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上洛の壱


 晩夏の冷たい風が走り始めた8月の半ば過ぎ。

 わしは京の都に向かう新幹線の車内にいた。

 窓を覗けば、遠くの方に富士の山がかすかに見えてきたあたり。東京駅の始発の新幹線に乗り、発車してから数十分たったところじゃ。


 お盆のUターンラッシュも数日前に終わり、車内はさほど混んでおらん。

 だけどこの国の主要な都市を結ぶ東海道新幹線ともなれば、がらがら貸し切り状態というわけにはいかん。

 乗車率はおよそ7割といったところか。

 そんな車内の3列席、1番窓側の席にわしは座っておる。


「もうすぐ名古屋だよ。私の生まれ故郷なんだぁ」

「そうじゃな。知っておる。現世の寺川殿も尾張に生まれたのか?」

「ううん。この体が生まれたのは京都だよ」



 んでわしの隣には、いつもより若干機嫌のよさげな寺川殿。

 でもすぐ後ろの席と2つ前の席に他の乗客が座っておるので、わしらは新幹線が東京を出てからずっとひそひそ声じゃ。


「そうか」

「でも仕事とか観光とかで、4、5回名古屋に行ったことあるよ。佐吉も大きくなったら旅行しなさい。城とお寺とか、前世で訪れたことのある場所を観る旅をね。昔と違い過ぎて衝撃受けまくりだから、結構面白いわよ」

「ふーん。考えとく」


 城……。


 城と言われれば、わしは真っ先に“佐和山城”を思い浮かべる。

 近江の国。今でいう滋賀県の琵琶湖の東に建てられた、前世のわしの城じゃ。

 調べてみればこの新幹線はその城の近くを通るらしい。米原という駅を過ぎてから数分後、注意深く窓を覗いておれば、佐和山が遠くに見えるらしいのじゃ。


 ……。


 ヤバい。心の臓がとてつもない握力で締め付けられるようじゃ。


 わしはこの体に生まれ出て以来、佐和山を訪れたことはない。

 父上から前世の素性を調べられておるわしが、佐和山への観光など提案などできるわけがないので当然じゃ。

 ランドセルのフックに掛けてある左近のキーホルダーは父上にインターネットで“ぽちっ”てもらったものだし、そのゆるキャラもたまたま気にいったという理由で誤魔化し続けておる。

 なので佐和山は前々から一度は訪れたいと思いながらも、その想いをいまだに叶えることができておらん地なのじゃ。


 でも……そう考えると、この旅は願ってもない好機じゃな。


「寺川殿?」

「ん?」

「わし、修行の間に一度でいいから佐和山に行きたい。1日と言わず半日でもいいから。だめか?」

「ん? うん……まぁいいんじゃない? 滞在期間は1週間あるしね。2、3日して落ち着いたら連れて行ってあげるわ」

「すまぬ。あと……さすればその時の旅の費用などもお願いしたいのじゃが。出発前に父上から5千円頂いておるけど、これは父上と母上へのお土産代にしたいのじゃ。康高にもな。わしはへそくりも多少持って来ておるから、滞在中のジュース代などはわしのへそくりから出すつもりじゃ。でも康高にはそれなりの土産を買ってやろうと思っておるし、そうなると電車賃の捻出ができんのじゃ」

「あはっ! なによ! なんだかんだ言って、康高君のこと大事にしてんじゃん!」

「当たり前じゃ。わしが一週間城を空けるというだけで、康高は昨日の夕方から今日の朝まで不眠不休で泣き続けたのじゃぞ。やつの体力に度肝抜かれたわ。そのせいでわしもほとんど寝てないけどな。

 でも、やつの情熱には応えてやらねばならん。わしとしては、噂に名高い“新撰組の木刀”など買ってやるつもりじゃ。康高に合うような、脇差サイズがいいと思うんじゃ。どうじゃ?」

「ふーん。まぁいいんじゃない。あなたは? 自分用になんか買って帰るの?」

「わしも木刀じゃ。わしは太刀の大きさの一振りを買ってくつもりじゃ。母上に怒られそうだけど」

「あっ、それ……私まで怒られそうだから、私には内緒で買ったってことにしといてね」


 この外道、最後の最後で保身に走りおったわ。

 まぁよい。寺川殿がせっかくわしを引率する労力と運賃を負担してくれると言ったんじゃ。

 さすがのわしもここはいつものノリで責められん。


 そもそもわしの両親からすればこの旅自体が違和感果てしないし、それを可能とするために寺川殿もいろいろ説得してくださったらしい。

 ならば仕方なし。

 おそらく木刀を康高に預けた瞬間から一軒家城のそこかしこに傷ができることになろうけど、母上の怒りはわしが一手に引き受けようぞ。


「あい、わかった」


 最後に決意のこもった瞳で答え、わしは窓の外を見る。

 遥か遠くに富士の山。その手前の街々の変貌っぷりは四百年の月日の経過を如実に表しておるけど、さすがに富士の山はあの頃とほとんど変わらん。


 でも街々の変貌っぷりと同様、わしのかつての居城も今は見る影もないとのことじゃ。

 さすれば佐和山を訪れた時のわしは、どのような反応をするのじゃろうな。

 泣くか、喜ぶか。

 そもそもわしは佐和山の城を建てた後も、仕事の関係でほとんどの時間を伏見城で過ごしておった。

 だから建物そのものにはあまり愛着がないのじゃ。

 けどやはり実際にあの山に足を踏み入れるとなると、わしの心境も大きく揺れるだろう。

 かつての城の姿、そしてそこで家族と過ごした日々を思い出し……


 ……


 いや、やめておこう。

 今は旅行中じゃ。

 ワクワクマックスな心境で臨むべきなのじゃ。

 乗り物好きのわしにとって新幹線での移動も魅力的だし、旅の目的も今のわしにとって最も価値のあることじゃ。

 ここはテンション上げて、もろもろ楽しまねばなるまいて。

 テンション上げるために、もう1回寺川殿と世間話をしてみよう。


「寺川殿? 京の都も変わっておるのか?」

「えぇ。結構変わってるわね。でも街並みとか道路の名前とかに、うっすらと昔の面影あったりするよ。なんなら金閣寺でも見に行く?」

「そうじゃな。それもよかろう。でもそん時は三原も同行するのか?」

「なによ。そんなにあいつが嫌いなの?」

「いや、嫌いというわけではない。嫌いだったらとっくの昔に野球辞めてるわ。そうじゃなくて、あやつが観光地ではしゃぐ姿が想像できんのじゃ。たまにやつの事務所に行くと客に対して気持ちの悪い愛想を駆使しておるのを見るけど、基本わしといる時の三原はどっちかっていうと無口じゃ。それに義仲たるあやつは、京都にいい思い出などなかろう。仲間の墓参りをするとも言っておったから、観光に誘っても来るかどうか。むしろ“そんなことしてる暇あったら修業をしろ”とか言われちゃいそうだけどな」

「うーん。そうねぇ。じゃあとで三原が来たら聞いてみましょ」

「そうじゃな」


 ちなみにあの悪鬼は仕事の都合により、この新幹線には乗っておらん。

 今日の午後、わしらより少し遅れて京都入りすることになっておる。

 弁護士の仕事に加えよからぬ仕事。あと野球のコーチ。あの野郎多忙極まる身のくせに、京都に行くためもろもろの仕事を断りやがったのじゃ。

 しかもやつが情熱を注ぐ野球の練習まで、チームまるごと1週間の休みにしおった。

 そんなに京都旅行が楽しみなのじゃろうか……?

 意外とノリがいいというべきか、俗っぽいというべきか。


 わしらの滞在する寺に三原も寝泊まりするのか、または三原だけ近隣のホテルに宿泊するのかは知らんけど、あやつと過ごす時間が3時間減ったというのは不幸中の幸いじゃな。

 今回の遠征は野球と関係ないし、三原コーチとして気を使う必要もないからそれも楽じゃ。


 とそういえばお盆前に行われた野球の大会の結果についてじゃ。

 結果から言えば、わしらは無事に区大会を突破し、都大会の4強まで辿り着いた。

 んでそこで負けておる。

 この準決勝に勝つと、別系列の組織が運営する全国大会への出場権が与えられることになってたんだけど、やっぱそれはさすがに無理だったわ。


 試合をこなすたびに成長し、獅子奮迅の活躍を見せた華殿。

 あと要所要所に適度な活躍を見せたわしと勇殿。

 4年生のわしらが戦力の底上げをした今年のチームは過去最高の成績を残す事ができた。

 だけどそれはあくまで弱小チームが勢いに乗っただけという程度の強さだったのじゃ。

 わしも勇殿も炎天下の暑さに負けてミスを連発し、6年生と5年生が構成する他のレギュラー陣も従来通りの動きじゃ。

 さすれば全国大会などは望めんのじゃ。


 唯一男女差別するつもりはないけど、華殿だけが暑さに負けることなく終始元気いっぱいだったな。

 全試合に出場したのも華殿だけじゃ。

 くっそ……おなごの分際でわしらより頑丈な体しおってからにぃ……あれ?


 まぁいいや。

 そんでもし全国大会に行くことができていたら、この京都旅行も日程をずらさなきゃいけなかったけど、その夢も途絶えた。

 宿題も夏休みの序盤に終えておるし、ジャッカル殿たちとの自由課題もあらかた終わっておる。

 最近のわしは毎年お盆過ぎに必ずといっていいほど襲いかかる原因不明の悲しみと戦いながらも、夏休みの序盤よりもややゆったりとした日々を過ごしておった。


 しかし、不思議じゃな。

 小学校に通うわっぱに必ず襲いかかるという、8月下旬の悲しみの呪い。

 わしは他のわっぱよりもいくらか早くそれが訪れるのじゃが、50を超えた屈強なわしの精神をもってしてもこれには抗えん。

 たかが夏休みと思っていても、日々涼しくなる気温と、対照的に盛りを増す夜の虫の音。夕焼けの寂しさも加わるとなおのこと悲壮感が高まり、わしの心を暗闇に落とすのじゃ。


 って、以前華殿に相談したら、

「感情落とすんじゃなくて、宿題のペース落とせば? そうすればそんなこと考えられなくなるよ! 私なんてほら! まだなんにも宿題やってないから、夏休みの最後の1週間が怖くて怖くて」

 とか言いやがったわ。

 隣で勇殿が引きつった顔をしておったし、わしも華殿はその最後の1週間に存分に苦しめばいいと思う。

 けどおそらく華殿はそんな感じで人生の荒波を上手く乗り越えていくような気もする。

 世の中、そんなもんなんじゃろうな。


 あと今年の自由課題。というよりは今年のジャッカル殿。

 どこで仕入れた情報なのかは知らんけど、今年のジャッカル殿は今までとひと味もふた味も違ったわ。


「なんかね。人間って生活必需品にはあまりお金をかけないようにして、逆に娯楽関係の商品にはいっぱいお金をかけたがるんだって。趣味とかスポーツとか映画とか音楽とか。あと車とか――。車は本来移動のための生活必需品だけど、高級車の場合は娯楽の一種と見なされるんだってさ。それで……生きていくためには絶対必要ってわけじゃないのに、娯楽には必要以上にお金をかける。でもスーパーの特売はしっかりチェックして、10円でも安い卵を求める。不思議でしょ? でも、それが人間ってものらしいよ。だから娯楽関係の業界にはたくさんのお金が流れ込んで、それを受け取る芸能人とかミュージシャンとかはすごいお金持ちになれるんだって。でもここで1つ、よく考えてみて。例えばTシャツの場合、僕らがお母さんから買ってもらうような数百円の安いTシャツでもいいはずなのに、モールの中には高価なTシャツが売られてて、それを買う人がいる。服の本来の存在価値は“体温調節機能の補助”だから、安くても体温が快適に保てればいいはずなのに、そうじゃないんだ。じゃあなんでそんなものを買う人がいるんだろうね? 人は高価でおしゃれな服を買って、それを着ることで自分自身の欲を満足させているらしいんだよ。お洒落な服を他人から褒められたい。かっこよく見られたい。という欲をね。それは“いい車に乗りたい”という欲望や、“面白い映画を楽しみたい”という欲望と同じで、つまり娯楽にお金をかけるときに満たそうとする客自身の欲望と同じなんだ。あのショッピングモールに入ってる店舗の商品のほとんどは格安といえるような値段じゃないし、むしろほとんどが割高だよね。なんでこんなものがこんな値段? って商品も多いよね。つまりあそこのお店の商品は、一見すると“生活必需品”と思いがちな物でも、実は“娯楽”のための商品と見なせるんだ。でも問題は娯楽に関する商品をどうやってお客さんに買わせるか? ってことなんだよね。それがお店の役目だからね。今年のテーマはズバリそこ! 人間の“欲”、特に“購買欲”というものについて、その本質にアプローチしながら調査を進めようと思います!」


 こんなん言われて、10歳のわっぱにどうしろってゆうねん。

 いや、わしはなんとなく理解することが出来たしなるほどと思うこともあったけど、他のメンバーの意識はどっか行ってしまってたわ。

 でもジャッカル殿は止まらんかったのじゃ。

 物理的に暴走したならば、わしが武威を使うことでジャッカル殿を余裕で取り押さえられる。

 でも1度スイッチの入ったジャッカル殿の精神的な暴走は、わしでも止めることが出来ないのじゃ。


 ショッピングモール内の各店舗の商品を、それを購入しようとする客の欲望からタイプ分けし、さらには人間の三大欲求に振り分ける。

 次いでお店の看板や店内装飾の煽り文句が三大欲求にどれだけ訴えるものなのかを分析・採点し、果ては時間ごとの各店舗の客足観測データにその採点結果を融合させる。


 もうさ。いっぱしのビジネスマンが取引先の大企業幹部相手に、社運をかけた自社製品のプレゼンをする時のクオリティじゃ。

 2学期になるとその課題を半畳ほどの大きな紙にまとめて足軽組で発表するんだけど、発表用のデータをパソコンで作るわしの身にもなれよ、と心の底から訴えたかったわ。


 あと結論を締めくくる考察の文章をみんなで考えていた時に、

「だからドレス姿の綺麗なおねえさんがいっぱいいる夜の飲み屋さんは給料がいいんだねぇ」

 ってつぶやいた勇殿。

 絶対に間違ってるけど、決して間違ってないと思う。


 でも発表会の時にそんなことを言えるわけがない。

 なのでわしがなんとか勇殿を説得し、差し障りのない考察を結論として載せることにも無事成功した。

 とはいえ、やはり勇殿の発想力とジャッカル殿のマーケティング分析能力はあなどれん。

 今すぐにでも父上の商人組織に入るべきだと思うんじゃ。


 まぁよい。

 そんな感じで、わしの夏休みは残すところこのイベントだけじゃ。

 武威の扱いを極める修行。

 その内容はわしにも想像できないし、寺川殿も面倒がって教えてくれん。

 一体どんなことをするんじゃろうな。


 でも、話によると数人の転生者がわしと一緒に修業をするらしい。

 陰陽師の支配下にはおそらく寺川殿のような諜報活動をする転生者が他にもいて、その中でもいわゆる新人さんと呼ばれるような者たちなんじゃろう。

 そういう者たちと一緒に修行することになっておるのじゃ。

 もちろん修業中のわしらが守るべき絶対的分国法も存在する。


“前世の素性について、お互いを調べようとしないこと”


 これはその寺で修行を受ける立場の人間が守るべきことで、それについては寺川殿から事前にくぎを刺されておる。

 当然じゃ。

 状況によってはその寺で戦いが始まるし、戦いに巻き込まれて破壊された寺をいちいち直しておったら資金がいくらあっても足りん。

 それにわしもまだまだ武威が弱いし、たとえわしの武威が全盛期の強さを取り戻したとしても、わしより強い武威使いはいくらでもおる。

 たまたま一緒に訓練をした転生者が本多忠勝だったりした場合、わしの素性がばれたら本当にシャレにならんのじゃ。


「ふーう」

「ん? どしたの? 緊張してきた?」

「いや。ちょっと考え事をしておったのじゃ。転生者と転生術。一体誰が生み出して、どのような摂理によって成り立っておるのか。あと、今までどれだけ多くの者が転生術によって静かな眠りを妨げられ、新たな人生でどれほど多くの出来事を世にもたらしてきたのか。そんなことをなんとなく考えてた」

「ふふっ。どうした? 今の人生嫌になったの?」

「いや、そういうわけではない。勇殿に華殿。他のみんなとも出会えたし、1日1日が楽しくて仕方ない」

「くくっ! 今の言葉、忘れんじゃないわよ?」

「ん? わしは嘘は言っておらんぞ。みんなは大切な友人じゃ」


 その後、わしは昨夜まともに寝れなかったことが災いし、強い眠気に襲われる。

 電車ほど激しい揺れではないものの、リズミカルな車体の振動がわしの眠気を促したので、抵抗できなくなったわしはしばしの仮眠をとることにした。


「寺川殿? しばし寝るから佐和山に近づいたら起こしてくれ。窓から見てみたいのじゃ」

「オッケー。近づいたら起こしてあげるから、しっかり寝ておきなさい」


 しかし……。


「次は―……京都ぉー。京都ぉー……お降りのお客様は……」


 耳を疑うような車内アナウンスに気づき、わしは目覚める。

 隣を見ると、寺川殿がぐーすか寝ていやがった。


「おいっ! 何で寝てんねん! 佐和山を見逃してしまったぞ! どうしてくれんじゃ!」

「ん? いや、私は長浜よ……ふふふっ! その後、あの人が大坂にでっかい城を建てて、私もそこに住むんだぁ……」

「知らんがな! いや、知ってるけど! つーかおい! 起きろ! もうすぐ京都じゃ! 荷物まとめて降りる準備しないと! って、いつの間にビール飲んだんじゃ!? 車内販売か? 車内販売で買ったのかっ!? ずるいぞ! わしだって車内販売で飲み物買ってみたかったわ! そのためにへそくり持って来たんじゃぞ! ――じゃなくて、さっさと起きろ! つまみを片付けないと! って、もうホームが見えてきた! ちょ……寺川殿!? 早く起き……うっわぁ、酒くっせぇ……」


 結局わしらは大慌てで下車の準備をし、ドタバタ騒ぎながらぎりぎり京都駅のホームに降りることができた。


 上洛達成じゃ!


 と、わしが京都駅のホームで意気込んでおると、隣にいた寺川殿が吐きやがった。



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