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出陣前


 春の木漏れ日が窓を通過し、優しいぬくもりとなってわしのお布団を温める。


「みつくーん、起きなさーい」


 キッチンという、昔の土間のような部屋から母上の声が聞こえ、わしは眠い眼をこすりながら体を起こした。


「早く起き……あ、起きた?」

「母上……おはようございます……」

「また寝ぼけてる。“おかあさん”でしょ?」

「はッ!」

「いいから早く朝ご飯食べなさい」


 この体に生まれ出でて早5年。

 わしは、わっぱに相応な言葉使いになるよう、日々気をつけておる。

 そりゃそうじゃ。

 今のわし、体は5歳の弱々しいわっぱなのじゃ

 なので古き時代の言の葉はおろか、今の世における大人たちの言(げん)すら使えぬ状況じゃ。


 とはいうものの、寝起きの時はどうも気が緩みがちじゃ。

 母上はわしが時代劇に影響されていると勘違いしてくれているので、大きな問題にはなっていないが、以後気をつけておきたい。

 特に、くずどもに見下ろされたあの時の夢を見た朝は、寝ぼける傾向が強い。

 去年隣に眠る父上を本多忠勝と間違えて殺しかけたことは、なおのこと肝に銘じておかなくてはいけないじゃろう。


 ……


 いや、ついついチャンスと思って……。

 だってあの本多忠勝が隣に寝てるんじゃぞ?

 そりゃ、だれでも首を狙うわ。

 でもまぁ、あの時代のわしが忠勝を誅することなんて無理じゃろうし、現世におけるわしの細い腕も、父上を絞め殺すほどの力を持ち合わせてはおらん。

 大事にならなくて幸いじゃった。


 それにしても、忠勝の首――夢のまた夢とは、殿下もよう言うたもんじゃ。



 さてさて、昔の話はもういい。

 母上のおいしいあさげが待っておるのじゃ。


「おいしょ……っと」


 体を起こし、わしはリビングという現代の居間へと向かう。

 敵襲を警戒し、部屋を一通り見渡すと、父上の姿が見当たらないことに気づいた。


「ははう……お母さん。お父さんは?」

「ん? あぁ、お父さんは昨日から大阪に出張よ。言ってなかったっけ?」


 堺遠征か……それまたご苦労なことで。

 昔からあそこには金に汚い商人が跋扈(ばっこ)しておるからのう。父上よ、決して心を許してはならんぞ。

 でもでも、そういえば一昨日の夜に父上が母上にそんな話をしていたっけ。

 昨夜はわし早く寝ちゃったから父上の不在に気づかなかったけど、そういう次第だったとは……。


 ……あれ? ちょっと待て。

 今日は金曜日。

 明日、父上はわしにラジコンカーを買ってくれる約束だったんじゃなかろうか……?


「え? お父さんいつ帰ってくるの? 明日僕にラジコン買ってくれるって約束だったんだけど?」

「あら、そうだったね。大丈夫よ、今日の夜には帰ってくるから」


 それならよろしい。


 キッチンからあさげを運ぶ母上の返答に一安心し、わしは椅子に座る。

 今日のあさげは食パンと目玉焼きと、わしの大好きなヨーグルト。

 この時代、あさげはいつも似たような食事じゃ。

 でも幼稚園で食す給食というものと、母上が作ってくださるゆうげは毎日違うものがでてくるので満足じゃ。

 なので、朝は牛の乳を絞り出して発酵させたこのヨーグルトという珍味さえあれば、わしも文句はない。

 そもそも昔は1日2食が普通だったし、食生活についてはノークレームじゃ。


「あーむ……」


 どれどれといった具合にまずはヨーグルトを一口。

 母上が食パンにマーガリンを塗ってくれているので、その隙を狙った隠密行動じゃ。


 でも……やはり母上は強かったな。


「だーめッ! デザートはご飯食べてからでしょ!」


 くっそ……またバレた……。

 そもそもデザートは食後ってルール、誰が決めたんじゃろうな。

 このルールを決めたやつを市中引き回しにしてやりたいぐらいじゃ。


 いや、でも母上の言いたいことも確かに分かる。

 わしらみたいなわっぱは飯を食い終るのが遅いからな。

 ご褒美をおあずけにすれば、わっぱは飯を早く食べるじゃろう。

 結果、母上も片付けを早くできるのじゃ。


 だけど待ってほしい。

 わしはいつも早く食べ終わるし、なんだったら父上と母上より早く食べ終わる時もある。

 戦国のルールじゃ。

 はよう食わんと、兄弟どもにとられるんじゃ。そういう世界でわしは生きてきたんじゃ。

 母上はなんでそれをわかってくれないのじゃ?


「うーぅ……」


 でも、ここは我慢じゃ。

 体はすっごく若返ったけど、わしの精神はあの時よりさらに5年の月日を重ねとる。

 思慮深くあるべきじゃし、ここで母上に若者のような怒鳴り声で迫っても何も得られん。

 いや、実際に口に出す声は若者よりもっと下の設定で喋らなくてはならんけど、せめて心に描く本当のわしはそうあらねばならんのじゃ。


 前世の没年齢が41。現世における今の歳が5。

 足して46。

 わしの精神は信長様が没せられた時のお歳に迫っておるのじゃ。


 あの頃の信長様はもっと厳格で高貴だったし、言葉の選び方1つとっても、はんぱなく壮厳じゃった。

 あれじゃ。あれを目指すのじゃ。


「母上ッ! 目玉焼きは固焼きを所望するといったであろうッ! 半熟はぐちゃぐちゃで嫌なのじゃ!」


 って、思ったそばからやっちまったぁ。

 言葉使いの設定とか関係なく怒鳴ってしまったぁ。

 頭ん中で信長公のこと思い出してたらつい……。

 あぁ、母上が引きつった顔してる。やっべ、どうしよ。


「でもお母さんのお吸い物はおいしいよ!」


 おっ、機嫌治った。さすれば結果オーライじゃな。

 ふっふっふ。危うかった危うかった。

 初めてこの世界に生まれ出でた時に、パニック極まって「是非に及ばず」って言っちゃったあの時ぐらい危うかったわ。

 あの時は分娩室に母上たちの悲鳴が轟いたからのう。その後、マスコミとやらにとりあげられて面倒じゃったし。

 『織田信長の生まれ変わり』とか言われとったなぁ。石田三成だけど。


 そもそも産声は無理じゃ。泣きたくなかったもん。

 息が苦しかったから一応深呼吸しておいたけど、泣くほど激しい呼吸はしたくなかったもん。


 それにしても不思議じゃ。

 この体、感情に起因するストレスにはわしの心が抵抗できるのに、痛みに対するストレスには5歳児の抵抗しかできん。

 転んだりすると、痛くてすぐ泣いちゃうのじゃ。


 あっ、ストレスという言葉。最近覚えたのじゃ。

 ふっふっふ。

 国営放送の『泣く現代人』ってドキュメンタリー見てたら覚えたわ。

 あの番組、来週も見てみようかの。

 わしの体の秘密に迫る何かを得られるかも知れん。


 それはそうと……


「ごちそうさまでした。お母さん? 僕、着替えてくるね」


 母上にそう告げ、わしは幼稚園に出陣する時の装束に着替えるべく、別室に向かう。

 クローゼットという押し入れを勢いよく開き、着ていた寝まきをこれまた勢いよく脱ぐ。

 んで蒼い衣服を頭から通し、次に袴をタイトにしたような形状の布じゃ。これを脚から履くのじゃ。

 そんでもって、ひざ下まで伸びる足袋のような布を足先から通す。


 それにしてもこの靴下というやつ、ふくらはぎを締め付けて、血のめぐりが悪くなるという悪質な足袋じゃ。

 わっぱの体に色々と悪い影響がありそうじゃが、なんでこんなものを履かなくてはいけないのじゃろうな。

 しかもこの足袋の装着を国家規模で推奨しておる。

 この国の大老級はわっぱを苦しめて何が楽しかろう?


「おかーさーん……靴下履かせてぇ」


 ところで、ここで一つ、わしは毎朝ちょっとした演技を挟むことにしておる。

 “ハイソックス”なるこの長い足袋。これを難なく履きこなせる5歳児は珍しいとのこと。

 なので、わしはキッチンで器を洗っていた母上のもとに行き、この長い足袋を履かせてもらうよう、頭を下げて頼むことにしておるのじゃ。


「はいはい。あなたも早く1人で着替えできるようにならなくちゃね」


 などど文句を言いつつも、母上はご機嫌な様子でワシの足に足袋を通す。

 無事に“靴下”なるものを装備した後、わしは再び別室に戻り、『いしいえみつなり』と記された名札を左胸のあたりに付けた。


 ふっふっふ。

『いしいえみつなり』

 現世のわしの名じゃ。


 ちなみにわしは現代の漢字はほぼ読める。

 平仮名と片仮名は字体が変わり過ぎてて最初はよう読めんかったけど、それでも5年もこの時代にいればだいぶ理解できるようになった。

 あとは英語というやつの習得が必要らしい。

 でも日常的に使われる英単語は片仮名表記ならなんとなくわかるし、中学校に参陣する年齢になれば、英語の文法とやらを教わることができるとの話じゃ。今慌てる話ではない。


 あともう1つ。

『いしいえみつなり』は漢字で書くと『石家光成』。

 なにもかもが惜しいし、名字に嫌いなやつの名前が1文字入っておるのが気にくわん。

 だけど、わしのようなわっぱにはどうにもならん。

 母上が『光君』と呼ぶので、それがミドルネームのようなものだと思っておる。


 さて、名札もしっかり付けたし、これで名乗りも十分。

 最後に黄色の帽子を深くかぶって――


 ……


 この帽子が気に入らん!


 なんで黄色じゃ? 目がチカチカするじゃろ!?

 もちろんこの件についても母上に陳情を申し上げておる!

 わしは赤がいいと! “切腹戦隊オチムシャFIVE”のオチムシャレッドのように、鮮やかな返り血を連想させる赤がいいと!


 でもダメじゃった。

 なんで黄色かと聞いたら、母上は「目立つから」と答えられた。


 目立つ?

 だったら、わしだけ赤にしたらみんなといる時すごい目立つのではなかろうか?

 と交渉したら「赤はあんまり目立たないから、危ない。だからだめ」と言われた。

 母上の言っていることがわからん。


 でも、わしはそう簡単には諦めなかったのじゃ。

 目立たないと危ないんだったら、兜にすればいいのではないだろうか? とな。

 あれなら街中で目立つじゃろうし、耐久性も抜群じゃ。

 最悪そこまでしなくても、野球のヘルメットでも一定の効果がありそうだし、自転車に乗る若人がかぼちゃを真上から斬ったようなヘルメットをしておるのを見たことがある。

 それでもよかろう。

 わしの希望が叶うなら野球のキャッチャーがつけているマスクとヘルメットじゃ。

 って、食いついてみたのじゃ。


 けど、それもダメじゃった。

 そもそも幼稚園では装束を統一する習わしとのことじゃ。


 あぁ、入園当初のいざこざ思い出したらテンション下がってきた。


 ちなみにあの時、納得できないわしは近所のおもちゃ屋さんに行って五月人形の兜を試着した。

 あのね、重かった。首痛めたわ。


 ……


 まぁよい。今日の給食はみそラーメンじゃ。テンション上げるしかあるまい。

 というわけで、わしは大きく叫ぶ。


 いざ出陣!


 とその前に、大事なことを忘れておったわ。

 朝の歯磨きじゃ。

 わしは再びキッチンに向かい、器洗いの終わったところを見計らって、母上に歯磨きを打診する。

 母上の膝に頭を乗せるのもなんだか楽しいし、最後にくちゅくちゅぺーをした時の爽快感も素晴らしい。

 なんだったら一日中歯磨きを繰り返してもいいぐらいじゃが、以前それをやったら口の中がぼろぼろになりおった。

 なので、毎日朝晩に3分ずつ。これは殿下の検地並みに厳しい分国法じゃ。


「はい。歯磨き終わりね。光君、うがいしてきなさい」

「はーい」


 さて、歯磨きを終え、これにて準備万端。今度こそ出陣じゃあッ!


「行ってきまーす!」


 その後、テンションをあげたわしは母上が玄関で出陣の儀を済ませるのを待って、一軒家城をあとにする。

 この時代、わしの家はどうやら“一軒家”という名がついておるらしいので、わしは“一軒家城”と呼んでおる。

 出陣の儀は――これはわしもよくわからないが、わしらの不在中に悪霊が侵入しないよう、玄関の扉の取っ手の部分に魔よけのまじないをする儀式とのことじゃ。


 扉に付けられた小さなテレビの部分を人差し指で触ると、「ぴっぴっぴ」と音が鳴ってまじないが発動するらしい。

 以前わしもやってみたいと懇願したがダメと言われた。

 後日、こっそりやってみたら扉の鍵が勝手にかかって城に入れんようになったばかりか、テレビで見るおまわりさんのような格好をした屈強な丈夫が2人ほど城に押し掛けてきよったのじゃ。

 母上はあれがなんなのか教えてくれないし、丈夫たちが帰った後母上にすっごい怒られたから、わしもそれ以上は聞こうとは思わん。

 いずれ元服する頃には教えてくれるろうて。


 んで、そんな昔の失敗談はいいとして……。


 家を出たら、わしは近所の集合場所に向かう。

 そこでは幼稚園で同じ足軽組に入っておる勇(ゆう)殿と華(はな)殿、そして彼らの母上たちと落ち合う手筈になっておるのじゃ。


「おっはよー! みーつくーん!」


 華殿も勇殿も朝から元気いっぱいじゃ。

 その後、迎えが来るまではわしら3人で各城の近況を話し、母上たちは乱破(らっぱ)の情報交換のようなえぐい話し合いを始める。

 10分ほどそのような時を過ごすと、幼稚園の迎えのバスが来て、いよいよ幼稚園に出発する頃合いじゃ。


 来たれ、虎さんのバス!


 と、わしはここでもテンションアゲアゲになってしまうが、例のバスはいたって穏やかに近寄ってきよる。

 この形でももう少し機動性に富んだ動きを出来そうじゃが、バスの中にはわっぱたちがてんこ盛りなので、こういう運転をせざるを得ないらしい。


 ちなみにわしのようなものが現代の車を見ると、“鉄の馬”と表現すると思っておろうがそんなことはない。

 わしは信長様の鉄の船を見ておったし、初めて車を見た時も(あぁ、手押し車が勝手に動くようになったんじゃな)程度の認識じゃった。


 欲を言うなら、未だに人の力でハンドルとシフトノブを動かさなくてはいけないとこをどうにかしてほしい。

 全自動でもいけるじゃろ?


 と思っておったら、父上からアクセルとブレーキ、あとウィンカーの存在を教えられ、わしは驚愕の極みに達した。

 全てを同時に操るなど、弓と槍と火縄銃を1人で同時に扱うレベルじゃ。

 現代人、恐るべしじゃな。


 とはいっても、わしは乗り物が大好きじゃ。

 特にタイヤとホイールのあたり。くるくる回るあの様子が、謙信公の車掛りの陣を思い起こさせる。

 3インチアップのホイールに、方向性のあるぺらっぺらのレース用タイヤを履かせるのが非常に趣深い。

 あと、わしは基本的に前世では馬に乗っていたから、現世でも車酔いをしたことはない。なので、インチアップで乗り心地が悪くなっても気にはせん。


「うーむ……さて……メッシュがいいか、スポークがいいか……はたまたワイルドなディッシュであるべきか……」


 勇殿と華殿がバスに颯爽と乗り込み、でもこの時のわしはちょっとテンションが上がっていたので、このバスに似合うホイールはどんなのがいいかとしみじみ眺めながら考え込む。

 すると、わしの不在に気づいた先生殿の声が、バスの中から聞こえてきた。


「ほら、光成君。行くよ!」

「はぁーい!」


 そんな感じでわしの1日は始まるのじゃ。



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