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遠征の弐


 風呂場でアヒルちゃんのおもちゃと存分に親交を深めた後、わしは居間に戻った。

 寺川殿にお願いして雄叫びのような激音を放つからくり道具を使ってわしの髪を乾かしてもらったら、歯磨きじゃ。

 この長屋に置かせてもらってる歯ブラシと歯磨き粉で入念に歯を磨き、脱衣所にある洗面台で入念なくちゅくちゅぺーをしたら、いざ戦闘開始。


 さぁ、ゾンビハンティングの時間じゃ!


「よし。寺川殿? わしはゾンビと戦う。しばし見守っててくれ」

「うん。オッケー!」


 このゲームソフトは何年か前に発売されたというゾンビホラー系の大人気ゲームじゃ。

 お化けや妖怪の存在を信じるわしにとって、ただでさえ恐ろし過ぎるこのゲーム。

 寺川殿が自分へのご褒美として数か月前に購入した65インチのドでかいテレビでそれをプレーしようとする、狂気の沙汰じゃ。


 部屋の電気も消し、一時退避用の毛布も寺川殿のベッドから持ち出したので、準備はオッケイ。

 このゲームは基本的に1人用なので、すでにこのゲームをクリアーした寺川殿はわしの座るソファーの脇にだらしなく寝そべっておる。

 けど、いざという時に寺川殿の足に飛びつき、恐怖に耐える算段も完璧じゃ。


「佐吉?」

「ん?」

「本当にやるの?」

「あた……当たり前じゃ」

「怖すぎて、こないだ途中で断念したくせに」

「だからこそじゃ! 男たるもの、屈辱にまみれたままでいられるか!」


 並々ならぬ心力を要するこのゲーム。

 恥ずかしながら、3週間ほど前にここに泊まりに来た時も同じ挑戦を行い、わずか15分で恐怖に負け、寺川殿の足に隠れた。

 だからこそ――それだからこそ、わしは今宵の戦いに全てをかけておるのじゃ!


「ふーん。別に止めはしないけど……。夜寝れなくなっても知らないからねぇ。あなた、明日午前中から野球の練習あるんでしょ?」

「だ、大丈夫じゃ! 気が散るからもうそれ以上言わんでくれ! あと、それ以上言われると心が折れるから!」


 ここでわしはしゅわしゅわ唸る液を一口。テレビの画面がゲーム開始を告げるまでのわずかな時間を使って口を潤したんだけど、いつものような美味しさは感じられん。

 せめて第1ステージぐらいは踏破し、このしゅわしゅわを勝利の美酒にせねばならん。


「よし、行くぞ!」

「がんばってねーぇ」


 床に寝そべってやる気のない応援をする寺川殿の声すらも頼もしく思いながら、わしはゲームを始める。

 んで、ものの1分ともたずにわしは絶叫してしまった。


「きゃーーー!」

「うるさいわ! お隣さんから苦情来るでしょ! 叫ぶな!」


 そんで、寺川殿に怒られちゃったわ。


 いやいや、待てと。

 このゲームソフトは――いや、ソフトというよりハードの方じゃな。

 最先端の技術をふんだんに盛り込んだこの据え置きタイプのゲーム機は映像の迫力がとんでもなくすさまじい。

 そんなゲーム機でホラー系のゲームをしようものなら、こうもなるわ。


 しかもいきなりウィルスに侵されたわんわんゾンビが窓から突入してきたのじゃぞ?

 血にまみれ、臓物腐り始めたおどろおどろしいわんわんじゃ。

 そのくせ機動力は野生のそれだから、わしからすればめっちゃ強敵じゃ。


 それに、こないだプレーした時は向こう側にある扉を開けてから奇襲されたはずじゃ。

 なんで奇襲ポイントが変わってるのじゃ?

 そんな詐欺あり得るのか?


 わしは慌ててゲームを中断し、寺川殿に助けを求める。


「ちょ……ちょっと待ってくれ。このわんわん、あっちの扉開けてから登場するはずじゃかったのか?」

「あぁ、それね……。このゲーム、プレーするたびに敵の出現地点が変わるっぽいわよ」


 あぁ、そういう仕組みか。

 何度遊んでもプレイヤーが飽きないようにという、ゲーム制作会社の愛情こもったサービスじゃ。

 いらんわそんなもん!


 あと、それならば今の奇襲に寺川殿も驚くべきじゃ!

 寺川殿だって戦国の世を生きた御人じゃ。

 現代よりずっと信心深い時代に生まれたくせに、なんでこの恐怖に耐えられんのじゃ?

 しかも寝ながら美容用の顔パックなど張り付け始めやがった。

 ゾンビと同じぐらいおっかねぇわ。


「マジか」

「マジよ。がんばりなさい」

「それじゃあ……ちなみにだけど。寺川殿はこのゲーム、何回クリアーしたんじゃ?」

「ん? ……えーとぉ……。何回だったっけ……? 4、5回ぐらいかな……」


 達人じゃ。

 同じゲームをそれだけやり込むマニアっぷりも達人だけど、この恐怖に平然と立ち向かうことができる心力も凄すぎる。

 やはりあなどり難しは“北政所”といったところか。

 今は顔パックで必死に老いと戦っておるけど、戦国の母といわれた器のでかさは本物じゃ。

 さすればわしも負けてはおれん。


「ぎぃーやーーー!」


 その後、わしはソファーの上で暴れたり、毛布に隠れてプルプル震えたり、また恐怖が極限まで高まった時に寺川殿の太ももに隠れながらゲームを進める。

 20分ほど経ったところで、見事第1ステージをクリアーした。


「はぁはぁ……げほっ……はぁはぁ」

「おし、いい感じね。でも……どうすんの? まだ続ける?」


 恐怖と緊張によって、わしの心身はぼろぼろじゃ。

 でも正直なところ、このゲームがいと楽しいことも否めん。

 部屋の電気を消して毛布をかぶりながらプレーしておる時点で、わしが全力でこの恐怖を楽しもうとしてるのは明らかなんだけどな。


 今宵のわしは前回のプレー時間記録を5分も塗り替え、あまつさえ第1ステージすら制覇してしまった。

 この調子ならさらに先のステージも踏破することできようぞ。


「もうちょい……行けるところまで。寺川殿? しばし見守っててくれるか?」

「おうよ!」

「そこでじゃ。絶対そこから離れるなよ」

「どこに離れんのよ。ここにいるから安心しなさい。さぁ、次のステージよ。がんばって」


 でもわしの考えは甘かった。

 次の第2ステージじゃ。

 襲い来るゾンビの数と迫力が一気に上がったのじゃ。


「ひぃーーーえぇーーー! このーーー! 死にさらせぇ!!」


 恐怖が理性を壊し、わしは画面に映る化け物どもを直接手討ちにしようと試みる。

 近くにあった美白化粧水なるもののガラス瓶を、テレビ画面に向けて思いっきり投げつけようとしてしまった。


「おい! 何を!?」


 ぎりぎり。

 ぎりぎりじゃ。


 わしの怯えっぷりをゲラゲラ笑いながら楽しんでおった寺川殿が、無意識に大きく振りかぶったわしの異変に気づき、それを止めてくれたんじゃ。

 危うく去年の夏のボーナスの時に寺川殿が自分へのご褒美として買った8Kテレビをぶっ壊すところじゃった。


「あはは! くく! くっくっく!」

「す、すまぬ」

「あーはっはっはっ! ほんとにすまないわよ! くく……ちょ、それ、マジで?

 佐吉、今完全に目ぇすわってた。完全におかしくなってたでしょ? ぜぷっ!

 なのに……なのにピッチャーって……なんでそこで振りかぶんのよ? しかも、あなたキャッチャーでしょ。

 なのになんで……くくっ! ありえないって! ちょ……お腹痛い……ひぃ、ひぃ……!」


 あっぶなかった……。


 まぁ、寺川殿はこんなわしをげらげら笑いながら許してくれるしな。

 混乱しててよく覚えておらんが、今のわし多分武威を発動させながらガラス瓶を投げようとしていたはず。

 寺川殿も武威を発動してわしの腕を掴んだだろうけど、それでも笑って許してくれるのじゃ。


 これもねね様たる寺川殿の度量の広さを表しておる。

 すっごい笑われておるからなんか腹立つけどさ。

 あとわしの腕をつかんだ寺川殿の掌と、掴まれたわしの腕の皮膚が摩擦でちょっぴり焦げ臭くなっておる。

 これが武威同士の戯れじゃ。


 常人には決して抗うことのできない破壊の空間。

 もしわしがあのままガラス瓶を投げつけておったら、ガラス瓶はテレビを突き抜けるどころかその背後の壁すら破壊し、お隣さんの部屋まで辿りついたであろう。

 しかもガラスはおそらく途中で散弾銃のように四散するから、お隣さんの部屋は空爆の跡みたいになったはずじゃ。


 お隣さんの身の危険と敷金の都合はどうでもいいけど、それが武威じゃ。

 わしと寺川殿。

 武威を操る者が2人同じ部屋におるというだけで、そのレベルの破壊の前兆がいとも簡単に生まれるのじゃ。


 まっ、今のは完全にわしのミスがその前兆を生んだんだし、寺川殿はそれを止めてくれたんだけど。

 さすがに今宵はこれ以上ゲームするのは止めておこう。


「もうこのゲームやめる。寺川殿は?」

「きぃーひっひっひ! く……ぐぐぐ……やばい。お腹つった……!」


 なんか寺川殿はまだ笑っていたらしく、さらには笑いすぎて腹筋つったようじゃ。

 さすれば今宵のゲーム大会は終わりじゃな。

 テレビのチャンネルを地上波の国営放送に切り替え、わしはすっくと立ち上がる。

 ゲームのお片付けじゃ。


 しかし、やっぱり腑に落ちん。

 寺川殿……いや、ねね様の持つ武威。

 前世におけるねね様は戦闘要員ではなかった。

 もちろんじゃ。

 おなごだし、天下に名だたる豊臣秀吉の正室じゃ。

 でもねね様は1人も殺したことがないというわけではない。


 世は戦乱。

 おなごであっても必要に応じて護身の武力を迫られる時もあり、そのための訓練も必要となる。

 いざという時、戸惑うことなく敵にとどめを刺せるよう、罪人などを使って“殺人”をこなす訓練も当然のようにしていたのじゃ。

 位の高いおなご――例えば“姫”と呼ばれるような家柄に生まれたおなごは守られる立場だったから、そのような訓練はしておらん。

 だけど、その“姫”の周りの世話をする側のおなごは、護衛の役も兼ねておるのじゃ。

 ねね様はもともと身分の高い生まれではなかったから、わしと出会う前の若かりし頃にそういうのをやったことがあるかもしれない。

 だからこそ、その証拠にねね様も武威を持っておるんだしな。


 でもじゃ。

 当時破竹の勢いを誇っていた織田軍と、その中で急激に権力をつけていた殿下。

 殿下もわりと早い段階で一国一城の主になったし、その妻であるねね様にまで敵の手が押し寄せる状況など起きるはずもなかった。


 あくまで武威は戦場のような激しい命の奪い合いが行われる現場でのみ育てることができる。

 もちろんわしは若い頃に前線でそういう経験を積んだから、前世ではある程度のレベルまで武威を育てることができた。

 今はまだ6割ぐらいしか戻っておらんけど、それでも前世のねね様よりは遥かに強いはずなのじゃ。


 なのに……。

 それなのにさっきはピザの残骸をわしの顔に塗りたくる非道を……じゃなくて武威を発動させたわしの腕力を、寺川殿は笑いながら凌駕した。

 まさかこの現代で殺人経験を積んだわけでもないだろうし、それなのになぜわしより強い武威を持っておるのじゃ?


「のう。寺川殿?」

「ん?」


 ゲームの電源を落としたり、コントローラを片付けたりしながら、わしはふと問うてみた。


「寺川殿の武威。どうやってそこまで強めたのじゃ?」


 ここで「実は毎晩、街に繰り出して通り魔やってます」とか言われたら、衝撃過ぎて失神してしまうけどな。

 まさかそんなこともあるまい。

 ぶっちゃけわしも武威に関してはよくわかっておらんし、あの時代の武将の間に交わされる知識としても、武威は不明な点が多かった。

 さすれば何か秘密があったりするのかも知れんな。


「そういえば、その件であなたに話があったのよね」

「ん? なんじゃ?」

「あなた、夏休みになったら京都に行きなさい」

「ん? なんでじゃ?」

「京都陰陽師の勢力下にある寺なんだけど、そこで1週間ぐらい武威について教えてもらって来なさい。武威を磨けるわよ」


 寺川殿の瞳が怪しく光り、加えて寺川殿は不敵な笑みも見せてきた。




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