったわ。
道三殿たちはむしろ脅迫まがいの契約をさせる側の人間だからな。
でも「無理だ。神に逆らうごとき謀略など、リスクが大きすぎる。力になるのは無理だ。あきらめろ」とさ。
まぁ華殿は桁外れな武威と武力によって、転生者社会から破壊神のごとき扱いをされておるけども。
いや、相談する相手間違ってるような気もするけど、極道ともあろうものがそこで怯えるなよ、と言いたい。
あぁ、あの頃のことを思い出したらまたテンション下がってきた。
話題を変えようぞ。
とはいえここは石田三成たるわしと、大谷吉継たる勇殿の会話。
たとえそれが世間話であっても、内容はそこらの大学生と一線を画す。
つーか今日の話題はまたしても野球に関するものじゃった。
つーかわしが何か違う話題を振ろうとしたら、勇殿の方が先に口を開いた。
「光君、昨日さぁ。また球団から電話があったんだよねぇ……しかも結構しつこく……光君とこには電話行った?」
「いや、こっちにはまだ。でも……例の話?」
「そう。僕と光君をドラ1とドラ2で指名するっていう条件は変わんないんだけど、今度は契約金を増やすって……」
「うーん。やっぱりウザいね。契約金増やしたって、うちらプロには行かないって言ってるのに」
「そうだよねぇ。おじちゃんも頭ん中で怒ってた。『夜中に起こすな!』って」
「吉継も大変だぁ」
ちなみにこれはわしら甲子園5連覇バッテリーコンビに対するプロ野球の球団からの勧誘じゃ。
高校在学中からすでに大学進学を表明し、それを達成し、かつ大学2年生にもなろうというのに、プロのスカウトからの勧誘が定期的にわしらの生活に踏み込んでくるのじゃ。
まぁ、それも甲子園で活躍しすぎたわしらの宿命と言えるけど、わしらそもそも戦国武将の転生者で現世においても目指すべきはこの国の頂点じゃ。
具体的には内閣総理大臣とかその総理大臣を裏から操るフィクサー的な立ち位置になると思うんじゃがそこは譲れないし、これはわしらの“生きざま”や“人生”そのものに関わる根本的な問題じゃ。
だからプロ野球球団からの誘いはその都度しっかりと断っておるのじゃが、こちらも大学生活その他もろもろで忙しい身。
意地でもわしらを獲得したいというスカウトさんの気持ちもわからんでもないが、以前聞いた話じゃ、勇殿の家族にまで迷惑が掛かっているとのことじゃ。
勇殿は実家暮らしだからな。家に来られると迷惑なんじゃ。
「うーん」
わしの脳裏に勇殿の両親の顔が浮かんだので、やはりここは断固として対処せねば。
「うーん。どうしようかぁ……利家さんにお願いしてみる? やっぱ裏から手をまわしてもらわないと。
利家さんにお願いして今後の勧誘はやめてもらうようにNPBに抗議をしてもらえば、何とかなるかも」
ふっふっふ。こういう時は政治権力を使うに限る。
その依頼相手はもちろん、今日の午後にわしが会う予定の総理大臣じゃ。