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第2話 彼女の心

「よっ!」


 驚いた楓の肩がビクッと動き、ゆっくりと振り返る。


「……藤原くん?」


 楓はいぶかしげな顔をする。

 警戒心が強い野良猫のように、人を拒絶するオーラが見えそうだ。


 要は掌をひらひらと振りながら、ニコニコと楓に近づいていく。

 少しでも警戒心を抱かれないようにという彼なりの計らいだった。


「一人で掃除してんの?」


 近くにあった机の上にひょいと座り、要が尋ねる。


 楓はうつむいてしまい、何も応えない。

 目線も一切合わせようとしてこない。


「……おまえさあ、よく一人で掃除してねえ?」


 その言葉に、楓の眉が少し動いた。


「そんなことない。何か用事?」


 動揺を読まれないように、冷静を装った楓が小さく反応した。

 まだまだ警戒を緩めそうにはなかったが、反応があったのは収穫だ。要は心の中でガッツポーズを決めた。


 楓と要は隣のクラスで、たまに校内ですれ違ったり、要が楓に一方的に話しかけてくる以外に接点はない。


 要は友達も多く、人気者で、いつも楽しそうに生きている……ように楓には見えていた。

 そんな彼がなぜ、正反対の楓に声をかけるのか。


 楓には見当もつかなくて、戸惑うばかりだった。


「嫌なことは嫌って言えよ。いつもみんなの言うこと聞いてるだろ? 疲れない?」


 なんで要がそのことを知っているのだ、と不思議に思いつつ楓が言い返す。


「……関係ない」

「関係なくない、俺はおまえが心配なんだよ」


 楓は驚いて要を見る。

 要の表情は真剣だった、からかっているようには見えない。


 楓は心底不思議だった。

 なぜ私にそんなに構うのか、なんで心配するのか……。

 でも、そんなに嫌な気持ちはしなかった。

 なんだかムズムズする。変な気分だ。


「それは……疲れるけど……嫌だけど」


 楓の言葉が途切れる。何か思案しているようだ。


「みんなの言うこと聞かないと、私、……意味ないし」


 その瞬間、楓の言葉は重みを増し、瞳に影がよぎった。


 彼女の中に見た深い悲しみの根源は、この陰にあるのではないか。

 要はそれを逃さなかった。


「何? どういう意味?」


 要はわからない、だから知りたかった。


 楓は持っていたほうきをぎゅっと強く握って叫ぶ。


「……なんの役にも立たない、何の利用価値もない、そんな私だったら誰も必要としない! 近づいてこないっ!」


 言い終えた楓は軽く肩を上下させている。

 それだけ彼女の中で感情が溢れてきたということだ。


 楓の口から出た言葉に、要は愕然とした。

 そんな風に思っていたことが、ショックだった。


「おまえ、マジで言ってんのか……それ」


 要の声のトーンが落ちる。

 その声音は楓の心をざわつかせた。


「……そう。私はずっとそうやって生きてきた」


 楓はずっと下を向いている。

 お互いどんな表情をしているのかわからなかった。


「なんで……なんで、そんな悲しいこと言うんだよ!

 お前がお前のままで必要としてくれる人がいないなんて、そんなわけないだろ?

 そんなわけっ……」


 要は怒っているのか泣いているのか、そのどちらもかもしれない。怒りや悲しみのこもった複雑な表情を楓に向ける。


 楓は混乱する。

 なぜ要がそんな表情をして、そんなことを言うのか。


 突然、要の両手が楓の手を包み込んだ。


 楓は突然のことに驚き、要の顔を凝視し一歩引く。


「今までおまえのこと必要だって言ってくれる奴がいなかったのか? 大切にしてくれる奴はいなかった?

 そうなら……そうだったなら、自分だけは自分を大切にしてやれよ……っ」


 握られた手に力が込められる。

 要は楓の両手を自分の額に当てた。まるでお祈りしているような恰好だ。


 楓はなぜだかわからないが、だんだん気分が悪くなってきた。


 この空気感、心地よさを全身で拒絶している。

 心が拒否反応を示し、排除しようとしている。


 ダメだ、こんなの慣れてない! 吐きそうだ、耐えられない。


 楓はおもいきり要の手を振りほどいた。


「言ってる意味が分かんない!

 いいの、私は。今のままで、いいの!」


 楓は要から距離を取った。


 要はすぐに距離を詰め、楓に迫ってきた。


「お前は傷つきすぎて心がマヒしてんだ!

 今からでも自分を大切にしろ、でないとお前は一生自分を殺しながら生きていくんだぞ! ……それでいいのか?」


 要は必死に楓を引き留めようとする。

 しかし楓の心が悲鳴を上げ、警鐘を鳴らしていた。


 これ以上、心を荒らすな、踏み込むな……と。


「やめて! やめて! あなたに何がわかるの!」


 楓は要を突き飛ばし、教室から走り去っていく。





 一人教室に残された要はぐったりと下を向き、「ああーっ」とうめくと頭をガシガシときむしる。


 悔しかった、楓を傷つけてしまったんじゃないかと、そんな自分が許せなくて。


 大きなため息をついたあと、窓の外に赤々ときらめく夕日を背に、要は目を伏せた。


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