いつも練習を行っている区営のグラウンドに移動し、チームメイトのわっぱたちと軽く挨拶を交わした後、わしらは野球の訓練を始めた。
最初は声を合わせてのランニング。
6年生のわっぱたちが夏の大会後に引退したので選手の数は少なくなっているけど、皆元気いっぱいに叫びながら走っておる。
その後、体操やストレッチで体中の筋という筋を伸ばしまくり、んでもって20メートルほどのダッシュじゃ。
ダッシュはただ走るだけではなく、様々な動作や足運びを織り交ぜてのダッシュであり、スキップなどをしているときはいと楽しい。唯一、走ることに並々ならぬ執念を燃やしておる華殿がすでに最高レベルまで興奮しておるけど、なんか気持ち悪いのでそこは他人の振りをしておる。
そしてお次はキャッチボールじゃ。
皆肩の調子を見ながら徐々に相手との距離をとり、最後60メートルぐらいの遠投までこなしたら終了。今日はバッティング練習の日なので、この後は皆別れて各種バッティング練習に移行する感じじゃ。
ちなみにこの時期は日が落ちるのが早いから平日練習はバッティングか守備練習のどちらかとなっておる。
でもわしと勇殿。そして5年生のピッチャー・キャッチャーコンビは途中からバッティング練習と別れ、グラウンドの端でピッチング練習をするように三原から下知されておる。
それゆえわしらは先にバッティング練習をさせてもらう権利を与えられておるのじゃ。
「じゃあ次! フリーバッティング!」
「うぇい!」
5年生のキャプテン殿が皆に向かって叫び、わしらもテンションの上がった酔っ払いみたいな返事を返すと、20球の制限が課されたフリーバッティングの開始じゃ。
「よぉーし。今日は華ちゃんとこまで飛ばすぞぉ!」
勇殿がそう意気込みながらバットを優しく構え、一方でわしはそんな勇殿から5メートルほど離れたところで一本足打法を発動する。
まだ野球を始めて数ヶ月の勇殿がぼてぼてのゴロを量産し、対するわしは外野越えの長距離打を量産じゃ。
なぜじゃろうな。法威を覚えたあの日から、たとえ武威や法威を発動していなくても体の動きが俊敏になった。
いかんせんわしの体はわっぱのままだから限界はあるものの、インパクトの瞬間に全体重をバットに乗せて打つことで打球の飛距離が増したのじゃ。
まぁ、そんな話はどうでもよかろう。
わしの隣で勇殿がバッティングを続け、しかしながらゴロを量産しているのを脇目に、わしは月へ向かって打ち続ける。
いや、月はまだ出ていないんだけどな。
その昔ホームランを打った後にそういう名言を残したプロ野球選手がおったらしく、わしもそのイメージで打っているだけじゃ。
と自分のスイングに酔いしれていると、隣からとてつもない打撃音が聞こえてきた。
「うぉっ! なかなか難しいなこれ!」
あぁ。吉継のやつ、出て来よった。
そういえば、さっきバッティングをしてみたいと言っておったな。
勇殿? そんなの許可すんなよ。
ふと視線を移せば、くせのない綺麗なバッティングフォームを持っていたはずの勇殿の構えがぶっさいくな居合切りの構えとなり、しかしながら迫り来る球をとんでもないスイングスピードでしばき上げておる。
もう完全に勇殿のプレイスタイルじゃないわ。
「勇君!」
「ん? なんじゃ?」
言葉使い変えろや!
――じゃなくて!
「その振り方、あと5球だけね! あとは『いつもの』フォームで打ってね!」
「えぇー?」
えぇーじゃないわ。
そんな汚いフォームで打ち続けたら違和感マックスじゃし、勇殿の評価が下がるわ。
吉継、ここは我慢じゃ。あとで特別に相手してやるからこれ以上皆の前で『吉継臭』を匂わせるな。
「ぐっ……うん! 分かったよ光君! ごめんね!」
「いや、別にいいけど、後が遅れるから早く終わらせるよ!」
「うん」
今、一瞬吉継が苦しんだよな……?
んでその後にいつもの勇殿が現れた。
脳内で何かあったのじゃろうな。吉継もなかなか大変そうじゃ。
まぁよい。
こんな感じでわしと勇殿はほぼ同じペースで20球のフルスイングを楽しみ、それが終わったらグラウンドの端にある簡易ブルペンへと移動じゃ。
グローブを手に取った勇殿には先にブルペンへ行って肩周りのストレッチをさらに入念にするよう促し、わしはというとベンチに戻ってキャッチャー用の防具を身に纏った。
うむ。
甲冑のように体に吸いつくこの感覚。やはりわしはキャッチャーになるべくして生まれてきたわっぱ。
それぐらいキャッチャー防具はわしの体になじんでおる。
キャッチャーミットの皮のてかりも十分。さて、では勇殿の訓練を手伝いに行こうではないか。
「お待たせ!」
「もうちょっと待って。今肩甲骨を……ぐるんぐるん……ねぇ、光君?」
「ん? どしたの?」
「この肩甲骨と腕をぐるぐるさせるストレッチ……意味あるの?」
「うん。凄くあるらしいよ。プロ野球選手がそう言ってたから間違いないんだ。その人が言ってたんだけどむしろピッチングは肩甲骨で投げるんだって」
「ふーん。まぁいいや。じゃ、これで終わりだから……ぐるんぐるん……よし、始めようっか! 光君!」
「おし! 今日もしまっていこう!」
んでわしはグラウンドの端におかれたピッチング練習用のホームベースの後ろへと移動する。
最初は50パーセントの力で投球。次第に力のパーセンテージを上げ、最終的には100パーセントへ。
わしらのピッチング練習はちょっと特殊で、こんな感じでピッチを上げていくんじゃ。
でも流石は勇殿。ストライクゾーンの四隅へ綺麗に投げ分けるどころかスピード調整すら正確で、多分スピードガンで速度を測ったら綺麗に10パーセントずつ数値を上げておるんじゃないかってぐらいの調整力じゃ。
もう勇殿は直球の天才と言えるんじゃなかろうか。
しかも勇殿の才能はそれで終わりではない。
100パーセントまで上げたら、今度は2種類の投げ方を使い分けながらの投球練習じゃ。
1つ目は体幹部の回転を思いっきり使うことで初速を速くしたボール。いわゆる単純な全力投球というやつじゃ。
んでお次は神の領域ともいえる勇殿の投球技術をフルに生かしたスピンボール。体幹の回転をやや抑えつつ、逆に肩や肘のしなり、そしてボールを放す瞬間の手首のひねりを強めることでボールの回転数を増やした直球じゃ。
これは初速を抑え気味にする分スピードガンでの速度は低くなるが、初速と終速の差が少なく、バッターにとって手元で伸びるように感じる素敵な直球となる。
学童野球の世界では変化球を使用すると、審判殿から「肩と肘に悪いからやめなさい」と注意され、変化球自体を禁止されることすらあるから、こうやって直球という枠組みの中で球種を増やすしかないのじゃ。
それに勇殿はまだ投球のための筋肉が十分じゃないから、2種類の投球フォームを使い分けることにより、筋肉への負担も分散させようというわしの戦略じゃ。
ふっふっふ。まさか学童野球でこのように球種を使い分けるなど、どんなに優秀な審判殿でも気づきはせん。
そもそも勇殿はとてもきれいな投球フォームをしておるし、性格自体が素直だからわしの言うことを全面的に受け入れて素直に習得してしまう。
ゆえにこういうわっぱ離れした投球術も可能なのじゃ。
「ほう。いい風切り音だ」
その時、三原がいつの間にか背後に立っておった。
気配を隠しながらの接近、本当にやめてってば。
でもスピンボールが作り出す風切り音にご満悦じゃ。
「今のがスピンボールじゃ。じゃあ次は普通の速球いくぞ」
「おう。見せてみろ」
そんで勇殿にその指示を。勇殿も三原の登場により少し緊張気味ながら、しっかりとしたボールを投げてきた。
「むう。圧力が違うな」
「そうじゃろう。ボールが戦車のように迫ってくる感じじゃ」
「その例えはわからん」
なんでやねん!
わし、今めっちゃ分かりやすい例えだったやんけ!
「でも……じゃあ2種類のストレートをしっかりコーナーに投げ分けることもできるようになったのか?」
「当たり前じゃ。勇殿の才能をナメるな」
「なんでお前が自慢げなんだよ」
ちなみに普通の速球はストライクゾーンのコーナーを突いてカウントを取りに行く時、スピンの効いたボールは打ちにきたバッターを詰まらせて内野ゴロに仕留めようとするときに用いておる。
他にも相手打者の得手不得手を観察してから使い分けたりもしておるし、試合の終盤の勇殿の疲れ具合によって球種配分を変えたりな。
わしとしては勇殿の才能はいろいろ面白い素材なのじゃ。
遊び半分で変化球を投げさせても普通に5種類ぐらい投げられるし、中学生になりその変化球を試合で使い放題になる時が楽しみでしかたないわ。
「光くーん!」
「ん? なーにー?」
「おじちゃんが代わりたいってさぁ!」
その時、勇殿が――いや、勇殿の中にいる吉継が……あぁ、もう! めんどくっせェ!
その吉継がピッチングもやりたがっておるらしい!
もうさ。お前は子供か! と。
いや、勇殿は子供だけどその中にい……あぁ! めんどくっせェ!
「ん? オジチャン? 何の話だ?」
わしが心の中で密かにいらついておると背後で三原がそう呟き、振り返って見てみれば三原は首をかしげておった。
いずれ時が来たら吉継の存在を三原に教えておこうとも思うが、でもここは吉継のために誤魔化しておこうぞ。
「なんでもない。それより華殿が呼んでおるぞ。多分バッティングの指導を所望じゃ。行ってやれ」
「おう。分かった」
その時、こちらの空気を読んでか偶然かはわからんけど華殿が遠くから苛立った声で三原を呼んでいたので、そちらに行くように促す。誤魔化してでも三原を遠くへ離しておかないとな。
あと華殿は多分バッティング技術にちょっとした向上心が芽生え始め、最近はぼてぼてのゴロじゃ納得いかんようになってきた。
わしとしてはバントのようなぼてぼてのゴロの方が華殿の足を活かせると思うんじゃが、本人がそう望んでおるのだから仕方あるまい。
内外野の間に落ちるポテンヒットで2塁打、外野手の中間に打球が飛んだら3塁打かまたはランニングホームラン。
華殿がそういう戦力になってくれるのなら、それもそれでチームのためになるのでいいじゃろう。
さて華殿の向上心はどうでもいいとして、問題は吉継のピッチングじゃ。
一応吉継が武威マックスで球を投げると三原に怒られそうなので、そこだけ注意しておかないと。
なのでわしはひょこりと立ち上がり、勇殿の元へと駆け寄った。
「吉継よ」
「なんじゃ?」
「投げるのは別にかまわんが、武威は使うなよ?」
「なんでじゃ?」
「しきたりにそむくからじゃ。この野球という遊戯。ただの遊戯と思うなよ?
そうじゃな……武士の生き方と思えばよい。武士の世界でもやっちゃ駄目なことはあろう? それと同じじゃ。
理由はないけど、この遊戯で正々堂々と戦うためには武威の発動はご法度なんじゃ」
「ふーん。なるほどな。じゃあ、最近勇多が教わった法威というやつは? それならわしも少し習得したが……?」
「いや、法威だけ発動するのはおかしいじゃろ? あれは武威を御するためのものであって、武威の発動が前提条件じゃ」
「確かにな。でもものの試しに1度だけやってみる分には問題なかろう? 少し試してみたいのじゃ」
「うーん。まぁ、それなら……。でもいいか? 絶対に武威は最小限に抑えろよ? でないとあそこにいる2人組から折檻されかねんからな」
ちなみに三原に怒られる可能性は十分あるけど、吉継を脅すため、ついでに華殿もその枠組みに入れておいたわ。
「そ、そうか……。あの2人とあらば警戒せねばなるまい。ところで三成よ? あの2人は何者じゃ? 華代というガキはわしらと違い、なんの異も感じない。ただのわっぱのようじゃ。でもとてつもない武威を持っておる。勇多に聞いても『武威が凄い子』としか答えてくれんのじゃ。
そして三原という男はそれ以上に恐ろしい。わしらを訓練する時はわっぱ相手に余裕の表情と見せかけて、たまに垂れ流す武威が並みのものではない」
あぁ。そういえばこやつ、京都の夜以来勇殿の中からわしらの関係を覗き見していたんだっけ。
例の倉庫で訓練する時も勇殿の中で観戦しておったのじゃな。
「華殿の前世はまだわからん。武威の多さについては後で話す。
でも三原の前世はシャレにならん。つーか勇殿も三原の正体は知らんのじゃな?
あの男、源平合戦に名高い『源義仲』じゃ。武威も法威も、そして頭の良さも日の本屈指の武将じゃ」
「んな!? それは本当か?」
「あぁ。でも今はわしの味方。というより……うーん。ねね様のこともあるし、やっぱこの話は今宵詳しく話してやろう。でも気をつけよ。
あの男の前じゃ、わしらはあくまでわっぱ程度の存在。吉継と三成。この二つの名が揃っても同じじゃ。それを肝に銘じておけ」
「お、おう。わかった。でも、なんでかような奴がわしらに……特に三成のことを目にかけておるんじゃ?」
「平たく言えば野球仲間じゃ。でもそれについても詳しくは後で話す。それより吉継? 投げたいのじゃろう?
いいか? 1球だけ。武威を使った投球は1球だけじゃぞ? 武威も極限まで小さく抑えよ」
「あい分かった。じゃあおぬしはさっさと戻れ。インローにエグイ球投げてやるわ」
くっそ。吉継にそういう専門用語使われるとなんかいらつくわ。
でもここでぐだぐだやっていたら、わしらの後にバッティング練習を始めた5年生バッテリーがこっちに来てしまう。
吉継には彼らがこっちに来る前に満足してもらって、そんで練習が終わるまで大人しくしててもらわないと。
「よしこーい!」
ホームベースの後ろに戻り、わしは小気味よい掛け声とともにキャッチャーミットを構える。
だけど『大谷吉継』なるあの男の武威の強さをナメておったわ。
どっぱーーーーん!
そうじゃ。やつは三原と同じ『マジもん』の武威使い。現代では病のせいで虚弱なイメージがあるけど、若い頃は戦場で暴れまくった猛将の側の人間じゃ。
んで、そんなやつの武威はたとえ極限まで抑えても抑えきれるものではない。
結果、わしのところに届いたのはものすごい剛速球。それどころかキャッチャーミットに収まる時の音が近所の建物に反響して山びこみたいになっておる。
3日前に三原と義経の攻撃を防御してはれ上がり、氷で冷やすことでやっと戻ったわしの左手にまた激痛じゃ。
「ぬぉおぉおぉぉおおおっ! いーだーいー! くっそ」
しかもじゃ。痛がっている場合じゃない。
「おい。お前たち、今武威を使ったな? 野球ん時は使用禁止って言ったよなァ?」
三原がものすっごい激怒顔でわしらに近寄って来た。