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陣中の伍


 なぜじゃ……?

 なぜこのようなことになる?

 なぜ寺川殿が謹慎処分など受けなくてはいけないのじゃ……?


「はぁーい。しばらくは私がこのクラスを担当しまーす! 遠山なつみです! “とおやませんせい”って呼んでくださーい!」


 月曜日のおはようの会。

 足軽組メイトが弧を描くその中心で、寺川殿の代わりと言い張るおなごが気持ちの悪い声色で話しておる。

 その挨拶を聞きながら、わしは下を向いてプルプルと震えておった。


「みなさーん! よろしくおねがいしまーす!」


 何様だ、お前は?

 そこは寺川殿の席じゃ。関係ないやつは消えろ。


「じゃーあー。先生はみんなともっともっと仲良くなりたいのでぇ。順番に自己紹介してもらおうかなぁ」


 そんなもんお前が独自に調べろよ。知りたいのはお前だけじゃろ?

 わしらは別に貴様のことなんか知りとうないわ。

 なんでわしらがわざわざ貴様に自己紹介しなくちゃいけないのじゃ!?


「それじゃ、そちらのお友達から挨拶してくださーい。お名前と……あと、好きなこととか。ちゃんと自己紹介できるかなぁ?」

「はーい」


 弧の前列の右端。何も知らない足軽組メイトが、新参者の声を疑うこともなく、元気に手をあげて立ち上がりやがった。

 1人また1人と自己紹介が進められ、それらを聞きながら、わしはこぶしを握る。


 ……おのれ……


 わしは知っておる。

 今朝、トラさんバスを待っておる時に母上たちがこそこそと話しておった。

 寺川殿はしばらくの自宅謹慎だと。

 PTAの役員会が幼稚園側に、そのような処分をとるよう圧力をかけたと。

 そして、幼稚園側がそれに屈したと。


 なぜか?

 PTAといえども、なぜそのような横暴が許されるのか?

 なぜか?

 なぜ寺川殿がそのような目に遭ってしまったのか?


 事の発端は単純。金曜日のあの事件じゃ。

 ひまわり軍のやつらがわしらの拠点に乗り込み、勇殿に怪我をさせた。

 あの事件の後、寺川殿はひまわり軍の1組に乗り込んだ。そこでやつらを統率する先生殿と言い争いになった。

 にもかかわらず、やつらはショート暇タイムに再び姿を現した。

 わしらに「ざまぁみろ」と言って去っていった。


 思えば、我が足軽組の拠点に戻って来た時の寺川殿のあの怒り様。あれが全てを示唆しておったのじゃ。

 寺川殿がひまわり軍の拠点に乗り込んだ時の話し合いが理不尽な結末になったのじゃ。


 もちろん勇殿も勇殿の母上にあの事件を伝えておったのじゃろう。

 それゆえのPTA役員会じゃ。

 でも、おそらく勇殿の母上もそこで苦汁を舐めさせられた。

 今日の朝、わしと勇殿はオチムシャFIVEに関する“大人の会話”をする必要性がなかったから、おなご向けテレビ番組についてあれこれ語る華殿の言を話半分に聞いておった。

 だけど無邪気にしゃべるわしたちの脇で、わしの母上が勇殿の母上と華殿の母上を慰めておったのじゃ。


 でも――

 やつらは勇殿に鼻血を出させて、口の中まで怪我をさせた。

 そういうのに敏感な幼稚園なら、加害者に退園をうながしてもいいぐらいじゃ。

 この幼稚園は藩立だから幼稚園側がそこまで強い態度をとれるわけでは無かろうが、被害者たる勇殿の母上と寺川殿――この2人が怒ってPTAの緊急役員会まで開かせたんじゃ。


 事件発覚当初、加害者側に反省の色がなかったのは明確じゃし、その会でも相手の親子に反省する気が見えなければ、そこでやつらに対して激しい糾弾が行われてもおかしくはない。

 本人たちが幼稚園に居られなくなるほどのな。


 もし今が戦国の世で、勇殿が上の身分だったら、相手は一族揃って切腹もんじゃ。

 それぐらいのことをやつらはしたのじゃ。


 だけどこの結果じゃ。

 代わりに来た遠山殿は言葉を濁しておるが、今朝の母上たちの話では寺川殿は自宅謹慎とのことじゃ。

 寺川殿のあの性格じゃ、PTA役員会でどれだけ大暴れしたのかは容易に想像できる。

 でもじゃ。原因と結末のつながりがそもそもおかしかろうぞ。

 根本的な原因はわしと由香殿のはずじゃ。

 確かにあの時のわしに落ち度がないといえばウソになるが、わしがPTAの役員会でしっかりと説明すれば、こんなことにはならなかったはず。


 なのに……

 わしはその会議に出ることが許されなかった。

 事前に聞いてもおらんかった。


 憎たらしい……。


 この小さな体が憎たらしい……。


 わっぱだからといって、なんでもかんでも蚊帳の外に置かれるこの体が……。


「はぁーい。小谷勇多君、ありがとうございました。じゃあ次は……いしいえ……君……でいいのかな? 石家光成君。自己紹介してくださーい」


「はい! 石家光成です! 好きなホイールはユーロ系の6本スポーク。ナットの数は五穴で、色はブラックポリッシュ! 好きなタイヤのサイズは245/40R20です!」


 やっちまったァ!

 考え事してたら、おかしな自己紹介しちまったァ!


 だって急に出番来るから……いや、別に急でもないけど!

 今座ってる席順にそって、右側からみんな自己紹介してたから、わしの順番いつ来るかわかってたけどォ!


 ……ちょ……誰も理解できていない……みんな、揃いも揃ってぽかんってしてる!

 どうしよ。わし、完全に浮いてる。

 なんだったら成層圏の高さでぷかぷか浮いてる感じじゃ。

 ほんとどうしよ?


「そ、そう。それは……素敵なことね……」


 挙句は、今さっきまで心の中で敵意をむき出しにしていた対象からフォローを入れられる始末。

 わしが切腹したいぐらいの気分じゃ……。


 と思っておったら、例によって奇跡が起きた。

 わしの前に自己紹介したのが勇殿。勇殿はわしの右に座っておったから、自己紹介の順番はわしの1つ前じゃった。

 そんでわしが終わって、次はわしの左側に座る者。

 そうじゃ。華殿じゃ。


「はーい! 宇多華代でーす! 好きなLEDの色温度は暖かみのある3000ケルビン。光束は8畳和室もドンと来いの4000ルーメン越えが大好きです!」


 でたぁ! まさかのLED照明マニア!

 変態じゃ。真の変態がここにおる!

 まじか? まじで好きなのか?


 ……


 ……いや。わしも人のことは言えまい。

 父上や母上から、ゴミを見るような目で見られるあの時のわし。

 いや、父上は意外とわしの嗜好を理解してくれておるっぽいが、それでも他人のことをとやかく言える立場じゃないはず。


 あぁ……なんか凹んできた。

 さっきはみんなの前で恥ずかしい自己紹介したことに凹んだけど、今はわしが変な趣味を持っていることそのものに凹んできた。


 うぬぬ……。


 でも……華殿も似たようなものじゃ。

 いや、今まで華殿がそんな嗜好を持っておるなど聞いたことがない。

 もしかすると今回もわしの暴走について来てくれたのかも知れん。


 あぁ、華殿。

 もしそうなら心の底からありがとう。

 あと、さっき華殿のこと変態とか思ってごめんなさい。


「そ、そう。このクラスは……その……そう。個性的なお友達……個性的で楽しいお友達がいっぱいいるわね!」


 遠山殿。心中察する。

 まぁ、なんだ。わしらの先生はあくまで寺川殿じゃ。その認識だけは譲れん。

 だからおぬしは別にわしらのこと放置しておいてくれて構わんぞ。

 こっちで勝手に幼稚園ライフを楽しむからな。

 放置というか、精神的な隔離じゃな。


 なんだったら、さっきスルーしておいたが、自己紹介の時にプラスドライバーについて熱く語った勇殿と、近所の大型ショッピングモールの曜日ごとの客足について自分なりの分析・評価を発表したジャッカル殿。

 この4人は明らかに異質じゃ。

 腐ったミカンちゃんのごとく、わしらは隔離した方がよい。

 わりと真剣にそう思っておる。


 でも――このやさぐれた感じ。

 これが“アウトロー”というものなのじゃろうか?

 お巡りさんのドキュメンタリー番組でこういう輩が道を外すのを見たことがある。

 “アウトロー”

 以前のわしには“外角低め”という言の葉しか思い浮かばなかったが、この虚脱感と無力感はおそらく“アウトロー”への一歩じゃろう。


 今日は書物調査はなしにしよう。

 寺川殿のことが心配で集中出来たもんじゃない。

 寺川殿――寺川殿は今頃何をしておるのじゃろうか? 部屋で酒におぼれておらんじゃろうか?


 あっ、そうだ!

 寺川殿の家に行ってみよう!


 たしか、前にジャッカル殿と遊んだ時に寺川殿の住む長屋を教えてもらったことがある。

 ジャッカル殿の城の近くだったはずじゃ。

 よし、決まり。


 あとで教員室に行って……母上に電話して……。

 今日のバスはジャッカル殿と同じゾウさんバスに乗せてもらうことにして。


 うん、それがいい! そうしよう!


「……おし」


 わしは決意を新たにし、顔をあげる。

 ふと気づけば足軽組メイトの自己紹介は最後まで終わり、歌のお稽古に移るところじゃった。

 でも、やっぱあれじゃな。このお稽古になると、寺川殿の有能さが顕著に現われるな。

 遠山殿も決して伴奏が下手なわけではない。

 でも演奏がシンプルじゃ。わしらのノリに準じてその都度的確なひねりを入れるわけでもなく、淡々と演奏しておる。

 歌う楽曲もふつーーーの歌が3曲だけ。

 こんなもん、盛り上がるわけがない。


 脇を見れば、箒を取りに行った足軽組メイトも物足りなさそうな顔をしておった。

 わかる。わかるぞ、その気持ち。

 わしも“敦盛”踊るほど自分を壊したくはないが、ある程度騒いでストレス発散したいもん。

 そうしないと1日が始まる気がしないのじゃ。

 いやはや、寺川マジック見事なり。まさかここまで深くわしらの心を侵していたとは……。


 しばらくして、期待はずれな歌のお稽古がちゃっちゃと終わる。わしらはいつものように散開しようとした。

 わしに関しては、今日は書物調査もしたくはないので、暇タイムの時間をまるっとまるごと勇殿たちと遊ぶつもりじゃった。


 だけど……


 遠山殿。意外と曲者じゃ。


「はーい。じゃあ次はねぇ。みんなでゲームをしましょう! 椅子を動かしてまぁるいわっかを作ってくださーい!」


 ちっ、わしらと交流を深めるための儀式か……?

 フルーツバスケットか、椅子取りゲームか。

 いや、どっちもあり得るな。

 さて、どうしたものか……?


 と、しかめっ面をしながら椅子を移動すると、偶然にも我が足軽組の誇る変態四天王が一列に並んでおった。


「うーん。やる気起きないね」


 まず口を開いたのはジャッカル殿。

 そうじゃろうそうじゃろう。

 歌のお稽古が終わったら、まずは自由なことが出来る暇タイムの前半部分。

 何らかの儀式がしたいのであれば、それはあくまで後半じゃ。

 寺川殿がずっとそうしておられた。

 そんでわしらもそのパターンで心の準備をしておる。

 そんなわしらの予定を無視して行う儀式になんの楽しみがあろうか?


 と、ジャッカル殿の言にわしがふむふむとうなづいておると、次に華殿が口を開いた。


「先生の考え……付き合うこっちの身にもなってもらいたいよね。どうせ、このゲームやれば、私たちともっと仲良くなれるとか思ってるんでしょう……? 考えが単純過ぎなんだよね」


 お……おおう。意外とエグいこと言うなぁ……。

 やっぱ華殿の人格は掴みづらいのう。


「まぁ、適当に流そうよ。多分、これ椅子取りゲームだから。怪我しないように。ね?」


 んでもって勇殿。こないだ怪我しただけに、勇殿の言にはずしりと重みがある。


 各々の言にわしが無言で頷いておると、一同が椅子を配置し終えたところで、遠山殿が大きな声で言った。


「はい! じゃあ、椅子取りゲームしまーす! みんなぁ? 椅子取りゲーム、わかるかなぁ?」


 やっぱり。

 だめじゃ。この方は何も分かっておらん。


 椅子取りゲームとフルーツバスケット。

 あれは、実は危険を伴う儀式じゃ。

 先生殿から見れば、わしらわっぱがきゃっきゃ騒いでおるように見えるが、そうではない。


 椅子を奪い合う。

 下剋上にも似た目的を勝利条件とする以上、この儀式はわしらの闘争心を極限まで高めてしまうため、非常に危険なのじゃ。

 椅子を奪い合う過程で指や手首を痛めたり、体のぶつかり合いの結果腰から床に落ちたり。

 もちろんやられた相手が加害者に何も思わないわけがない。

 その場で怒りをぶつけるか、または後に遺恨を残すか。


 あと、かける音楽がいつ止むかわしらはドキドキしながら歩いておるので、その曲がトラウマになったりもする。

 たまにテレビのコマーシャルで同じ曲がかかるとドキドキするもん。

 そういうトラウマを植え付けるのもいけないと思う。

 わしはつくづくそう思う。


 しかし、そんなわしの懸念が遠山殿に届くはずもない。


「はーい。みなさんは24人いるから、最初は椅子を20個にしまーす。4つだけ輪っかから外してくださーい!」


 遠山殿の指示に従い、指差された足軽組メイトが椅子を壁際に片づける。


「それじゃ行きまーす」


 そう言って、遠山殿はキーボードの方に向かって歩き出した。


 ――って、お前はやらんのかい!


 いや、そうだった。この幼稚園、基本的に各足軽組にCDラジカセの類が配備されていなかった。

 なので、演奏をするのは基本的に先生殿じゃ。

 遠山殿が再びキーボードの椅子に座り、これでミュージックスタートじゃ。


 その後、わしらは遠山殿の奏でる音楽に合わせて椅子の内側を回る。

 本来は椅子を外側に向けて、そのさらに外を回るのがノーマルルールかもしれないが、この幼稚園では人数が多い段階ではこういう配置で回ることになっておる。

 そのうち、椅子の数が減ったところでノーマルルールに移行。みたいな感じじゃ。

 ……ルールに関してはどうでもよいな。


 音楽がとまるたびにわしらが醜い争いを繰り返し、最初は24あった椅子も徐々に数を減らして今は7つ。それを争うわっぱも10人に絞られた。

 もちろんわしらは怪我を恐れ、早い段階でレースから外れておったが……


 しかしあれじゃな。こう、一歩引いて外からこれを見学してみると――

 椅子を必死に取り合うわっぱ。それを笑いながら見ておる大人。

 嫌な光景じゃな。

 まるでわしらが先生の手の上で転がされる操り人形のように。

 “ご主人様のくれる餌を奪い合うわんわんたち”みたいな感じじゃ。

 いや、寺川殿は支配力が強いゆえ、あの方に関してはそれでいいけど。


 うーむ。

 遠山殿。

 わしらとお近づきになりたいのか、その心の深きところに強力な支配欲が隠れておるのか……?


 などと、わしが腕を組んで考えておると、ジャッカル殿とよくつるんでおるわっぱが頂点を極め、2回目の儀式が開始された。


 結局、その日の生き残りレースは計6回。

 過酷な争いの結果、指の擦り傷3名。軽度の突き指2名。椅子で足のすねを打った者5名。転倒で膝を擦りむいた者2名。

 激しい戦いにより、徐々にわっぱたちの目つきが鋭いものへと変化する。

 全てが終わる頃には、一人前の戦士と呼ぶにふさわしいレベルの猛者が数名誕生しておった。




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