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第30話 先輩、心配をする

頬に水が弾ける不快感で晃は目を覚ます。


『ここは……起きたか、ムスメ。ほれこっちじゃ』


頭に直接響く声。言葉に応じて暗闇を歩いた先には……


「うわ!」

『ゴア』


目の前にドラゴンの顔。生臭い吐息を顔いっぱいに受け、晃はまだ窮地を脱していない事に気づく。


『大丈夫じゃ、取って食いはせんよう躾てある。ムスメにはここで飯の番をして欲しい』

「食事番を私に?」


無理だ、とは言えない。

食事はいつも妻に任せてきた。その妻も晃の稼いだお金で人に頼んだ。

自分で作るよりは栄養管理がしっかりしているという理由で。

家に帰らなくなった理由の一つには、妻のおねだりを煩わしく思うことがままあった。何かを頼むごとに見返りを求める妻に飽きていたのだ。


しかし実家の太さは晃にとってとても手放せるものではない。

相手がお嬢様だと知って籍を入れた。

そのための苦労は多少我慢する。それが世間体を気にする双方の家族にとって一致した条件だった。


何もせず、命令ばかりしていた晃の最初の仕事は得意分野の錬金術ではなく、なんの知識もない料理からだった。

もしここで錬金術を求められたとしても専用機材がなければ同じこと。

相手はドラゴンを使役する上位存在。

いつ自分の命が餌に置き換えられるかビクビクしながら晃はテレビで見たことのある調理法、肉をミンチにして焼くハンバーグを仕上げた。


料理など一度もしたことのない、素人の真似事。

力加減などもわからないので素材はあちこちに飛び散った。

料理の心得があるものが見たら不快に思うだろう。

しかし失敗したら死。そんな状況下で料理なんてできるわけもないのだが、最後までやり切った晃を褒めるところだろう。


『ほう、これはなかなか食べたことのない味わいじゃ。気に入ったぞムスメ。名を覚えてやろう』

「アキラ、と言います」

『アキラか。ではアキラ、お主は今日から我の従者じゃ』

「え、え!?」


べろりとドラゴンに体全体に唾液を浴びせられる。

口に含まれた瞬間は生きた心地がしなかった。

だが、不思議とドラゴンを目の前にしてるのに威圧感を感じなかった。


『我はコア。ダンジョンを棲家とするドラゴン族の長じゃ。まだひよっこじゃがな』

『コア様……』

『様はつけんでいい……やはり我の思った通り、アキラには素質があったようじゃな』

『素質? 痛ッ』


額に焼け付くような熱が広がり、右耳の上こめかみあたりに違和感があった。

その部分をなぞるようにコアの指先が触れる。


『龍の紋章じゃ。我の眷属の証。人とドラゴンのハーフ。今は角だけじゃが、やがて羽も尻尾も生えそろう。我と共に歩むための現象じゃ。受け入れよ』


コアの顔が近くにある。吸い込まれそうな瞳に鼓動が高まる。

そして肩口に抉られるような痛みが走った。

そこにあるのは歯型。コアの口の形に抉られた生々しい傷跡が残される。


人間だったら瀕死になる程の致命傷。それくらいのダメージを負っている……だと言うのに晃の肉体は復元を始めた。

いよいよ持って人ではなくなったのだ。


『お主の血は美味じゃな、アキラ。たまに吸わせよ』


射殺すような視線に抗えず、アキラは黙って頷いた。

本当なら身を縮こませて震えるしかない出来事だが、吸血がご褒美であるかのような感覚に囚われる。


『仰せのままに、コア様』

『では仲間を紹介しよう。バル、アキラに翼が生え揃うまでお前が足となれ』

『うん!』


先ほどまでは唸り声にしか聞こえなかったが、今は幼い子供の声に変換された。愛すべき家族のようにアキラも受け入れた。さっきまであんなに恐ろしかったのに、不思議と今では頼もしく感じた。

人間の時では味わえなかった万能感。それが今現在のアキラを取り囲む。


『肉体が備わったらアキラには子を産んでもらう』


ん? 一瞬なんのことか分からずに話を聞き流した。

コアはどこからどう見ても女の子だ。アキラと子作りするのは無理だろう。

一度子作りを体験してるアキラにとってそっちの知識はある。

だから何かの冗談だと思いたかった。


もしかしたらドラゴンは全く別の子作り手段があるのか?

そう思った時、全く別の悪い予感がアキラを襲う。


『我との子じゃ。きっと強い子ができるぞ? その時を楽しみにしてるが良い』


コアは女性のような細い肉付きであるが、その腰からぶら下げたものはあまりにも大きくそそり立っている。ドラゴンの上位種はその個体の希少さから生まれながらに二つの性別を併せ持つ。いわゆる両性具有が多い。

しかし人から半龍になったアキラには女性的なシルエットしかなく、一つの性別しか備わっていなかった。


ダンジョン内で目撃されるドラゴンタイプは比較的オスとメスに分かれているが、コアは両方を兼ね揃えていた。

アキラは人であることを捨てると同時に、女の生をこれでもかと運命づけられる。


ドラゴンの世界には法も規律もない。

強い種を宿すのは誉、と言う最も原始的なルールのみ。


まだ成熟してないから手をつけられる事はない。

角が生え、翼が生え、尻尾が生えるまで安全は保証されてる。

だがそれが終われば絶対絶命。

アキラの受難はまだまだ始まったばかりだった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


探索中、コメント欄にニュース速報が流れた。

暇な人もいるもんだ、とその時は思ったがあまりにも僕たちの探索そっちのけでその話題が広まるのを見咎め、戦闘終了後にその話題に食いついた。


それが近隣のCランクダンジョンでドラゴンに出くわしたと言う速報だった。

ドラゴン自体はそう珍しいものじゃないが、Cランクダンジョンに出現したという報は見過ごせない。


そのダンジョンは渋谷のFランクダンジョンと目と鼻の先くらいの近場にあるからだ。


「ちょっと、僕たちの探索内容以外の話題は他所でやって」

「リコさん、これは仕方ないと思うよ」

「秋生はリスナーを優遇し過ぎだよ。ムッとしたらいつでも怒っていいんだぞ?」

「でも僕たちに関係あるからこうやって教えてくれてるんだろうし」


<コメント>

:ぷっくりリコちゃんかわゆ

:アキ君の言う通りやで、これは日本の探索者共通の話題

:明日からのおまんまの食い上げだ

:どうしてSランクがいない時にこんな異常事態に!

:誰かキング呼んで!

:ガイウスさーん、仕事ですよー!

:あいつらは海外勢だよ

:日本政府は海外勢に応援呼ぶのか?

:分からんが雇ったとしても日本の雇用制度用いてきそう

:それ絶対引き受けてくれないやつ!

:大企業クラスの税金持ってかれるからな。8割だっけ?

:1億稼ぐと大体そんくらいだな

:おかげで一般人の税金が安く済んでるから

:それでみんな海外に渡ったら意味ないんですわ

:肝心の自衛隊は国内のことには無関心だろ?

:探索者制度ができてから国外向きになっちまったな

:ダンジョン内は探索者にお任せってか?

:もっと待遇厚くしてくれないと、誰も上を目指さんぜ?

:国防の一つ任せてんのに個人事業主なのは草も生えん


コメント欄は政府に対する不満で溢れかえっている。

駆け出しの頃はさも夢のある仕事のように思わせて、ランクが上がるたびに制約が設けられる事で日本政府はあまりにも有名だ。


一度の探索で億を稼ぐSランクからしたら待遇が悪いから海外に拠点を移すのは仕方のないことだった。


<コメント>

:先輩が呼びかけしてくれないかな?

:先輩って?

:探索者で先輩知らないのはモグリ

:別にリスナーの全てが探索者じゃないだろ

:登録者一億人の世界的配信者でSランクとも繋がりがある

:誰か先輩に掛け合って!

:無理言うな、前回のコラボ配信が炎上して絶賛活動休止中だぞ

:そうじゃん!

:なんてタイミングの悪い!

:燃やしたのは俺らだけどな

:ドラゴンが日本に出るなんて知らなかったし

:散々燃やしておいて、ピンチだから頼るのはクズのやる事だよ

:それ


本当だよね。無論、こちらから動くつもりはない。

秋生との探索が打ち切りになるのは寂しいが、日本のダンジョンのことは日本の政府、ひいては探索者が解決することだ。

政府が海外に掛け合う前にこちらで呼びかけるのはあまりにも愚策なのだ。

だってそれしちゃうと次から次に頼ってくるのが目に見える。


どうせドラゴン素材はこっちに回せと終わった後の利益しか考えない発言するのは目に見えてるからね。


「どちらにせよ、今は上位探索者に任せようか。僕たちもここで活動できないと困るし」

「それしかないんでしょうか?」


<コメント>

:Fランクが首突っ込む話じゃないもんな

:ドラゴンの防御力は個体によってはSランクでも切り裂けるかどうか

:アメリアちゃんならワンチャン

:アメーバブレード市場に流してくれー!

:あの取扱注意武器を市場に? 殺人幇助か?

:あれはあの三人だから扱えてるだけ

:威力高くても必要ステータス満たせてないやつには過ぎた代物だよ

:ガンドルフの武具はイマイチだしな

:あんまり言うなよ、英国のトップと比べるのがおかしいんだ

:日本のトップ探索者と米国のトップ探索者比べるようなもんだろ?

:草

:日本に残ってる探索者Cランクしかいないんよ

:海外のSランクと比べちゃダメでしょ

:ドリィちゃんCランク呼ばわりされてて可哀想


気がつけばどこのチャンネルでも一定数の接続があるようだ。

今日だけで登録者数は一気に3倍、90人となる。


得別に何かがバズったわけではない。

ちょっと採掘の確率理論で白熱したくらいだ。

頭おかしい呼ばわりされるのはいまだに納得いかないんだけどね。


「リコ様、秋生様よくご無事で。近隣ダンジョンのニュースはお聞きになられましたか?」


組合に戻るとドタバタと忙しそうに組合員達が電話対応に追われていた。僕たちに気がついた担当のお姉さんは無事を喜んでくれた。


「うん、リスナーが教えてくれた。ドラゴンが出たんだって?」

「ええ、原宿なんて地理的にそこまで離れてませんし、地下の深いところで繋がっていたらと思うとゾッとしません。なのでこのダンジョンの最下層も立ち入り禁止にしようと本部から連絡が来てまして、対応に追われていました」

「納品は受け付けてますか?」

「そちらは大丈夫ですよ、魔道具に通すだけですから。少しお時間をいただくけど大丈夫?」

「はい、早くドラゴンがいなくなってくれたらいいですね」

「そればかりはドラゴンの気持ち次第ね」


探索者に無理はさせられない、とその瞳は物語っている。

納品査定まで配信に写す事はしない。

流石にそれはプライベートだ。別にFランクの稼ぎを知ったところで嫉妬する人はいないと思うが、念の為切っておく。


館内アナウンスを聞き、稼ぎを半分こする。

採掘の分、稼ぎが増えた。

今日は焼肉だ! と秋生は喜んだ。一人でお店には行けないので、スーパーでお肉を買い付けるようだ。中学生なのにもう自炊してるなんて偉いなぁ。

自分が中学生の頃何をしてたか思い出してますます感心する。

しっかりしたいい子だ、死なせたくないと言う気持ちが強まる。


秋生と別れてハワイにある拠点へと舞い戻る。

転送陣の前では待ってましたと後輩が出迎えてくれた。


さっきまで配信を監視してたのだとしても、まるで僕の行動が見えてるかのようなタイミングの良さである。

まさか服にGPSとかつけられてないよね?

疑えばキリがないくらいに後輩は真っ黒なので気にしないことにした。


「ただいま」

「おかえりなさい、先輩。晩御飯できてますよ。それとも先にお風呂にします?」

「じゃ、お風呂を先にもらおうかな?」

「はーい。パジャマ用意しときますね。下着は自分でご用意してくださいねー」

「ん」


出迎えのやり取りで、ドラゴン出現の話題はびっくりするくらいない。

入浴後にピンク色のサメの着ぐるみパジャマに袖を通すとそのまま夜食をいただいた。

僕と同様に、後輩も日本政府が動くまで首を突っ込む事はないと言うスタンスか。僕から話題に出すのも気が引けるので気が楽だった。


「普通のパジャマもご用意したのに、そっちを着たんですね?」

「なんだかんだ肌触り気に入ってるんだよ、これ」


事実である。自由意志を通したが、失って初めてわかる不便さを体感した。

後輩の趣味はともかく、裁縫の技術は目を見張るものがある。


夕食はカレー。ハワイにいるのにカレーなのかと思うだろうが、海外の大雑把な味付けって数日で飽きるんだよ。


何につけても日本人の舌は贅沢すぎる。日本という特殊な環境で育つと、海外の食事は肌に合わない場合がほとんどだ。それくらいレパートリーの多さは随一。


別にハワイの食事がまずいとは言ってないよ?

けど日本人である限り、定期的に味噌や醤油が恋しくなるのも事実だった。

トールも日本食をしょっちゅうデリバリーしてるのを見るに、海外で暮らしてても日本食だけは諦めきれてないんだよね。


ここにトンカツを加えてソースをたっぷりかけるのが僕のスタイル。

パジャマに跳ねるからと紙ナプキンをつけての食事だ。

それを見守る後輩の視線は非常に生暖かい。


「そういえば先輩」

「なぁに?」

「日本で先輩のグッズを販売する企業屋号が決まらなくてですね」

「屋号かー。僕のバンドエイド以外ではどんなのを作るつもり?」

「とりあえずカタログ作りました」

「早いね。どれどれ……」


差し出されたチラシに目を通すと、一番最初に目を引いたのは真っ黒な猫耳だ。人間の耳を覆うように被るヘッドセット式のカチューシャで、性能は気配察知とそれなりに豪華。

続いてメイド服。どう見ても僕のサイズだ。これは見なかったことにした。

続いて猫しっぽ。尻尾の先端には鈴がついており、思考に応じて揺れる工夫がなされている。特に効果はないが、かわいいというのが前面に出されている。

バンドエイドは傷口に当てる場所が猫の形にカットされており、女子が好みそうな嗜好。

そしてメーカーロゴには猫耳をつけた僕とアメリアさんをデフォルメした顔が横に二つ並んだものがあった。


「これ、僕?」

「と、アメリアさんです。かわいいでしょ?」

「いや、まぁいいけど先方には許可取ったの?」

「先方からコラボグッズが欲しいと打診を受けまして。ならこれをきっかけにグッズ展開していこうとお話ししたら快諾された次第です」

「本人が許可取ったんならいいけど……これアメリアさんも着るの?」


猫耳尻尾付きメイド服を指差す。


「すでに着た姿のお写真をいただいてます。次は先輩と一緒に映るんだと予定を調整して来日されますよ。会社のプレオープンには間に合うとのことです」

「ふーん。プレオープンっていつ?」

「来週ですね」

「なるほど。ちなみにグッズ展開はこれだけ?」

「Fランク向けですからね。Fランクの稼ぎで手が届く範囲内ですとここら辺が手一杯でしょう。そしてこちらがEランク向けです!」


Fに比べてEは装備が充実していた。


「装備はどことコラボしたの?」

「なんとコーディさんとローディック師です」

「よく許可降りたね?」

「先輩に感謝されてましたよ。ぜひ協力させてくれって。一通りの武器防具のオーダーメイドを引き受けてくれました。かわいい先輩の顔つき防具です。武器の方にはアメリアさんの顔がついてます。これは徹底させました」

「なんで猫耳なのさ?」

「え、猫耳は先輩のアイデンティティでは?」


常識でしょって顔をされた。いつの間にか僕のアイデンティティが猫耳にされてた件。解せぬ。

まぁ彼女にあれこれ言ったところで改めてくれるわけもない。

それに自社製品にメーカロゴをつけるのなんてどこもやってることだ。

咎める事はできないか……


「良いんじゃない? あとはお値段だね」

「なるべく30万前後で買えるようにしました」

「コーディさんの装備が30万で? ずいぶん頑張ったね」


一本数億クラスじゃないっけ、あの人のは。


「あくまで使用権利ですからね。犯罪に与したら権利は剥奪されます」

「ん?」

「武器そのものはコーディさんの工房預かりで、転送のブレスレットの許諾に応じて手元に現れる仕掛けです。犯罪に扱われたらペナルティがついて呼んでも応答しなくなります」

「それはレンタル的な?」

「リース的なやつです。一度での支払いではなく月々の分割払いでいつでも新品同様な武器を扱えるのは維持費込みでも格安では? 腕輪の種類で持ち出し可能武器が異なるので、リースの幅も広がりますし、何より荷物になりません! 画期的じゃないですか!?」

「……ぬか喜びさせちゃわないかな?」

「相手の名前を出せば黙りますよ」

「逆に心労が募りそう。で、性能はどのレベルなの?」

「鉄とミスリルの合成金属ですね。程よい硬さと魔法媒体によって鉄とは思えない切れ味の良さを維持しております。攻撃力80ですね」

「わお」


Eランクには勿体無い性能だ。そのままBまで使い倒せそう。

100越えを望まれるのはいつだってA以上だ。

Sになればそれ以上。強ければ強いほどもてはやされる傾向にある。


「その攻撃力となるとローディック師の差金か。あの人僕のレシピ集持ってるって言ったもんね」

「大喜びで黄金比を世に発表してましたよ。一部金属の権利を獲得したみたいです。当然先輩の名前を大々的に宣伝した上で」

「まーた注目浴びるのか」

「先輩はあくまで資金提供者で、実行犯はローディック師ですから」

「それでもなぜか僕が文句言われるんだよ。お前が見つけたレシピだろ責任取れって」

「きっと先輩が文句言いやすそうな顔してるからですね。大丈夫です、配信中その手の暴言は全部カットしますから」


たまに貫通してくるのあるけど、まじで頼むよ?

その日はゆっくり休んで日本政府の動きを見守る。

秋生とはSNSで連絡して数日活動停止のやり取りをした。


それから7日後。

Sランク探索者アメリアが来日するニュースが日本中に流れる。

日本政府は大々的に歓迎するが、別にドラゴンなど知ったこっちゃないアメリアさんは歓迎ムードを全スルーして目的の場所に進んだ。


「ようこそアメリアさん。お待ちしてたよ」

「やっほー、きたよ先輩!」


大勢の報道関係者に取り囲まれながら、僕の出資した会社『にゃんにゃんプラント』のプレオープンは粛々と執り行われた。

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