詫護市は完全に廃墟と化した。
今の状態こそ、撮影しておくべきだと主張するココルを黒燈が説得した。
「まだ氷珂がいるかもしれないし、しばらくたってからでも遅くないんじゃない?」
「時間がないのわかってるくせに」
ココルはうなだれて、呟く。
結局、氷珂を逃したジュードローカは、黒燈たちを元の待ち合わせ場まで送って行って、別れた。
氷珂は思うところが、何個もあったが楓李に頼らなければならない。
だが、今は休ませることだと思ったため、疑念を一時、忘れることにした。
夕刻、事務所兼自宅に戻った彼は、二人を寝床に追いやる。
一人でレトルトのカレーを食べた彼は、身支度を改めて整えて外に出た。
疲れた体に鞭を打ち、マトリアス・リーのウルータ・リードの本拠まで歩いてゆく。
見慣れたコンクリートを打ちっぱなしにした建物までくると、階段をのぼり、ドアのインターフォンを押す。
しばらくたって、ドアが開けられて、若い衆に案内された。
今回は、マトリアスはリビングにはいなかった。
自室まで案内されると、ノックをして、ジュードローカが来たと告げる。
中からは入るようにと返事が返ってきた。
部屋に招き入れられると、そこには、机と、向かい合ったソファが置かれ、高そうな絵画が飾られていた。
「久しぶりだな。まあ、そこで話すか」
そういって、スウェット姿の彼は、先にソファに腰かけた。
ジュードローカも、向かいに座る。
「で、今回はどうしたんだ?」
「芽羽凪さんのことですがねぇ……」
ジュードローカは、相手の目を凝視していた。
「どういう子なんです? ちょっと手が付けられなくて困っているんですが」
直接には、消えたとは言わない。その代わり、手が付けられないという言葉に嘘はない。
慎重にジュードローカは言葉を選んでいた。
マトリアスはしばらく軽い笑みを浮かべながら無言だが、やっと口を開く。
「そうか、おまえでも手に負えないか。まあ、俺でさえなんだから、しかたがないが」
当たり障りのない言葉が返ってくる。
「芽羽凪さんを供養祭の人身御供にすれば、他の組織にも自分の子供を出せと、言える立場になりますね」
「ああ、その通りだ。狙いはそこだよ。さすがジュードローカだ」
「あくまで供養祭は行うのですか?」
「やるともさ」
マトリアスは当然だという風に答える。
「先日、マトリアス・リー会長に会いました」
「ほう……」
ようやく、マトリアスの冷静な態度が崩れかけた。
「芽羽凪はまだ、二人いると聞きましたが? 私はそちらの方も保護すべきでしょうか?」
突き刺すような口調のジュードローカだった。
マトリアスは明らかに動揺していた。
だが、すぐに態勢を整え、笑みすら浮かべる。
「さすがだな。そこまで調べたか。なら、二人がどこに行ったかもわかるだろう?」
「お探しですか?」
「当然だ。今回の供養祭のために偽物を用意し、本物はしばらく身を潜めさせていたが、いつの間にか連絡も取れなくなった」
彼は、計画がバレたとした場合の処置も考えていた。
他の組織も同じことをすれば良いのだという、提案がそれだった。
「いえ、未だに把握してません」
マトリアスは、残念そうな表情を見せた。
「ならば、新たに二人を探すように、おまえに頼む」
「それならついでに受けましょう」
彼らが話していると、下の階が騒がしくなった。
マトリアスは、思い切り床を足の裏で叩きつける。
事務所中に響いたはずな会長からの叱責は、一瞬しか効果がなかった。
「全く。何事だというのだ」
ドアが急に開き、少女が堂々とといった風情で現れた。
「リーンカーミラ……!」
「芽羽凪!?」
マトリアスの言葉に、ジュードローカはハッとなった。
二人というのも、サイロイドというのも、嘘だった。
芽羽凪は初めから一人で、代わりが一人いるだけだ。それが、リーンカーミラを名乗っていた芽羽凪本人なのだ。
「戻ってきたわよ、お父さん。歓迎してくれる?」
「おまえが帰ってくるにはまだ早い!」
余裕ぶって扉をしめ、二人に向き直った芽羽凪に、マトリアスは明らかに驚き、動揺していた。
南戎踊島でナンバーワン組織のトップがだ。
「おまえが、芽羽凪だっただと?」
ジュードローカはまだ信じられないといった口調だった。
「そうよ、ジュードローカ。今まで黙ってて悪かったわ」
「じゃあ、今までの芽羽凪は何者だったんだ?」
「名前はハーミルリラ。孤児よ。それも只の孤児じゃない。いや、孤児という言い方も悪いね」
歯切れが悪い。
ジュードローカは、知っているならばはっきりと言わすつもりだった。
「もう一度、訊く。何者なんだ?」
「言ってみれば光球ネットワークの管理者と言ったところだわ」
訳が分からず、ジュードローカは呆然とした。
芽羽凪はもうジュードローカには興味がないといった様子で、マトリアスに視線をやった。
「あたしがここに戻ってきたか、理由はわかるでしょ? おとうさん」
「待て、芽羽凪! 一体何の不満があったというんだ!? おまえの願いはかなえてきた。言うことも聞いてきた。いまさら、どうして……」
「だからよ」
彼女は冷たく静かに言い放った。
「何でも好きにできるなら、あなたは本当は要らないじゃない?」
「なっ!?」
悲し気な雰囲気を、芽羽凪は一瞬放った。
「さようなら、おとうさん」
彼女は、腰の裏から拳銃を抜くと、その顔面に弾丸を撃ち込んだ。
マトリアスは、弾かれたように首を後方に折り、ソファの上に倒れると、体重で床に転がった。
「……で、おれも殺るのかね?」
この期に及んでも超然としているジュードローカを、芽羽凪は見下ろした。
「あなたに用はないわ。殺す必要もない」
「それはありがたい。では、帰っていいかね?」
「ええ、どうぞ。護衛はいる?」
「いらないな」
短いやり取りをすますと、ジュードローカはあえてゆっくりとした動作で立ち上がり、芽羽凪の横を通り過ぎた。
案内された時の逆に廊下を通り、ジュードローカは、ウルター・リードの本部から、外に出た。
彼が家に帰ってくると、従業員二人はすでに起きていた。
「おっかえりー!」
楓李が、跳んで抱き着いてくる。
受け止めてから床に下ろすと、不安げな表情が見上げてきた。
「いま、ウルター・リードから布告が出たんだけど、あれ、ホント?」
「どんな?」
突然いわれても、ジュードローカにわかるわけがない。
いったん、ソファに落ち着き、楓李は浮遊ディスプレイを開いて録画していた画面を再生する。
そこには、芽羽凪が映っていた。
「皆様にお知らせがあります。ウルター・リードの会長マトリアス・リーは、突然の心臓発作で昨夜、亡くなりました。組織の今後を一晩一同で考えた結果、私こと惟瀬芽羽凪が跡を継ぐことになりました。今後とも、我々にご協力をお願いします」
ジュードローカは、驚きもしなかった代わりに納得した。
確かに、先刻までそれ以上のことは考えられない状態だった。
画面の映像はまだ続いた。
芽羽凪は堂々とした表情のまま、言葉を紡ぐ。
「なお、は私、惟瀬芽羽凪の名をもって今後一切中止いたします」
これには、ジュードローカも納得した。
だが、まだ先があった。
「供養降豊祭の代わりに、天の光球ネットワークを知るものもいると思いますが、あれは今中心とされているフローエンを管理者として推挙します」
フローエンという名前は初めて聞いた。
楓李に言って、経歴を洗わせるる。
彼女は、あっという間に、調べたデータを出してきた。
すでに地上では一年前に死んでいる。享年十五歳。高校生で、恋人とともに、心中自殺。だが、彼女の方は生き残ったようである。
「それがさ、この彼女ってのが、芽羽凪なのよね」
胡坐で頬杖をつき、楓李は言った。
「なるほどね。全ては計画通りってやつか、もしかして?」
「わからないねぇ、そこまでは」
沈黙が降りた。
とにかく、ウルター・リードは急な指導者交代劇をうまく納めて、さらには、ライト・シードの支配権まで、奪ったということだ。
これで、この組織は盤石になるだろう。
ジュードローカは、複雑な顔をして、結論をだした。