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第10話 ありのままの君が好き

 あれから楓は家を出て、一人暮らしを始めた。


 実家や学校からほど近く、家賃もお手頃で、一人暮らしをするには充分な六畳一間のアパート。

 築年数は古く少しレトロな雰囲気も、楓は気に入っていた。


 当面の生活費は亜澄が出してくれるみたいだが、ずっと頼るわけにはいかない。

 少しでも足しになればと、楓はアルバイトすることにした。


 アパートの近所に小さな本屋があった。

 こじんまりとした店だが、書物の品ぞろえが楓の好みと一致しており、お気に入りの店だった。

 店内も古風な造りで、そんなに混み合うこともなく静かな環境で読書に集中できる。

 自然と楓の足が店に向かうことが多くなっていた。


 店主はこの店を一人で切り盛りしており、随分年を取っているようだった。重そうな荷物を運ぶのに苦労している姿を見て、つい声をかけてしまうことが何度かあった。

 時々話をするうち仲良くなった楓に、店主はアルバイトをしないかと提案してきた。

 楓にとってはこの上なく嬉しい申し出だった。

 すぐに返事をすると、店主は時給は安いけど、と申し訳なさそうに微笑んだ。




 数日前、学校から帰った楓がポストを覗くと、亜澄からの手紙を発見した。

 すぐにそれに目を通す。


 手紙には、亜澄や美奈に起きた出来事がつらつらと書かれている。

 そして最後に、楓の体調を気遣う言葉が一言添えられていた。


 文面を読んでいると、クスっと笑いがれてしまった。

 だって、とてもたどたどしいから。


 たぶん美奈に言われて書いたことが想像できた。

 美奈の指示を受け、ブツブツ文句を言いながら文をしたためる亜澄の姿が目に浮かぶ。


 亜澄は父との離婚が無事完了し、今は美奈と二人で暮らしている。


 あれから亜澄も変わった。

 昔とは違う穏やかさが最近少しずつ垣間見れるようになった。


 きっと父と別れたことによる心の平穏と、私と離れて過ごすことによる心の安定を取り戻したからだろう。


 しばらくは距離をあけた方がいい。

 そういう時間が家族にも必要な時がある。


 まだまだ大変なことはあると思うが、どうか美奈と二人で幸せに暮らしていって欲しいと切に願う。


 そして、いつかきっと亜澄と本当の意味で和解できる日がくると信じて……。





 楓自身、はじめての一人暮らしやアルバイトはとても大変だったが、毎日とても充実した日々を送っている。


 こんなにも幸せでいいのだろうかと思うほど幸せだ。

 たまにこの幸せをいつか失ってしまうのでは、と思い不安になるときもある……。

 でも、そんなときは彼に会うと、そんな思いも消えていく。



 私の運命を変えてくれた人……私の命の恩人……そして……。





 通学路を楓は一人歩いていく。


 たぶんもうすぐあの姿を見つけられる。

 そう思うと、自然と足が速まった。


 毎日会っているのに、すぐにまた会いたくなる。

 いつも彼を探してる。


 楓の瞳がその背中を捉える。

 逸る胸を抑え、そっと近づいていく。


 彼の背中をおもいっきり叩いた。


「いてっ!……何すんだよ!」


 怒りながら振り返った要は楓の姿を確認すると、にんまりの微笑んだ。


「ごめん、要」


 楓がこれでもかと可愛くごめんのポーズをする。


「可愛くねえよ、こいつっ」


 要が仕返しとばかりに楓の首に手をまわし、自分に引き寄せた。


「いたたっ、ごめんって」


 二人はしばしの間、攻防を繰り返した。


 その様子はどう見ても恋人同士のじゃれ合いにしか見えなかった。

 しかし、本人たちはまったく気づいていない。



「もう三ヶ月かあ」


 要が懐かしむように空を見上げ、つぶやいた。


 あの海岸で、楓が亜澄に想いを伝えてから三ヶ月が経った。


 楓の人生でとても大切な日であり、革命を起こした日。

 でも、きっと一人では革命は起こせなかった。


 楓は要に視線を送る。

 その視線に気づいた要は応えるように目を細めた。


 心臓の音が大きくなり、楓は要から目を逸らす。


「で、どうなの? 母親は」

「うん……美奈と二人でうまくやってるよ」

「そっか、楓は?」

「私も大丈夫。毎日充実してて、楽しいの」


 こんな風に思えたのも、きっと要がいてくれたから。


 言わなければいけないことがある。

 これからも大切な人と一緒にいたいから、失いたくないから。


 ずっと伝えたかった、伝えられない想い。


「……私、要がいると強くなれるの。要が傍にいると安心する」


 楓は高鳴る鼓動を無視し、なけなしの勇気を振り絞った。


「私っ、要の傍にいたい! ずっと、ずっと!

 これからも……一緒にいてくれる?」


 楓にとっては、これが精一杯の告白。

 崖から飛び降りるような思いで告げた。


 楓は怖くて要の顔が見れなかった。


 真っ赤な顔をして下を向いている楓を見て、要が口を開く。


「……楓」


 呼ばれても、楓は要の方を見ない。


 心臓が爆発しそうで、どんな顔をして要を見ればいいのかわからない楓は地面ばかり見つめていた。


「楓……好きだよ」


 楓がゆっくりと要の方を向く。


「い、今……なんと?」


 楓は間抜けな顔で要を見つめた。


「ぶっ……おっまえ、なんつー顔してんだ」


 ケラケラと笑う要。


「す、す、好きって、聞こえたような」

「うん、言った」

「嘘!」

「なんでだよ! 前にも言ったろ? 俺はおまえが好、き、な、の!」


 要が楓のおでこを人差し指で小突いた。


 確かに、以前要から告白されたような気がする。

 あの時はいっぱいいっぱいで、おぼろげにしか記憶が無い。


「なんで? どこが?」

「うーん、まあ結構前からおまえのこと気になってて。

 知れば知るほどおまえのことが頭から離れなくなって、目で追うようになってた。これって恋だろ?」


 楓はしばらく考えていたがよくわからないようだった。

 頭の上に?マークが飛び交っているのが見える。


「でないとあんなに必死にならない、だろ?

 好きでもない女のこと、四六時中考えてられないっての。

 で、おまえは俺のこと好きか?」


 ずいと要が楓に迫ってくる。


 楓はもじもじしながら、小さな声で答える。


「うん……好き」


 要は嬉しそうに楓を抱きしめた。

 戸惑いオロオロしている楓を要は軽々と抱き上げてしまう。


 こ、これは、お姫様抱っこ!

 楓の顔は真っ赤に染まり、要の腕の中で硬直する。


「ちょっ……おろして」


 腕の中で抜け出そうと蓑虫いもむしのように動く楓を、要は面白そうに見つめている。


 要の顔が楓に迫ってくる。

 鼻がくっつきそうなぐらいの距離で見つめ合うと、楓の心臓は爆発しそうな音を奏でた。


 真っ赤な顔で身動き一つしない楓。

 要はさらに追い打ちするかのように耳元で囁いた。


「楓、笑って」


 突然のリクエストに、楓は戸惑いながらも恥ずかしそうに微笑んだ。


 その笑顔は、とても不器用で儚く綺麗な宝石のようで……。



 この笑顔を見たかった。

 これが本当の君の笑顔だったんだね。


 とうとう手に入れた、僕の宝物。



 要の目には涙が光る。

 大切な宝物を慈しむように楓を抱き、要は静かに宣誓せんせいする。




「これから、どんなときも君の笑顔を守る。

 そして、それを見守る権利が欲しい。


 病める時も健やかなる時も……楓を愛することを誓います


 ありのままの君が好きだよ」



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