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第11話 彼の想い

 俊介は空良を刺したあとすぐに捕まった。

 病院内で奇声を発し彷徨っていた彼を、通報で駆けつけた警察官が捕まえたらしい。


 雅人はあれから警察に行き20年前のことを正直に話した。


 放火は重い罪だ、他人に脅されたからといって免除されない。

 しかし、雅人が当時家族を人質に取られ恐喝きょうかつされていた事実と自首してきたこと。

 そして何より空良が残した日記のおかげで、雅人には執行猶予しっこうゆうよがついた。


 空良はあの日からずっと日記をつけていた。


 その日記には雅人への想いがたくさんつづられており、それは空良が雅人を恨んでいないという立派な証拠になる内容だった。


 日記に目を通した雅人は涙が止まらなかった。


 この20年間にわたる、空良の深い悲しみや苦しみがそこにはあった。


 自分ではどうしようもない恨みや憎しみの感情。

 その感情が暴走し、自分が悪魔や獣になってしまうのではないかという不安や恐怖。

 自分がどれだけ非道な考えを持てる人間なのかというなげき。

 暗い迷路の中を彷徨さまよい、深い闇の中で迷子になってしまったような孤独。


 それらと真剣に向き合い、葛藤する日々が記されていた。

 絶望のような日々の中で彼は自分の心と向き合い、一人で闘い続けていたのだ。


 彼ほどの優しい人間だからこそ、どれほどの苦悩を味わい、どれだけ絶望し、打ちひしがれたことだろう。


 途方もない自分との闘いを、ずっと繰り返していたのだろうか。

 きっと誰にも想像できない道を彼は一人歩いていたのだ。


 そして、さらに驚くべき事実がそこには記されていた。


 彼は雅人を恨むどころか、心配していたのだ。

 また誰かに流されて間違った方向へ進んでいないか。いじめられて辛い思いはしていないか。

 少しずつでも自分の意志で強く生きていって欲しい、という願いが記されていた。


 あんなに酷いことをしたのに、なんでそんな風に思えるんだ?

 普通は恨むだろ、許せないだろ。


 ……なんで、そんなに、優しいんだよ。


 空良は本当に馬鹿だよ。馬鹿がつくお人好しだ。


 日記の最後には俊介のことを心配する記述があった。


 もちろん、許せないし恨んでいたのだろう。

 日記のはじめの方では彼への辛辣しんらつな言葉や表現が溢れていた。きっと殺したいほど憎む日々だったに違いない。

 しかし日記が進むにつれ、彼への想いに少しずつ変化が垣間かいま見れるようになった。


 それは俊介自身の成長や変化を願う想いだった。


 絶対に許せるはずはないし、一生恨みや憎しみが消えることはないだろう。

 でも、空良はきっと、ほんの少しの希望を抱いていたんだ。


 あんなどうしようもない奴でも、いつか変わるんじゃないかって。


 期待していたんだ。


「……ったく、どこまで、お人好しなんだよ」



 雅人はその日記を大切そうに抱きしめる。


 頬から伝った涙がそっと日記を濡らしていった。






 由紀はあれから調子がよく、今は退院してリハビリ代わりにアルバイトを始めていた。

 よく仕事の愚痴をこぼしているが、それは元気な証拠だ。


 雅人はそんな彼女の笑顔を近くで見ていられることに、毎日幸せを感じている。

 こんな幸せで穏やかな毎日を送れるのは、空良のおかげだった。


 空良が由紀の主治医になっていた間、病気を親身になって治療してくれていたおかげで、病状が前より良くなっていたらしい。


「このままだと、もう入院しなくてもいいかもしれないね」


 と笑顔で語る由紀。


 空良は僕を救い、そして由紀も救ってくれた。


 本当に空良には頭があがらないことばかりだった。




 現在、雅人は秘書の仕事を辞め、医者を目指すために大学に通い直している。

 34にもなって今さら何考えてるって自分でもあきれる。

 周りの目も冷たかった。心折れそうなときもある。


 でも由紀が励ましてくれるから、なんとか続けられていた。


 それに、僕には空良がくれた想いや言葉があるから、ちょっとやそっとじゃへこたれない。


 僕はもともと人を助ける仕事がしたかった。中学の頃、医者になりたいと思った時期だってある。

 もちろん、由紀の病気の役に立ちたいという気持ちも大きい。


 でも、一番の理由は……。






 気持ちのいい太陽の光が注ぐ中、二人は霊園の中を歩いていく。


 小高い丘の上にあるここは、周りには草木があり、とても自然豊かな場所だった。

 遠くには海が見え、潮の香りが鼻をくすぐっていく。

 地面には芝生のように細かい草花が生えていて、風が吹き抜けていくたびに軽やかに揺れていた。


 雅人と由紀は目的のお墓の前に辿り着くと、一礼してから掃除をはじめる。

 掃除を終えると、持ってきた花を由紀が丁寧に供えた。

 線香をいて、お墓に手を合わす。


 ゆっくりと目を開けると、雅人が静かに語りかける。


「空良……これ君の大切なものなんだろ?」


 雅人はネックレスを墓前にそっと置いた。


 このネックレスは空良がずっと身に着けていたようで、あの事件のあと看護師さんから渡された。

 そういえば、空良の首にはいつもネックレスが見えていたように思う。


 きっと家族の誰かの大切なものをいつも肌身離さず持っていたんだよな?

 空良ならきっとそうする。


「空良……僕、自分の人生と君の人生、二人分生きるよ」

「空良先生、雅人のこと見守ってあげてね」


 そのとき、ザアッと強い風が吹き抜けていった。




 君に言われたように、これからは自分をしっかり持ち、自分で選んだ人生を、自分の足で歩いていこうと思う。


 由紀と一緒に。




 二人は手を繋いで、幸せそうに笑った。



 きっと見守っていてくれるんだろ? 空良




 空良のネックレスがキラッと光った。


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