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前哨戦の壱


 ひまわり軍2組――我が足軽組の拠点の入り口で、わしの前を走っていた華殿が足を止める。

 すぐさま後ろを走るわしに向かって掌を見せ、“ここで止まれ”といった合図を伝えてきた。

 わしはその指示に従い、華殿の背後で立ち止まった。


「なんか大変なことになってる。こっそり覗いてみて」


 華殿の言に小さくうなづき、入口の扉に備えられた小さなガラス窓から中を覗いてみる。


「うわぁ」


 どうやら保健室に行っておった者のうち、比較的傷の浅かったわっぱのほとんどが拠点に戻ってきておるようじゃ。

 人数から察するに、未だ保健室に残っておるのは2、3人といったところじゃろう。

 疲労が原因となる者たちはすぐに帰ってこれないと思われるので、現状ではこれだけ戻って来れただけでもよし。

 お外に出ていたわしらと合わせれば、ほとんど全員揃ってひるげの席につけるだろうから、これで一安心じゃ!


 ――と言いたいところじゃがそれどころではない。

 ほとんどの足軽組メイトが泣いておる。

 相手はやっぱり由香殿の兄一味。今日は8人の大軍勢を連れての来襲じゃ。


 やつらの侵略を受け、恐怖に耐えきれず床に膝をついたり、壁際に逃げて泣いておる者が多数。

 他には例によって顔から血を流しておる者。流血の様子は見られないが、泣きながら床に臥しておる者。

 床に散らばった折り紙の数々。あと、たまに血の跡。

 散々たる状況じゃ。


「ん?」


 そんな状況にもかかわらず、ジャッカル殿と普段から仲のいいわっぱが3人、今もなお抵抗を続けておった。

 わしがオチムシャFIVEごっこをする時に一緒に遊ぶ足軽組メイトじゃ。


 でもその3人のうち、2人はすでに半べそじゃ。

 唯一の抵抗勢力だからじゃろう。彼らには局地的に6人の敵兵が戦力投入されており、善戦空しく劣勢じゃ。

 むしろよく持ちこたえておると言えるほどの善戦具合だけど、全員の心が折れるのも時間の問題じゃな。

 こういうのを陥落中の敵城や敵砦で見たことがある。嫌な光景じゃ。


 おっと、昔を思い出しておる場合ではない。

 保健室から戻ってきていた遠山殿の対応にも注目せねばなるまいて。

 これが不可思議な行動――というか、自分の目を疑いたくなるような有様じゃな。

 混乱する拠点の中央で、遠山殿はわーきゃーわめきながら1人の敵兵を押さえておるだけなんじゃ。


 由香殿の兄と8匹の手下。

 でも押さえておるのは1人。


 そんなことでこの喧嘩を止められるわけがなかろう。

 あの先生、騒ぎを収束させる能力は皆無か?

 わしの水まきよりセンス無いんじゃなかろうか?


 もしここに寺川殿がおれば、迫力ある一喝だけで相手を黙らせるはず。

 現に先週の金曜日の時はわしも含め暴力の類を完全に押さえおった。

 まぁ、その後やつらは負けわんわんのような悪態ついておったがな

 そんな寺川殿に比べ、今この足軽組を守るべき指揮官殿はこの有様じゃ。


 あぁ……寺川殿……。

 今度謝っておく。寺川殿より教員免許の有無を疑ってしまう先生殿がここにおった。


 しかし、わしが目を疑うほどの不祥事はこれだけではない。

 極めつけは、わしが辿り着くのと時を同じくして集まってきよった他の足軽組の先生殿たちじゃ。

 廊下から拠点の中を覗き込んで、あわあわしておるだけなんじゃ。


 おいおい。その対応が表ざたになったら、この幼稚園自体が潰れてしまうんじゃないのか?

 それだけの事件が起きておるぞ? ほれ、止めに行ってみい!

 と、軽い雰囲気で忠言してみたい。


 でも、あの様子じゃダメじゃな。

 関わりたくはないといった雰囲気がみえみえじゃ。

 見ようによっては遠山殿を見捨てておると受け止められるが、それも含め遠山殿は“ご愁傷様”って感じじゃ。


「なにこれ?」


 その時、背後から勇殿の声が聞こえたので振り返る。

 勇殿の他にジャッカル殿とよみよみ殿、そしてあかねっち殿が到着しておった。


「あいつら、また来たみたい。今、歌論(カロン)君と実乃守(ミノス)君と黒延主(クロノス)君が戦ってる」


 ちなみに、カロンは冥王星の衛星の1つで、神話の世界における冥界の河の渡し守。ミーノスは冥界の審判者でハーデスの部下。クロノスはハーデスの父上じゃ。

 みんなの親はどんだけ冥界好きなんじゃ?

 そうじゃない! 助けに行かねば!


「よし!」


 わしは覚悟を決め、短い声を発した。

 拠点の中はまさに乱世。

 飛び込めば、わしたちも多少の手傷を負うことになるじゃろう。

 それを覚悟でわしについてくるか、ここは耐えて戦後処理のサポートに回るか。

 そこら辺の選択は勇殿たちの自由だし、わしが強制できるものではない。


 特に、勇殿はこないだの被害者じゃ。

 元々気性穏やかで優しいわっぱだし、逆にキレたら何するかわからん危険人物でもあるので、諸々考えてこのような戦に誘うべきではなかろう。

 対照的にジャッカル殿は普段わしらより仲良くしている足軽組メイトが戦っておるのだから、おそらくわしが動けばついてくるじゃろうな。

 わしが行かなくても走り出すだろうし、そこは好きにすればいいと思う。


 でもジャッカル殿が動けば、残された勇殿も動き出すかもしれない。

 そうなると勇殿のことが心配じゃ。

 といっても勇殿がそう動くならば、わしには止める権利がない気もする。


「まずは僕が行くね!」


 結局、わしは勇殿たちに突入を強制することは出来ず、とりあえずは単独で乱戦に飛び込む意気込みを伝えるにとどまった。


 でもこの状況における唯一の例外もおる。

 華殿じゃ。


「華ちゃん!? 僕が飛び出したら、箒をお願い!」


 おなごの手を借りるのは正直心苦しい。

 でもあの機動力を持つ華殿なら、わしの元まで無事に武器を運んでくれるだろう。


 あともう1つ注目しておかなくてはならないこともある。

 華殿は突入しようとするわしを一度制し、現状把握をするよう促してきた。

 あの時わしが何も考えずに拠点に突入したら、相応の敵戦力がわしに集中したことじゃろう。

 まぁ、わしの武力ならそれでも勝ちを収めたが、華殿はそれを知らないのでわしに1度現状把握をさせた。

 その判断は間違ってはおらんし、その判断力がこの状況に耐えうる華殿の精神力を示しておる。


 なので華殿にはぜひとも乱戦の中をすり抜けて、掃除道具入れから箒を持って来てもらいたい。


「うん。まかせて」


 わしの言葉に華殿が神妙な面持ちで頷いた。


 さて、いくか。


 意を決し、わしは一度大きく息を吸う。

 大声とともに突入するためじゃ。

 でもその最中に、わしは野次馬の中に由香殿の姿があることに気がついた。

 真剣な表情を偽りつつ、口元はかすかに笑みを浮かべておる。

 ほんっとふざけんな。

 ゾウさんじょうろで溺れさせてやりたいわ。

 でも――これはつまり、今回もあやつが黒幕ということか……?


 いや、ちょっと待て。

 こないだの件でなんのとがめも受けなかったひまわり軍のやつらが味をしめて、今回は由香殿の思惑と関係なく、やつらが勝手に攻めてきたという可能性もあろう。

 うーん。

 もう少し様子を見ておいた方がいいか?


 いや、でも冥界四天王のうちの3人が今も必死に抵抗を続けておる。

 今すぐ彼らの助勢をせねばなるまい。


 でも……ここで由香殿の化けの皮をはがすほうが、重要な気が……あとあと楽になるような……うーん……。


 と考えを巡らせておったら、拠点の中にいる由香殿の兄上が大きな声で叫んだ。


「石家光成ってゆーやつはどこだぁ! 勝負しろ!」


 ほう、わしと勝負とな?

 面白い。

 1対1か、多勢に無勢か。

 どちらでもよい。やってやろうぞ!

 あと、これはつまりやつらの襲撃の目的がわしってことか?

 なんて頭の悪い。


 でも、あれじゃな。これで分かった。

 今回も黒幕は由香殿じゃ。

 それだけはっきりすればもうよい。

 由香殿はあとで問い詰めるとして、今はやつの兄上をこてんぱんにぶちのめせばいいだけじゃ!

 あとこの惨劇の原因もわしにあるっぽい気もしてきたが、それには気づかなかったことにしておこう!


「僕だぁ! 僕が石家光成だァ! お前、インスタント焼きそばみたいな顔してるくせに、生意気だぞォ! かかってこい!」


 わしは入り口に仁王立ち、大きな声で口上を返す。

 すると……


「え……? えぇ? ……えぐ……インスタ……ひどい……」


 ……あれ?


 もしかして泣いちゃった?


 由香殿の兄上、あの程度の誹謗中傷で泣いちゃった!?


 くっくっく。

 おいおいおい……その程度で泣くなよな。

 よくそんな心力でここに攻めてきおったな。


「うわーーあぁーー!」


 ――っておい。泣きながら襲いかかってきおった!

 これはヤバい。ヤバいぞ!


 ある程度理性に則った喧嘩なら自信があるが、あんなふうにがむしゃらに接近されると、わしとしてはちとまずいんじゃ!

 由香殿の兄上はそれほど豊かな体躯をしておるわけではないが、それでもわしよりいくらか大きいからな。

 しがみつかれてマウント取られたらマジやばいのじゃ。

 相手の動きも読みにくいし、これは最初の一撃で決めなくてはなるまいて。


 失敗の許されない一撃。

 あやつのみぞおちに渾身の突きをくらわせて、内臓の不快感で戦う気力そのものを消失させる。

 そう、これしかない。


 いつものように体の力を一度抜いて……。

 しっかり構えて……やつがわしの間合いに入った瞬間に……最悪右の手首が折れるのも覚悟して……


「ふーう……」


 接近してくる由香殿の兄上に狙いを定め、わしはこぶしを握る。

 しかし――

 次の瞬間、わしは背後から抱き押さえられた。


 これは……?

 大人の腕……?

 寺川殿?

 いや、違う。

 もっと年老いた……


「あんたたち、なにやってんの! 喧嘩やめなさい!

 あと、そっちの先生たちも! いい大人が揃いも揃って何やってんの! 何で止めないの!? 先生でしょっ!?」


 保健室のおねえさんじゃ。

 いやはや、この騒ぎがまさか保健室まで届いておろうとは。

 あの部屋はかなり離れたところにあるから、まさかおねえさんがこの場に現われるとは微塵も予想もできなかったわ。


 はっはっは!

 なんでじゃろうな。

 おねえさんはわしらだけじゃなくて、周りでうろたえる先生殿たちも叱っておる。それが非常に心地よい。

 声の張り方といい、これが本来の大人の対応じゃな。


 でも、なんでじゃろうな。

 なんでわしがつかまっておるのじゃろうな。

 いや、予想はできる。

 おねえさんがこの場に来た時、一番大きな声で叫んでたのがわしだった……とか。

 保健室から続く廊下を渡ってここに来たなら、とりあえず目に入るのが廊下で正拳突きの構えをしておるわしだったろうから、とりあえずわしを取り押さえた……みたいな。


 でもさ。

 このままじゃほら、近づいてくる泣きじゃくりわっぱのこぶしが、防御もままならないわしの顔面に襲いかかってくるんだけど。

 もしかしておねえさん、廊下におる先生殿たちの方を見てるから、これ気づいてなくね?


 さてどうするか。


 よし、諦めよう。


 次の瞬間、わしの左のほっぺに綺麗な一撃が入る。

 直前で気づいたおねえさんが手を差し出したため、由香殿の兄上も全速力の勢いそのままにおねえさんの張り手をカウンター気味に受けた。

 ある意味、ダブルノックダウンじゃ。

 わしは視界がぐにゃぐにゃとゆがみ、数十秒の戦闘不能を強いられた。




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