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陣中の参


「いい? 11時になったら運動場に集合だからね! それじゃ解散!」


 狂気の宴が終わり、寺川殿が一同に散開を下知する。その声を聞きながら、わしは骸のような体で窓際に向かった。


 ちなみに今日は暇(いとま)タイムの後半に大縄跳びをやることになっておる。

 わし自身、“おはようの会”の時は寺川殿の話をまともに聞けるような精神状態ではなかったので、さらーっと聞き流していたけど、寺川殿の念押しで思い出しよったわ。

 でも――ということは、今日の暇タイムはおよそ半刻ぐらいになっちゃうな。


「うーむ……」


 書物の調査に当てる時間が短くなるのはあまり望ましいことではない。

 だけどこの幼稚園では大縄跳びやかけっこ、そして庭探索。あと夏のプールや冬に行われる西洋の宗教指導者生誕祭といったイベントが、ランダムでこの暇タイムの半分に割り当てられるようになっており、そう驚くことでもないのじゃ。

 寺川殿の気が荒れている時は、歌のお稽古時間が暇タイムの前半分にまで食い込んだりするしな。


 もうさ。プライベートで何があったかは知らんが、憂さ晴らしも勤務時間外でやれよ。

 と、寺川殿に何度も忠言したいと思ったが、それ以上彼女を追い込むと反社会的な彼女の本性が出てきてしまいそうなので、わしのような一介の園児は何も言えず、その雰囲気を感じた日はあえて寺川殿から距離を置くようにしておる。

 さっき、いきなり本性が現れたけど……道端のわんわんに噛まれたとでも思っておくとして、ここは気を取り直していこう。


 さてさて、大縄跳びじゃ。

 縄を2本使うダブルダッチの曲芸跳びにあこがれて、去年、試しに回転する縄の中心で両手をついてみた時のことを思い出すな。

 腕立て伏せの状態から体を浮かせて大縄を越えようと思ったのじゃが、あの時は腕力の弱さを忘れておって、ヤバいって思った時には顔面の脇に大縄が高速で接近しとった。

 結局、顔の右半分に縦の大きなミミズ腫れが出来て、父上にたいそう笑われたわ。


 ……


 いや、わしも普通に飛ぶのは出来るぞ!

 縄に合わせて跳ぶだけだし、リズム感もけっこうあるし!

 なんだったら“敦盛”を16ビートで演じるぐらいのリズム感を持っておる!


 でも……あの遊戯の行きつく先がわからん。

 こう、教育の一環としてあの訓練を通してわしらに課せられる使命というか、そういうのが何なのかわからんのじゃ。


 例えばの場合、“縄術”なら分かる。

 自身の身に危険を及ばす敵が目の前に現れた時、その敵を素早く捕縛する技術じゃ。

 これは習っておいて損はなかろう。


 またの場合、木材をきつく縛る方法。

 釣り糸を扱う漁師は多様な縛り方を熟知しておるという。

 わしも前世では砦作りを手伝ったこともあるから知っておるが、あれは何かあった時のために覚えておくべき手法じゃ。

 現代でもアウトドアや引越しの荷造りの時に非常に有効じゃし、“縛っておいた縄が緩んで、自分または誰かが危険にさらされる”という危険性は現代社会でもそこらじゅうに散らばっておる。

 実際に危険な目にあった者も多いはずじゃ。

 かような危険の芽を摘み取っておくために、わしら園児の頃からあらゆるものを縛りまくり、民草全体でその技術を高める。

 そういう世の中にするべきだと思うんじゃ。


 なのに……この大縄跳びというしろもの。教育機関以外で、これを日常的にやっている一般人を見たことがない。

 あと運動の苦手なわっぱがたびたび周囲からとんでもない殺意を向けられることとなるが、これを教育に導入した者はそこまで気が回らんのかったのじゃろうか……?


 うーむ。


 まぁよい。

 短い縄を使った方は各スポーツのトップアスリートも日々の訓練に利用していると聞く。

 幼少期からいろんなことを教え込んで、将来の可能性を広げることは非常に大切じゃし、そもそも大縄跳びは楽しいしのう♪

 今日も跳んで跳んで跳びまくってやろうではないか!


「よし! 今日も張り切っていこう!」


 狂気の宴の疲れが徐々に収まり、わしはウキウキ気分で窓際に向かう。

 先ほど狙いを定めておった“さんびきのこぶた”を手に取ると、わしは本棚の脇にある小さな椅子と机の読書コーナーへと足を運ぶ。

 いつも座っておる椅子に腰掛け――その時、勇殿が背後から残念そうな声で話しかけてきた。


「光君? 今日も絵本読むの……? みんなで“オチムシャFIVE”ごっこしない?」


 なんと素晴らしい提案じゃろう。

 とくに、オチムシャFIVEの中で最も人気のあるオチムシャブルー役の取り合いになるのを、オチムシャレッド派のわしが高みの見物のごとく見守るのもとても楽しいし、チャンバラごっこ自体が有無を言わさず楽しい。

 けど、この時間はしっかり勉学に励もうと決めておるのじゃ。

 さすれば、泣く泣く勇殿の打診を断らねばならんな。

 給食を食べた後、お掃除の時間になるまで与えられたショート暇タイムの方なら参陣出来ようぞ。


「ごめん。絵本読みたいかな。でもお昼ごはん食べてからなら、一緒に遊びたい。そっちじゃダメ?」

「うん、わかった。じゃあ、あとで遊ぼ!」


 もちろん勇殿は非常に優しいのでわしの考えを無下にはしない。

 なので、断りの言はこれでオッケーじゃ。


 唯一、先週あたりじゃったろうか。

 似たような遊びに興じておる時に、テンションの上がった勇殿が用務員殿の部屋からなたを持ってきよったのじゃ。

 しかも勇殿がそれを勢いよく振りまわし始めたため、あやうく血しぶき舞う事件になるところじゃった。

 それを考えると、勇殿たちがオチムシャFIVEごっこで遊んでおる領域にはちょくちょく目を配っておいた方がいいような気もする。

 まぁ、その時はその時じゃな。


 わしの答えに勇殿が笑顔を返し、その後、勇殿はジャッカル殿たちのもとへと戻っていった。

 その後ろ姿を見送り、さて、ここからが待ちに待った書物タイムじゃ。

 わしはハードカバーの表紙をおもむろにめくり……


 ……


 ……


 四半刻(約30分)経った頃、わしは読み終わった“さんびきのこぶた”を見つめながら、険しい顔をしていた。


「……わからん……」


 何故じゃ?

 なぜ、このブタさんたちは1つの家に一緒に住もうとしない……?

 どう考えてもそっちの方が経済的じゃ。

 仲が悪いのか?

 うん、その可能性も否定できまい。

 でも、まさか兄弟がたもとを分かつ話だったとはな。

 毛利家どころか、清州会議思い出しよったわ。


 あぁ、テンション下がる。

 そもそも、オオカミさんが息を吹きかけただけで壊れてしまうもろい家と、家を壊すオオカミさんの圧倒的な呼気の強さは放っておこう。おとぎ話じゃ。

 だけど生活圏内にそのような危険な因子が存在するというに、なぜブタさんは藁の家を作ろうと思ったのじゃろう?

 最悪、藁を丈夫な縄できつく縛りつけておけば……あれ?

 さっきの話と繋がったわ!


 まぁ、いいや。

 さてさて……この話の教訓は……?

 長男は藁の家。次男、三男になるにつれて住宅環境が整うということか?

 いや、どちらかというと世間一般では長男がしっかり者で、次男が攻撃的で、三男が甘えん坊な印象じゃ。

 この話とは逆じゃ。

 さすれば、世間のイメージと現実は違うということを伝えたいのか……?

 うーん……その答えもピンとこないな。

 もっと深いところに何かが隠れていそうな……。


「うーん……難しい……」


 低い声で唸りながら、ふと顔をあげてみれば、窓の外では華殿たちが花壇の花に水をやりながらきゃっきゃきゃっきゃ騒いでおる。

 春の陽気に包まれていい感じの光景じゃ。

 と、外を眺めて思案しておると、背後から殺気に満ちた戦国武将の気配を感じた。


「光成君? 今日は何読んでるの?」


 うっ……ごめん。寺川殿じゃった。


「ん? うん。今日は“さんびきのこぶた”だよ」


 大方朝の件を気にして、わしの様子を見に来たのじゃろう。

 じゃが、寺川殿? 申し訳ないけど、わしはあの程度の体罰で気を病むほど弱い人間ではない。

 いや、泣くけども……精神的な、こう……なんというか、心の強さははっきり言って世界中の5歳児の中で1番強いと思う。

 だってほんとは精神年齢46だし。

 だから余計な心配など、本当にいらんのじゃ。

 ふっふっふ! 寺川殿も早く子供の性格を正確に捉えられるようになられい! それも仕事のうちじゃ。

 わしの本性だけは正確に捉えられたくないけどな。


「ふーん。“さんびきのこぶた”ねぇ……」

「うん。そうだよ」


 わしの肩越しに書物を覗く寺川殿の首元から艶やかな香の匂いを嗅ぎ取り、ついでに(あっ、二日酔いの臭いも混じってる)とか思っておると、寺川殿が質問を重ねてきた。


「面白い?」


 おも……しろさ……?


 うーん。面白いか否かと言われれば……絶対につまんない。

 だっておとぎ話じゃし。あくまでわっぱの読むものじゃし。

 わしはどちらかというと、もう少し高い次元から……こう、教訓として何を伝えたいのかに焦点を当てておる。

 あくまで調査じゃ。現代の教育がどのようなものであるかについての調査。

 でも、調査として得られる情報が非常に有益な時もあるし、そう考えると楽しいっちゃ楽しい。


 と、おそらく寺川殿の質問の意図とはいささかずれたポイントで答えを探していると、寺川殿が再度質問をしてきた。


「うーん。“3びきのこぶた”さん、面白くなかった?」


 だから、今のところ面白いとか面白くないとかの二択を出来る状況ではないのじゃ。

 あぁ、うっとおしい。

 さすれば反撃じゃ。

 今度はわしから質問をしてやろうぞ。


「うーん。テラ先生? 先生って何人兄弟?」

「ん? 3人兄弟だよ。あっ、兄弟というよりは、全員女の子だから姉妹かな。3人姉妹」


 もちろん寺川殿の“女の子”発言については言及しないでおく。これはマナーじゃ。

 でも……


「先生は何番目?」

「2番目。真ん中だよ」


 やっぱり……


「やっぱり……」


 ふぬぉー! やっちまったぁ! ついつい口に出しちゃったぁッ!


「どういう意味だ? あん?」


 次の瞬間、寺川殿の右手がわしの顔面をむんずとつかみ、アイアンクローの状態を保ったまま、わしの頭蓋を持ちあげる。

 椅子に座っていたはずなのにわしの尻がちょっとだけ浮き、首から下がすっぽ抜けそうな感覚におちいった。


「せ……先生……首……抜け……」

「いいから答えろ。どういう意味だ?」

「いえ、あの……先生は……いつも明るくて……太陽の……ぐっ……太陽のようなひ……人だから……もしかしたら……次女なのではないかと……」


 あっ、尻が戻った。ふーう。危ういところだったわ。


 それにしても、最近うわべだけの発言が多くなったような気がするな。

 まぁ、それに騙される大人も大人だけど、わし自身こういう生き方はあまり好きではない。

 でも、危うく2度目の斬首をされそうになったところを逃れられたのじゃ。今回ばかりは仕方なかろう。


「それならそう言いなさいよ。いい? 言葉が足りないと、相手に誤解を生んじゃうちゃうこともあるのよ」


 おぬしは言葉より先に暴力を仕掛ける癖をどうにかせい。

 寺川殿の言葉を受け、彼女のその発言内容を即座に実行してやろうかと思ったが、その先に明るい未来が見えんかったので、わしは喉まで出かかった反論を無理矢理引っ込める。

 ついでに、代わりにふと思いついた計画を実行してみた。


「お姉ちゃんと妹さんは歳いくつ?」


 長女と三女の年齢が確定すれば、寺川殿の歳もある程度の範囲に絞られるのじゃ。


 だけど、寺川殿の心の砦は強固な守りに固められておったわ。


「ん? 2つ上と1つ下だよ」

「ちっ」

「ふっ」


 悔しがるわしと、それをあざ笑う寺川殿。お互いの視線がぶつかり合う虚無の空間に白刃が浮き出る。それらが鋭い動きで衝突し、火薬の爆発に似た火花を散らした。

 しかし、そのやり取りでも力押しされたわしは、視線を下にずらしてしまった。

 あと、空気を変えるために、わしは逸れていた話題を元に戻すことにした。


「ところでさ。この絵本、何が言いたいのかわからないんだけど。テラ先生? 教えてぇー」


 いや、決して逃げたわけではない。わしだってかつては戦場を駆け巡った勇将の一人。世間では知将やら、後方支援専属武将やら言われておるが、柴田の親父殿と戦った時などわしも先懸衆として勇ましく戦ったわ。

 だから決して逃げたわけではない。寺川殿との話を弾ませるためじゃ。

 うん。わしはひきょう者ではないぞ。

 ひきょう者ではないけれど……さてさて、寺川殿の意見はどんな感じじゃろうな?


「ブタさん……? うーん。先週末の合コンで焼肉食べたのよねぇ。とんとろ美味かったわぁ。

 この本の言いたいこと……? 人間、食われる側にはなるなってことじゃない?」


 なんという情けない答えじゃろう。

 一瞬、寺川殿の教員免許が本物なのか、園長先生殿に確認してもらおうかと思ってしまったわ。

 あと、その集団見合いの戦果を聞いてみたいけど、それはやめておこう。


「ふーん」


 寺川先生が使い物にならないとわかったので(邪魔だなぁ……早くどっか行ってくれないかなぁ)と思っていると、ここで背後から大きな泣き声が聞こえてきた。


「えーん……えーん……痛いよう……」

「勇殿!?」


 いつの間にかわしらの部屋にひまわり軍の軍勢が数人押し寄せ、勇殿がやつらに囲まれながら泣いていたのじゃ。



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