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遠征の弐


 ショッピングモールの入り口で、わしらはゾウさんバスを下車した。


「お久しぶりです。突然のわがまま、なにとぞご容赦ください」


 迎えに来ていたジャッカル殿の母上に、少し改まった感じで挨拶を済ます。

 ついでに中腰状態で両の手に握ったこぶしを腿のあたりにつけ、その体勢で頭を深々と下げた。

 5歳のわっぱだと不自然かもしれないけど、ジャッカル殿の母上はこれでいいのじゃ。


「あっはっは! なにそれ!? ちょー面白んだけど! 時代劇でも見たの? やっぱ光成君面白いわぁ!」


 こんな感じじゃ。

 わしが少しでも昔の所作を見せると、面白がってくれるのじゃ。


 でも幼稚園で起きておる事件の真相は、この方の耳にも届いておらんらしい。


「寺川先生のところでしょ? いいわ。連れてってあげる。先生、体壊したのかな? しばらく休むって聞いてるけど、突然遊びに行ってもいいのかな?」


 うーん。

 ジャッカル殿の母上? わしは別に遊びに行くわけではない。

 でも、説明も面倒じゃ。


 ジャッカル殿も多少の怪我をしておるゆえ、この後ジャッカル殿の方から事件の詳細を聞くことになるであろう。

 そうなるとこの方も後々事件にかかわってくると思うけど、今はまだ詳しい説明をすべきではないような気もする。

 なのでわしは誤解を解かずに、必要最小限な説明だけをすることにした。


「いえ、その点は寺川殿にも伝えておりますゆえ……先方も快く承諾してくださっておりまする。山田家の奥さまにおかれましては、建物の前までご一緒していただければ、これ幸いと存じまする」

「あははっ! ちょ、やめて……本当にお腹痛い。普通に喋って……」


 まぁ、ジャッカル殿の母上をからかうのはこれぐらいでいいじゃろ。

 あとショッピングモールに来た客なんだろうけど、ちょうど通りがかった大学生っぽいつがいが、わしの言動を見て笑っていきやがった。

 なんか腹立ったわ。


「ちっ、さっさと別れればいいのに……どうせ結婚できないんだから……」


 なので相手に聞こえるような声で吐き捨てる。

 その言につがいが引きつった顔をしておるのを横目に、わしらは歩き出した。


 その後わしらは3人揃ってショッピングモールの駐車場を横切り、一軒家城街をとことこと歩いた。

 ほどなくしてわしの記憶にもおぼろげながら残っておる建物が見えてきた。


 色は紅梅。総2階建の近代的な木造建築。

 玄関の扉の間隔から察するに、各々1部屋のみというわけではなさそうじゃ。

 しかも建物に入ろうとする前にからくり関所が設けておる。

 なんとなしに見上げれば、2階の共用廊下を見知らぬ1人の大人が歩いておる。

 そこにもガラス戸がとりつけられており、守りは強固じゃ。


 これならば伊賀や甲賀の下忍レベルが侵入を試みても簡単には入り込めなかろう。

 まぁ、侵入に成功したところでそれを迎え撃つのは寺川殿だから、それこそ忍びの里全軍にて暗殺を仕掛けなければなるまい。

 それでも寺川殿を討つことは至難だと思うが……。


 でもじゃ。

 此度のわしは、寺川殿と約束を取り付けておるので侵入は容易。

 ザッ! 来賓客じゃ!


「ここの2階の207号室だよ。2階の1番奥の部屋ね。でも……やっぱ私も行こうか? せめて玄関まででも……。光成君、オートロックの使い方わからないでしょ?」


 その時ジャッカル殿の母上がわしのことを心配し、再度同行を求めてきた。

 でもダメじゃ。

 ジャッカル殿の母上に玄関までついて来られると、その流れで寺川殿がジャッカル殿の母上を部屋に招き入れることも考えられる。

 そうなっちゃうと、わしが寺川殿に話を出来なくなってしまうのじゃ。

 情報漏洩の可能性は限りなく低く。戦国の常套手段じゃ。


「いえ、ここで結構です。オートロックとやらのからくり門の通過方法も、なんとなくわかっておりますゆえ。2階の207号室。それだけ教えていただければ、我が任務も成就したようなもの」

「きゃっはっは! 面白いってば! 光成君は武士かっ!?」


 武士じゃ。

 もちろんばらすわけにはいかん。


「いえ、本当にありがたく存じます。このご恩、いずれお返ししましょうぞ」

「そう。それならよかったわ。 あと、光成君のお母さんから、用事が終わったら光成君がうちに来るかもって聞いてるけど。おやつ準備して待ってるから、気兼ねなく来なさいね。うちわかるでしょ? ほら、あそこの青い家」


 ジャッカル殿の母上が指差す先、わしも行ったことのあるジャッカル城が見えておる。

 目と鼻の先じゃ。


「車の通りは多くないけど、一応寺川先生に連れてきてもらうんだよ。わかった?」


 最後に、ジャッカル殿の母上の問いに深くうなづき、そこで親子と別れた。


「いざ、進軍開始!」


 周りに人の気配が無くなったことを確認し、わしは気合いを入れ直す。

 1歩、また1歩と足を進め、わしは長屋のからくり関所に近づいた。


「ふーう」


 心なしか、建物に近づくたびに寺川殿の気配が強くなる気がするな。

 この辺りには常日頃からそんな気配が漂っておるのか……?

 そんな土地柄だから寺川殿の気性が荒れるのか、または寺川殿がここに来たから土地の気の流れが乱れておるのか。

 どっちが先かは分かるまい。

 でも、確かにここの気配は乱れておるのじゃ。


 もちろん、生まれて初めてのからくり関所に、わしが緊張しておるからではない。

 おそらく“部屋番号”をポチって、その後“呼び出し”やら“コール”やら記されたボタンをポチれば、寺川殿に通じるのじゃろう?

 と思っておったら、そのボタンがあったわ。


 ふっふっふ。

 容易!

 HDDレコーダー操作を特技とするわしに、この程度のからくりなど敵ではない!


 ぴっぴっぴ……っと。


「はいはーい」

「テラ先生? 僕。光成だよ」

「えぇ? もしかして、本当に来たの?」

「ん? うん。だって、そう言ったじゃん」

「そう言ったって言われても……てっきり冗談だと……」

「でも、来ちゃったもん。入っていーい? オートロック外してぇ」

「え、うん。まぁ……いいけど……もしかして、私のラケットも持ってきたの?」

「うん。開けてくれないと、このラケットをショッピングモールの駐車場に隠してくるよ? 駐車している車のタイヤの前に置く感じで。早く見つけないと、車が発車する時にバキバキに折れちゃうかもね!」

「ちっ……わかった。入ってこい」


 少しの間があり、脇に待ち構えておったガラス門が音をたてた。

 これにて開門! 寺川殿も結構甘いな!

 いや、これで土下座する理由がもう1つ増えたけどな!

 1つも2つも一緒じゃ。

 土下座を1回すればいいだけじゃ。

 さてさて。おっ、階段はあっちじゃな。


 と小さな勝利を確信し、わしは階段に向かって走り出す。

 そして……



 何じゃこれは……?



 階段の上から漂う、果てしない殺気に身を包まれ、わしは歩みを止めた。



 何かが来る。

 階段の上から……ゆっくりと……。

 これは何じゃ?

 なんておぞましい気配じゃ?

 まるでこの世の悪を全て混ぜ合わせたような……。

 地獄のそこから湧き出る狂気のような……。

 魔物の住む世界に充満する瘴気のような……。



 いや、わしはこれを知っておる。



 幾十の戦場を駆け抜け、幾百の敵兵を殺めることで手にする忌みなる力。

 亡骸がそこらじゅうに散らかる光景の中で、立ち残る勝者のみが身に纏う気流。

 戦国の世が生んだ負の遺産。

 戦国の世が後世に残した穢れし遺産。


 寺川殿からかすかに感じる殺気程度の狂気ではない。

 前世のわしがわずかに纏うことを可能とし、名のある武将がすべからく放っていた狂気の琴音。

 それを持った者が上から降りて来よる。


 でもなぜじゃ?

 平和なこの国で、このような気配をまとう者が生まれ出でるはずはない。

 数百人の命を直に奪った大量殺人者のレベルじゃ。

 それも銃や車の類ではなく、自らの手を用いて直接相手の体に刃物を突き立てる方法でな。

 そんな経験を数百も繰り返した。

 そういう気配じゃ。



 それをわしら戦国武将の間では“武威”という!



 ――などと言い放っておる場合ではない!

 なぜこやつは武威を纏うておる?

 武威を纏い、それを強固なものにする条件。

 現代の日の本においてそんな事をしようものなら、即座にこの国の治安維持機関が動き出す。

 お巡りさんじゃ。

 この国のお巡りさんが、数百人の死者が出るまで犯人を放っておくわけがない。


 ではなぜじゃ?

 なぜこやつはそれを可能としておる?

 いや、それどころじゃない。

 ヤバい。わしの身がヤバい。

 戦国の世ならそういう輩もいたかも知れんが、この現代において武威の条件を満たす者は大量殺人者しかおらん。

 つまり相手は大量殺人者じゃ。

 通りがかったわっぱを気分次第で殺すことも十分あり得る。

 あとやつの気配を感じてわしが歩みを止めたから、相手もそれを警戒しよった。


 ……しくじった。


 なぜ何も気づかなかったふりをして、階段を駆け上がらなかった?

 大量殺人者といっても、今それをやるとは限らん。

 わしは安易な警戒行動で、相手に意図せぬ敵意を示してしまった。

 さてどうするか?

 このまま引き返して逃げるか?

 いや、無理じゃ。

 背後でからくり関所の閉まる音がしとった。

 内から出るには自動扉が勝手に開いてくれるものと思うけど、それを待っている間にこやつに追いつかれるかも知れん。

 その時に「なぜ逃げた?」と聞かれたらしまいじゃ。


 唯一の可能性は……

 このまま気づかぬふりをして、上におるやつをやり過ごす。

 話しかけられても適当に誤魔化し、やり過ごす。

 それしかあるまい。


 だけど、わしの思惑は階段の踊り場から姿を現した1人の男によって踏みつぶされた。


「お前、誰だ……?」


 姿形は現世における普通の成人男性。

 父上がたまにしている黒めのスーツ姿と似た感じで、普通の革靴。

 髪も普通の短髪で、やや細めの顔立ちも現代の街中に容易に溶け込めるものじゃ。

 歳は30代後半から40代前半といったところか。

 目を合わせられぬので、相手の顔を見れないんじゃ。


 でも、ややがっちりした体と踊り場に姿を現した時の足音……。

 うん。足音がしなかったのじゃ。

 前世の仕事の関係でわしも足音に敏感だけど、それでもまったく聞きとれんかった。

 完全に“達人”ってやつじゃ。

 暗殺の時とかはこの気配をしまったりもするのだろうけど、動きはまさに暗殺者のそれじゃ。


 そしてこの武威。

 相対してみると改めて分かるが、あの時代の戦場でもこれだけの武威をまとったやつはそうそうおらん。


 対して、わしの体とこの状況。

 抵抗しようとしても絶対に勝ち目はない。それだけは言える。

 というか抵抗しようとしちゃダメじゃ。その意図を悟られた瞬間にわしは命を取られる。

 そういう相手じゃ。


「聞いてんだろ? 答えろ。お前は、誰だ?」


 あと、こやつの質問。

 独りで階段に立ちつくす5歳のわっぱに対して、“どこから来たの?”とか、“お母さんはどこ?”といった問いかけではない。


 わしが誰であるか?

 という質問。

 わしがただのわっぱではなく、やつの気配を感じ取ったことも承知の上で、わしの存在を深く暴こうという――そんな問いかけじゃ。


 これは……安易な言い逃れは出来ない。

 どうするか……。

 本当のことを言えばいいのか?

 でも……。


「ぬぐッ!」


 次の瞬間、わしは腹部に衝撃を受け、背中から階段を転げ落ちた。


 っておいぃ! こやつ、わしにひざ蹴りかましおったぞ!

 なんて手の早い……つーか幼児虐待じゃ。

 うおぇおぉええぇ……痛いぃぃいいいぃぃ。

 あとわしの体は外からの刺激に弱いので、わし泣く。泣くぞ!


「えーん……えーん……いーだーいーよーぉ! あーーー……げーらーれーだーーー!」


 よし。泣き声はわっぱっぽい。

 これなら普通のわっぱを演じきれる。

 ……気がする。


 いや、ちょっと待て。

 もしかして……5歳のわっぱがあの強さの一撃を受けた場合は、悶絶するのが普通ではなかろうか?


 蹴りを受けた部位はみぞおちじゃ。

 相手も手加減しておったのじゃろうが、さっきのわしついついその蹴りの打点を脇腹のあたりにずらすことに成功した。

 あとかろうじて腹筋に力を込めることも成功したし、加えて今のわしは体が軽いから、簡単に後ろに吹っ飛んでくれた。

 ついでに手に持っておった寺川殿のラケットを、どさくさまぎれでクッションにしてしまった。

 だって階段の角って痛いんだもん。それは嫌じゃ。


 でもまぁ、それで何とか致命傷は避けられたのじゃ。

 それでも痛みはあるし、痛みがあったら無条件で泣く体だから、わしは大声で泣いておる。

 ほんの一瞬だったけど、ここまでがわしに出来うる精一杯の防御と演技じゃ。


 だけど……少し遅れて気づいたわ。

 普通なら呼吸苦しくもがくのではなかろうか?

 それがみぞおちにひざ蹴りをくろうたわっぱの反応ではないのか?


 あぁ、失敗した。判断を間違えた。

 これじゃわしが普通のわっぱじゃないと、完璧に相手にばれ……


「ちっ、まだ記憶は戻っていないよな。まぁいい。それならそれで、後々始末すればいいだけ。敵と判明してからな。

 どうせ、あいつの飼ってる雑魚だろう……? 逃げ切れると思うなよ? この虫けらめ」



 最後によくわからない言を残し、相手は通り過ぎて行った。



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