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決戦の弐


 幼稚園の廊下を歩きながら、わしは装束のポケットに手を入れる。

 指先にからくり道具の感触が伝わり、わしは廊下の窓の外を眺めながらにやついた。


 ふっふっふ!


 父上と夜遅くまで語り合ったあの夜以来、わしの装束のポケットには忌みなる道具が入っておる。

 小型カメラとボイスレコーダーじゃ。

 以前のわしは“5歳のわっぱ同士のもめ事は裁判じゃないから、証拠は必要ない”という考えだった。


 けど、父上の考えは違ったのじゃ。

 相手が由香殿の祖父となれば――そして、その戦場がPTAの会合となるならば、相応の証拠を突き出してやらねばなるまい。

 そういう考えじゃった。


 そのためにわしは父上から特別に忌みなる道具の持参を許され、以来わしの装束のポケットは奇妙なふくらみをしておる。

 これを用い、わしらがひまわり軍のわっぱどもから暴力を受けている証拠を記録する。

 そしてそれを来たるべきPTA総会の会合の中で、相手に突き付ける。

 こういう計画じゃ。


 いひひひひ!


 でも注意せねばならぬこともある。

 まずはその証拠集め。

 このからくり道具はあくまで外法の範疇に収まる忌みなる道具じゃ。

 おおっぴらにこれを持ち歩くわけにもいかず、この道具の所持を先生殿たちにばれてしまえば、逆にわしの立場が危うくなる。


 あくまで隠密に。そして確実に。


 袴をタイトにしたこのズボンとやらの右ポケットに小型カメラ。

 左のポケットにボイスレコーダー。


 小型カメラは父上が固定用のフックを取りつけてくださったので、まんまるガラスとマイクはポケットから少しはみ出る感じでわしの正面の視界を捉えておる。

 でも通常はわしの上半身を覆う装束に隠れており、いざという時に装束の裾をめくる感じで犯行の一部始終を捉える計画じゃ。


 そしてボイスレコーダー。

 こちらは小型カメラの補助的な役割を果たすためじゃ。

 以前、小型カメラで撮影した動画データを32インチの中級武士にて確認した時、マイクで絡め取った音声がいくらか小さかったのを確認済みじゃ。

 おそらく小型カメラのマイク機能は感度・分解能ともにさほど高くはなく、わしの装束が擦れるノイズに耐えきれまい。

 ボイスレコーダーはそれゆえの補助的な装備じゃ。


 でも……これら2つのからくり道具。

 万全の態勢で望むと言っても、その証拠集めに失敗する可能性もあるのじゃ。


 例えばの場合、わしの目の前でひまわり軍のやつらによる襲来が起きたとしよう。

 その事件の発生を事前に察知し、小型カメラの撮影スイッチとボイスレコーダーの録音スイッチを素早く操る。

 かつカメラワークに気を使いながらわしは移動し、見やすい角度から事件の全景を撮影する。

 周りに悟られることなくこれらの手順を正確にこなすなど、わしであってもなかなかに難しい。


 わしがターゲットになっておる場合ならなおさらじゃ。即座に応戦する必要とかあるだろうしな。

 あとターゲットがわしじゃなかった場合、目の前で殴られる足軽組メイトを一時的に放置しつつ、冷静に双方のスイッチを入れることとなる。

 これはわしの性格上、なおのこと難しいのじゃ。


 唯一の救いは武威の存在。わしの武威が少しずつ目覚めておるという事実じゃ。

 有事の際、以前のわしなら相手の攻撃にも気を配らなくてはならなかった。

 打ち所が悪ければ、スイッチを入れる前にわしが意識を失ってしまうからじゃ。


 けど武威で体を守れる今のわしにとって、わっぱごときの攻撃など数十や数百くろうても大した問題ではない。

 武威とはそれだけの力じゃ。


 なので最悪敵に囲まれてぼこぼこにされながらでも、わしはそれらを無視し、からくり道具の操作に集中できる。

 武威を発動しておけば四肢の動きも素早くなるし、精神的にも余裕を持って盗撮に従事できるのじゃ!


 でもでも注意すべきはそれだけではない。

 証拠の質と量。それとPTA総会を開くタイミング。

 わしの証拠集めは早い方がいいし、でもそれなりに時間は欲しい。

 とはいうものの、人の怒りというものは長続きはせん。

 わしとしては最低でも2週間ぐらい欲しい気もするが、先週の月曜日の事件で怒りに燃えた父兄たちがその感情を失う前にPTA総会の開催を実現せねばならんのじゃ。


 にもかかわらず先週の火曜日以降、ひまわり軍の来襲はぴったりと収まっておる。

 最低でも2、3件ぐらいの証拠を集めたほうがいいという父上の下知だったけど、そんな事件は起きず、結果わしの証拠集めが一向に進んでおらんのじゃ。

 さっきのようにちょっとした嫌がらせはそれなりに起きておるけどな。

 遊具を奪い合うことなどわっぱひしめくこの幼稚園では日常茶飯事だし、その程度の事件は証拠としてインパクトに欠けるのじゃ。

 最低でもこぶしの一発でも飛ぶような事件の動画が必要じゃろう。


 それで、話が少し逸れるけど、寺川殿の復帰最優先案はそこら辺も考慮されておったのじゃな。

 わしが証拠集めに動く一方で父兄の方ではそのような目標を立てて動き、事件と怒りの感情を風化させないようにしておる。

 ジャッカル殿の母上のキレ具合が相当なものだったらしく、寺川殿の復帰が想像以上に早かったけど、父上の計画の裏にそのような意図が感じられるのじゃ。

 あと、こそこそ動くわしの謀から先生殿のたちの意識を逸らす効果もあるっちゃあるしな。


 うーむ……


 1つの目標に対し同時に複数の行動を起こしつつ、それぞれに関係を持たせてさらなる成果を画策する。

 戦国武将でもここまでの策略を練れるものはそうそうおらん。

 武将として脂の乗った50代。しかも自分の代になって自国の領土を最低でも10倍程度に広げておる大名。

 それぐらいの名将ならありうるレベルの謀だけど、父上からそういう才覚を感じるとれる。


 父上……何者じゃろうか……?


 いや、父上はわしの父上じゃし、望遠鏡を覗きながら語り合ったあの夜も父上から転生者の気配は感じ取れんかった。

 だから父上はあくまで純粋に現世を生きる人間なのじゃろう。

 にしては……やたらと策略めいたことが得意じゃし、それを好む節もある。

 カップラーメンの隠ぺい工作もやたらと完璧じゃった。

 うーん。

 まぁいいか。


 わしが今すべきことは単純。

 証拠の収集。

 そのために、わしがひまわり軍のやつらを煽ればいいのじゃ。

 さっきわしはその手始めとばかりにジャッカル殿たちの遊びを邪魔したあやつらを諌めつつ、ついでに暴力の1つでもわざとくろうてこようかと画策した。

 寺川殿に止められてしまったけどな。


 くっそ……寺川殿……。


 といった感じで、わしは頭蓋の中であれこれと思案をしながら、廊下をとことこと歩く。

 途中ついつい笑みをこぼしてしまうこともあったので、廊下を行き来する他の者にその笑みを悟られぬよう慌てて口元を隠したりしておると、ほどなくして右側に室内運動場の入口が見えてきた。

 中から数十のわっぱがはしゃぐ叫び声が漏れておる。


「ん?」


 でもダメじゃ。

 ふと気になってちらりと見渡してみたものの、室内運動場には由香殿の兄一派の姿はない。

 ついでに後ろを振り返り、窓の外に広がる園庭にも目を向けてみたけど、やつらの姿は確認できんかった。

 なのでわしは当初の予定通り、室内運動場を通り過ぎることにした。


 くっそ。

 ジャッカル殿たちからわざわざ遊具を奪っておいて、それで遊ばないなんて。

 ただ奪いたかっただけじゃろ? こんなん完全な嫌がらせじゃ。

 でも状況から察するに、やつらはやつらの足軽組拠点に戻っておるのじゃろうな。

 または……厠にでも行っておるのじゃろうか。

 もちろん今のわしはそれを期待して、わざわざこんな遠いところにある厠まで来ておるんだけどな。


 ふっふっふ!


 厠で遭遇すればよし。

 先生殿の監視の目が厠まで届かないのをいいことに、そこでやつらが本性を表せばなおよし。

 ひまわり軍用の厠をばら軍所属のわしが勝手に使ったことに、やつらがさらなる怒りをぶつけてくればさらによし!

 と怪しい笑みをこぼしながら歩いておると、ひまわり軍の厠が見えてきた。


 しかし……


「いーだーいーよー! 離じーでーよー!」


 厠の中から勇殿の泣き叫ぶ声を聞き、わしは即座に扉を開ける。


 いや、そうではない。


 その前にすべきことがあった。

 もちろん1秒でも早く勇殿を助けなくてはいけないので、右手で扉のノブを回しながら左手でボイスレコーダーの録音ボタンをポチっと。

 次に左右の手の役割を入れ替え、左手で扉を押し開けながら、右手では小型カメラの撮影ボタンをポチっと押した。


 それで……あとは……


 扉を十分に開くと、わしの予想通りの光景じゃ。

 由香殿の兄上はおらんが、以前我が足軽拠点に攻め入ったわっぱが4人、勇殿を取り囲んでおる。

 んでやつらの囲いから脱出しようとする勇殿が、力任せに取り押さえられておる。

 これは間違いなく、証拠になりうる事件じゃ。

 さすればわしも当初の予定通り、立場の弱い一方的な被害者を演じつつ、やつらから暴力を受けるシーンを撮影せねば!


 と思ったけど、やっぱわしはダメじゃな。


 勇殿の泣き顔を見たら、冷静さなんてどっか飛んで行ってしまったわ。


「勇君!」


 そう叫びながらまずは、目の前にあった背中に一撃。固く握った右のこぶしで渾身の突きをお見舞いし、次はその右にあった胴体のわき腹に蹴りじゃ。

 この程度、武威を用いるほどでもない。


 わしの急襲により、とりあえずは2人の敵兵を戦闘不能に陥れることに成功した。

 次いでわしは残りの2人を倒すべく、体勢を立て直す。


「みづぐん!」


 勇殿がわしの存在に気づき、泣き顔で笑みを見せてくれた。


「大丈夫? 助けに来たよ!」


 それに対して、わしは勇殿を安心させるべく心強い一言を送る。

 加えて、わしが2人倒したことで勇殿の体を抑える束縛も半減され、勇殿ももがきながら抵抗を始めた。


「うわー!!」


 勇殿が泣き叫びながら左隣のわっぱに襲いかかる。

 まぁ、勇殿はわしのように喧嘩慣れしておるわけではないので、1発1発の威力は弱いけど、それでも必死に抵抗を始めたのじゃ。

 んでわしはそんな勇殿の動きを察知して、残りの1人へ意識を集中させる。

 今度はお互い正面を向き合っておるので、狙うは腹部への一撃じゃ。


 とわしが構えを整えておったら、わしの目の前に予期せぬ人物が割り込んできた。


「きゃ!」


 そんでその人物は、相手がわしに向けて放った蹴りを受け、脇の壁に倒れ込んだ。


「華ちゃん!?」


 いやはや、さっきまで外で農業にいそしんでおったはずなのに、なんで華殿はここにおるのじゃろうな。

 わしの後をつけておったのか?

 それとも神の導きか?

 そう勘繰りたくなるぐらいの登場劇じゃ。

 しかも華殿はこの狭い厠の中で、わしの脇をするりとすり抜け、敵とわしの間に入り込んでおる。


 わしはここにくるまでゆっくり歩いておったから、華殿が廊下でその神速を発揮したわけではなさそうじゃが、今見せた身のこなしもやっぱり見事じゃ。


 でも、あの程度の蹴り……わしなら簡単に防御しておったのに……。

 それをわざわざ食らうなんて……そうじゃなくて!


「華ちゃん! 大丈夫!?」


 突如現れ、相手の蹴りをくらった華殿。しかも壁に頭からぶつかっていきよった。


「う……ううぅ……うん。だいじょ……」


 しかも、わしの言にうつろな声で答えておる。

 これ……ヤバくない?


 わしは即座に構えを解き、華殿に近寄る。

 国営放送のおねえさんが頭を打った患者はむやみに動かすなと言っておったから、わしは彼女の体を起こすことはしなかったものの、小さく体をゆすってみた。


「頭打った?」


 一瞬遅れて勇殿も近づき、2人で華殿を見守る。


「うん……目がパチパチする……あっ、治ってきた!」


 んで、華殿は勢いよく立ちあがった。


 おいおい。

 頑丈すぎじゃ。

 少しはおなごらしく、か弱くしとけ、と。


 いや、華殿の耐久力に驚いておる場合ではない。

 見れば2人になっていた敵は、そろってこちらに構えを向けておる。

 おなごに蹴りを入れておいて、反省の色はなしじゃ。

 さすれば仕方あるまい。

 今、現状ではわしらが厠の入り口側。対するやつらは奥の方。

 決して逃がしはしない。

 わしと勇殿。2人で連携を組み、やつらを倒す。

 なんだったらやつらの頭を便器に突っ込ませてやる。

 それぐらいの仕置きが必要じゃ!


「華ちゃんは休んでて。勇君? 行くよ?」

「うん!」


 2人に指示を出し、ついでに勇殿が戦意に満ちておるのを確認しつつ、わしは重心深く構える。

 その時、床で唸っておったわっぱのうちの片方が立ち上がろうとしていたのでやつの顔を強めに踏みつけ、戦線復帰の意思を削いでおいた。


 しかし……


 次の瞬間、わしの隣におった勇殿が勢いよく前方に倒れた。


 いや、違う。

 これは背後から何かしらの攻撃を受けたのじゃ。

 それで勇殿は前に倒れた。そういう勢いじゃ。


 案の定わしが後ろを振り向くと、そこには3人の新手じゃ。

 由香殿の兄上。あと、2人の体躯良し。


 そして……


 その後ろにはひまわり軍の1組を統率する、あの性格の悪そうなばばあが立っておった。


「まぁ、あなたたち! なんてことを!? あなたたちはばら2組の子ね!

 まさかこの前の仕返しにきたというの? なんてひどい子たちなのかしら!」


 いや、ちょっと待て。

 のっけからわしらが悪者か?

 いつからここにいたのかわからんけど、今由香殿の兄が勇殿を蹴り倒したのも見ておっただろう?

 ほれ、やつは今も足をあげておる。

 絶対、絶対にその足で勇殿に蹴りを入れたじゃろ?


 あと、見ての通り由香殿がおでこにたんこぶつくっておる。

 おなごじゃぞ? おなごの顔に傷をつけたのじゃぞ?

 そりゃまぁすでに床に2人倒れておるけど、この状況でなぜわしらだけが悪だと言い切れる?


 ……いや。こやつにはなにを言っても無駄か。

 そういうばばあじゃ。

 まず、寺川殿じゃな。

 寺川殿も怖いけど、今はあの方が必要じゃ。

 わしらの話もちゃんと聞いてくれる大人がこの場にいないと、この状況を公平に判断するのは無理なのじゃ。

 なので一刻も早く寺川殿を呼んでこなければなるまいて。

 でも……入口は新手の軍勢とばばあに塞がれておる。

 これはなかなかに難しい状況じゃ。


 とわしが引きつった顔をしておったら、先ほど背中に蹴りを受けて勇殿が苦しそうにしながら小さな声を発した。


「ち……違うよう。僕が……用務員さんのところに遊びに行った帰りに……この人たちに捕まったの……。

 このトイレで……いっぱい殴られた……。あと、光君は……光君と華ちゃんは……助けに来ただけ。悪いのはひまわり組の人たち……」

「そんなわけありません! 私のクラスの子たちはそんな事する子じゃありません!」


 おおう……すごいな。

 まさに全否定というやつじゃ。

 それがいい歳したベテラン教諭のすることか?

 とわしが顔を引きつらせながらばばあを睨んでおったら、そのばばあの行動は常軌を逸しておったわ。


「あなたたちにはお仕置きが必要です!」


 そういって、ばばあは勇殿と華殿にげんこつを食らわせおったんじゃ。


「ふざけんな! そんなんだから旦那に逃げられんじゃ! このバツイチ女め!」


 わしはというと、ばばあに抵抗しながらも触れてはいけない彼女の心の傷をえぐってしまったらしく、顔面をグーで思いっきり殴られてしまった。


 うん。

 わしの武威はまだまだじゃな。

 わっぱはまだしも、大の大人の渾身の一発は防御しきれん。


 結局わしはその一撃で意識を失い、騒ぎを聞きつけた保健室のおねえさんの判断で救急車に乗ることになってしまった。



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