ジュードローカは最初、リリアナにどう復讐してやろうかと考えていた。
だが、彼女にも立場があったのだろう。
楓李と空名はすでに寝ていた。
携帯通信機で、リリアナを呼び出す。
「どーしたー、こんな夜中に……」
間延びして、眠たげな声が聞こえてくる。
「おまえ、俺を騙しただろう?」
「……あー、んー、そうかなー?」
覚えがないかのように彼女は恍ける。
「そうだよ。都合よく記憶喪失になるんじゃねぇよ。おまえ、誰相手にしているか、かわっているのか?」
一気に怒りがわいてきたジュードローカは、まくし立てた。
「まー、そういきり立つなよ。あたしだって、騙してやったぜ、うふふふふとか思ってやったわけじゃないんだよ? リー会長が頼んできたから仕方なくってやつだよ」
相手の呑気さは変わらない。
「リー会長なんて死んだよ。とりあえず、落とし前の一つもほしいところだな」
ジュードローカはおさまらずに言う。
「あー、わかったわかった。幾らか、おまえのとこに振り込んでおくから、それで手を打ってくれ」
「……五本だぞ」
「安いものだ」
「なら、問題ない」
返事も訊かずに、ジュードローカは通信を切った。
「それは万ですか、億ですか?」
突然、本来の真っ黒な服をまとったになったハーミルリラが眼前にいることに、気が付いた。
「おまえ、いつの間に……」
その驚きっぷりに、ハーミルリラは思わず笑った。
「窓から失礼しました」
「どこの?」
即、聞き返す。リビングの窓に変化はない。
「ジュードローカの窓です。ちゃんと鍵は掛けているんですね。いい警戒っぷりだと思いますよ?」
「鍵が掛かっているのに、窓からってことは……」
「ええ、割りました」
ニッコリとハーミルリラは答えた。
ジュードローカは、膝に立てた手に顔を埋めた。
「いいじゃありませんか。興明会からお金が入るんでしょ?」
「うっさいなぁ。ウチの家計や経営に口出さないでもらいたいところだ」
「あ、借金ですか」
「あー、まぁ、そうだな」
ハーミルリラは息を吐いた。
「借金、借金。まったくもって、お金って嫌な物です」
「同感だ」
落ち着いたらしいジュードローカは、ようやくソファにもたれた。
「で、どうして戻ってきたんだ?」
「追い出されました」
悪びれずもせずに言うと、ジュードローカの隣に座った。
「まあ、あの二人のことだ。別に他意があったわけではないだろう」
「そうでしょうね」
「他意といえば、どうしてここに来た?」
ハーミルリラはクスクスと笑った。
「他意がなくとも、嫌われているというのですよ、そういうの。私がいるのは、やはり駄目ですか?」
「ふむ。言い方が悪かったな」
ジュードローカは、心底、失言したと反省した。
その様子に、また、ハーミルリラは笑う。
「で、死神なら、どうしてリー会長の時に、その場にいなかったんだ?」
「あたし、役割失格なんですよ。うまく自分の仕事が果たせない」
「まぁ、そういうことなら別に非難もなにもしないがな」
「しばらく置いてくれます?」
「それはいいが……」
「何イチャイチャしてるのさ……?」
見ると階段のところで、眠気も混ざっているのだろう、目の座った楓李が立っていた。
「いや、別になにも……」
「いやもなにも、してた。ジュードローカの回転チン野郎!」
「なんだ、それは……」
ジュードローカはむしろ呆れた。
反対側に座ってきた楓李はまだ眠そうだった。
「でだ、まあ、居るのは構わないが、おまえがいるべきは、氷珂のところじゃないのか、ハーミルリラ?」
「あれは、違いますから」
「違う?」
「ええ、黒燈とココルが特別だったんですよ。氷珂はただの氷珂でしかありませんから」
「ふむ……」
そういうものかと、ジュードローカは思った。
「氷珂だが、本体を停止させれば、こっちの側の奴も死ぬのか?」
「理論上そうなりますよ」
「ふむ。楓李、おまえの出番だ」
「えー、あー、うん……」
完全に寝ぼけている。
「逆はないということだな」
「ありませんね」
氷珂の本体は、地球衛星軌道上の巨大軍事衛星だった。
人間かサイロイドかわからない姿で、地上に降りて来ていたのだ。
黒燈とココルは、その被害にあった天候衛星と観測衛星だった。
氷珂が暴走した以上、地上でうだうだしていても仕方がない。
ジュードローカ自身にも手がない。
ここは楓李に頼るしかなかった。
氷珂は夜、獲物を求めて、狩場の歓楽街をうろうろとしていた。
あの女はだめだ、ケバすぎる。
あっちは歳がいきすぎている。
あれは、ただの不良だ。
そうして、探し回るうちに、タイトなスカートとジャケットを来た、若い女性を見つけた。
氷珂の好みにぴったりだった。
彼は後ろから女性に近づき、傍近くを歩いていた男に、光球をナイフにして、背中に突き刺して抜く。光球はそのまま消した。
気づかないふりをして、歩いて女性相手にも通り過ぎると、悲鳴がした。
男は背中の痛みに、女性にすがるようにのしかかってきた。
「おい、おまえ、何しているんだ!?」
氷珂は、男を押しのけ、そのまま彼が刺されてたことを知らせないように、女性の手を取って走りだした。
一区画行って脇道にそれた時、ようやく彼らは足を止めた。
息を荒くして、しゃがみ込みそうになっている女性の後ろで、氷珂は浸透圧注射器を取り出した。
首に打ち込むと、女性は急に意識が遠のく。
ナノチップが、脳を麻痺させたのだ。
「おっとお嬢さん、こんなところで倒れては危ないなぁ」
氷珂は一人言って、彼女を片腕で抱きかかえるようにする。
「はい、そこまでだ」
急に路地の奥から声がした。
聞き覚えがあるジュードローカのものだ。
背後を振り返ると、左手に刀を納めた鞘をぶら下げている空名が立っていた。
「おまえらか……」
氷珂は女性を道路に落として、背を正した。
「今更、俺に何の用だ?」
「おまえは、もう駄目だ。見てみな、その女を」
憐みに近い声いジュードローカの声だった。
「もう駄目? 何を根拠に……」
二人に警戒しながら、足元の女性をみると、氷珂は思わず、驚きの呻きを上げた。
彼女は、どう見ても五十代の中年男性だった。
「何がどうなっている……?」
氷珂は、混乱したがなんとか、自分を落ち着かせようとしている。
「しかもだ、相手はただのサイロイドだ。背後には何もない」
「……馬鹿な……」
今迄、目標を外したことなどなかった。
だが、このざまは何だ?
氷珂は冷や汗が湧き出るのを感じた。
「つまり、おまえ本体も、もう限界だってことだよ」
ジュードローカの言葉に、氷珂は自分の両手を見つめて震えた。
「そんな訳がない。俺を誰だと思っている? 八祐理氷珂だぞ?」
「ああ、おまえは氷珂だ。そして、ウィザード・ハットでありハット・アイスだ」
「そうだ、ハット・アイスさ……南戎踊島最大の武装衛星だ」
氷珂は初めて自身の正体を明かした。
無言で光球のネックレスをバラバラにして、身体に周回させる。
「正体を知ったものは、消す」
強い意思によって、口に出された言葉だった。
光球の一つが遠方まで行くと垂直ミサイル発射装置に姿を変える。
すぐにミサイルが、三基づつ、氷珂と空名に向かって飛び出す。
だが、途中で目標を失い、ミサイルは自爆した。
そういえば、こいつらにはもう一人いたはずだ。
姿が見えないということは、どこかに隠れて、ハッキングしているのだろう。
氷珂は光球を数個、無造作に弾いたかと思うと、一本の刀を抜き出した。
真っ直ぐ、ジュードローカに向かって走り出す。
刀の間合いに入ると、袈裟斬りで彼の肩めがけて振り下ろす。
ジュードローカは、半身になって避けると、脚をひっかけ、前のめりになった彼の襟を掴み、顔面に膝を叩き込んだ。
刀を奪い、振るうと、彼の左腕が綺麗に切断されて、遠く跳んでいく。
「クソっ」
背後に飛びのくと、鼻血をだしながら左腕を庇いつつ、氷珂はジュードローカを睨んだ。 「諦めるんだな。今、楓李が、ハット・アイスを改造中だ」
「改造だと?」
破壊ではないのか?
「おまえに興味がある奴がいてな」
ジュードローカは、つまらなさそうに言った。
「……警察か?」
せせら笑うように、氷珂は訊いた。
「違う。そろそろ、来たようだ」
路地にBМW二台と珍しい真っ白なベンツ一台が路地に入ってきた。
彼らの傍まで来て止まると、ベンツからは一斉に男たちが降りてくる。
氷珂に上から、ずた袋を被せて、脚をローブで縛る。そして、荷物のように二人が、っ車の中に運ぶと、ドアが絞められた。
BМWは、まるで一瞬のことのようにして、通りにもどって消えていった。
ベンツから、ただでさえ小柄な少女が猫背に背を丸めて降りてきた。
髪を後ろで二つに結んで、大き目のTシャツにホットパンツ。
外に出る恰好ではない。
見ると、裸足だ。
さすがにジュードローカは呆れた。
「おまえ、なんだその恰好?」
「あー……いいのいいの。すぐ帰るから」
リリアンカは軽く右手を振る。
「おい、楓李」
「はーい」
彼女が呼ぶと、日焼けしたダンクトップの少女は、脇にある雑居ビルの三階の窓から顔を出した。
「今行くから、待ってて!」
どたどたとした足音が鳴り響き、簡易デッキと浮遊ディスプレイを広げたままの楓李が、路地に現れた。
「あれ、どれぐらい弄った?」
あれとは、氷珂のことだった。
もはやサイロイドと見分けがつかない人間は、ネットハックの対象になって久しかった。
「全くなにも触ってないよ、氷珂自身には」
「そうかそうか。それならいい」
「あれのどこに興味があるんだ、あんた」
ジュードローカは興味半分で訊いた。
「あー……。連続殺人鬼の研究はすでにされつくされているんだが、今回のように、憑依してからの連続殺人鬼というのは、色々関心が湧く事例でねぇ」
「例えば?」
「どうして? どうやって? どこが? どうなってる? かなぁ」
リリアンカは真面目に答える。
「要するに、何もわかってないんだな?」
ジュードローカの言葉に、リリアンカは照れたように笑う。
「そうなる!」
「……威張るなよ」
堂々とした彼女に、思わずジュードローカは言った。
「あー、それそれ、あたしも気になる!」
「おー、楓李、気が合うじゃないか。それじゃあ、あたしはいくよ」
「あたしも着いてっていい?」
楓李が小型デッキをしまいながら、リリアンカを見る。
「おや、来てくれるのか。あたしの方から頼もうとしてたところなのに」
リリアンカはまた笑った。
「てか、寒い。さっさと車に乗ろう」
彼女は、自業自得の恰好で文句をいってから、真っ白なベンツの中に消えていった。
楓李も乗り込むと、ドアが閉まりベンツは走って行った。
「……おい、俺ら置いてきぼりかよ……」
後ろ姿も見えなくなって、ジュードローカはつい声に出した。
「……眠い」
空名がやっと喋ったかと思うと、今にも寝てしまいそうな顔をしていた。
「おい待てよ、おまえ背負って家まで帰るなんて、まっぴらだぞ」
「ん……わかっているんだが……」
少年は足元がすでにおぼつかない。
「仕方ない。タクシーにするか」
ジュードローカは、空名の肩を持ち、大通りに出た。
ネオンや酔客などがいまだ賑っている。
時間は午前二時のはずだ。
街は壬酉市ではない。
眞頃(まころ)市という、壬酉市のウルター・リードの傘下にある組織の存在する街だ。
その彼らの前に、また、今度は黒塗りのベンツが一台止まった。
運転席のサイドウィンドウが下がると、見覚えがある程度の男が乗っていた。
「どうも、ジュードローカさん。ごくろうさまです」
「どちらさん?」
ジュードローカは呑気に尋ねる。
「リー会長から指示されまして。家まで送らせてもらいます」
裏でリリアンカとの関係を掴んだ彼は、安心して後部座席に腰を下ろすことにした。
空名はすでに、夢の中だ。
それでいい。彼も疲れた。
いつの間にか、ジュードローカは目を閉じて、眠っていた。